慶尚南道(密陽市 )

密陽市立博物館は洛東江流域の文化を集大成して効率的に保存、展示しているのはもちろんのこと、郷土資料の収集、調査、研究、整理などを通して歴史と文化芸術に関する考証など中心的役割を行っており、さらに市民達に広く公開して文化向上および社会教育の貢献のために設立されました。博物館は常設1展示室、常設2展示室、企画展示室に分かれていて、密陽地域の歴史を知ることが出来ます。主な所蔵品としては密陽12景図、龍潭翠叫亭雜詠、 金弘道の「船遊図」、張承業の「花鳥図」などの書画類と李芳仲墓出土の名器や磁器、青銅器などの陶磁器類、更には密陽地域で出土したものなど、全39種4,835点があります。また、密陽市立博物館には洛東江の文化遺跡以外に化石展示館、密陽独立運動記念館があり、また違った楽しみと見所があります。化石展示館は密陽市立博物館内にあり、古生代・中生代などの全世界に分布している主要化石(恐竜、魚類など)244点が展示されています。密陽独立運動記念館は独立義烈団の団長だった金元鳳と尹世胄など密陽出身の独立運動家達の活動を知ることが出来る場所です。1919年3月13日に起きた密陽地域の主要万歳運動や爆弾投擲事件などはもちろんのこと密陽の金現代史に関しても知ることができます。


江原道(原州市)

高麗・仁宗(インジョン)の時代に賢儒の位牌を奉安・合祀し、地方に住む民の教育や教化のため創建された原州郷校(ウォンジュヒャンギョ)。 1422(世宗4)年に地方行政機関の長・監察使の下で担当する区域を治めた文官・牧使(モクサ)の申浩(シン・ホ)が重建、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時に全焼した後、1603(宣祖36)年に李澤(イ・テク)が大成殿を重建しました。 1609年、牧使・任就正(イム・チジョン)が明倫堂と東斎・西斎を復元し、1632(仁祖10)年には李培元(イ・ベウォン)が増築を行いました。 韓国戦争(1950-53年・休戦)の際、建物の一部が破壊され、現存する建物としては大成殿、明倫堂、西斎、三門などがあります。 大成殿には五聖、宋朝二賢、韓国の十八賢の位牌を祀っています。朝鮮時代には国から土地と典籍・労費などの支給を受け、教官1人が定員40人の教生を教えましたが、朝鮮時代末期の改革の甲午改革以降、新学制実施により教育的機能は失われ、それ以降は春・秋に儒教の先哲を祀る釈奠祭を行い、毎月1日と15日には焼香を行っています。 江原道文化財資料第98号に指定されており、郷校の運営は典校1人と掌議数人によって行なわれています。


京畿道(漣川郡)

京畿道(キョンギド)最北端にある漣川郡(ヨンチョングン)青山面(チョンサンミョン)哨城里(チョソンニ)は東に抱川市(ポチョンシ)、南に東豆川市(トンドゥチョンシ)、北に漣川郡内の人口の50%・25,000人が居住する全谷邑(チョンゴクウプ)と接する地域で、漣川郡の入口に位置しています。哨城キムチ村はキムチ体験テーマパークで、韓国最高の伝統食品・キムチをテーマにしたキムチ体験及び販売、教育、展示を行う複合文化スペースです。


忠清南道(瑞山市 )

忠清南道大山邑にある三吉浦港は、唐津市石門面橋路里と大山邑花谷里の三吉浦をつなぐ大湖防潮堤の最終地点にあり、大湖の水門がある所です。大湖防潮堤は1984年11月6日に竣工された防潮堤で長さ7.8km、海岸沿いのドライブコース、海に浮かぶ大小の島々を見ながら釣りを楽しむことができる場所です。堤防の中心には農産物の直売店、宿泊施設、休憩施設のある休養地として開発され、観光名所としても人気です。 西海岸のどの港に行っても週末になるとソウルや首都圏から車で訪れる人が多く、駐車する場所がないほどで、この三吉浦港も例外ではありません。


大田広域市(大徳区)

* 地域住民の文化空間、韓南大学校聖志館 * 聖志館(ソンジクァン)は校門の正面にある建物で、韓南(ハンナム)大キャンパスの北側に位置しています。 この建物は1985年4月に着工し、1986年8月に竣工しました。 延面積はおよそ3,000平方メートルで、客席は1階席1048席、2階席564席、すべてで1612席で、竣工当時、大田(テジョン)を中心とする忠清(チュンチョン)地域最大規模の講堂で、さまざまな学校行事や地域住民の文化スペースとして活用するため建築されました。 「神聖な志」を意味する「聖志館」と命名されたのは完成当時、聖志館の主な利用がチャペルとしての機能であったためで、チャペルの時間を通じて神の神聖な志が宣布され、神の神聖な志に耳を傾けるすべての学生が真の信仰を通じて正しい人格を形成する知性ある人物として神聖な志を養い心に誓うという意味を込めて聖志館と名付けられました。建物の南西側の壁面には「聖志館」の文字がそれぞれ縦・横2mの大きさで書かれており、この文字は韓国を代表する美術展・国展の招待作家である長巌(チャンアム)李坤淳(イ・ゴンスン)氏の字体をそのまま鋳物で制作したものです。 聖志館正面に架かる十字架はその大きさが4メートルの大型で、美術教育科パク・ビョンヒ教授の設計で制作されました。校門から建物を見ると正面に位置しているため、校門の十字架像とともに、韓南大学校の教育理念がキリスト精神に礎を置いていることを可視的に表わすシンボルとも言えます。


全羅北道(茂朱郡 )

1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときにソウルの春秋館を始めとした全国の史庫が焼失し、春秋館を除いた鼎足山・太白山・妙香山・五台山などに新しい史庫を設置することになりました。1614年に天恵の要塞として知られた茂朱の赤裳(チョクサン)山に実録殿を建てて妙香山の実録を移し、1641年には璿源(ソンウォン)閣を建てて王室の族譜である『璿源録』を保管していました。後に日本により史庫が廃止されるまで、300年以上国家の貴重な国史を保存してきた韓国5大史庫の一つで、全羅北道記念物第88号に指定されています。 この史庫跡は残念ながら赤裳揚水発電所ダムが建設されて水没し、安国寺とともにダムの上側に移転を余儀なくされました。赤裳山は四方が切り立った岸壁で、絶壁周辺にはカエデの木が多く、秋には山全体が赤いスカートを履いたように見えることから「赤裳山」という名前が付きました。


忠清南道(保寧市 )

忠清南道、保寧市にある石炭博物館は石炭事業の歴史と重要性を伝えるために作られた博物館です。内部展示と野外展示に分かれていて石炭の生産過程、採炭、運搬過程など、それぞれの過程で使われる道具を展示、また映像を通して石炭を掘る様子も見ることができます。特に韓国初の坑道の中を体験できる模擬坑道では廃鉱で出てくる風を利用して冷風トンネルを作り、トンネルの壁には鉱山関連の写真を展示しています。また、坑道の中では採炭過程を実物大サイズで再現しており、まるでエレベーターに乗って実際に地下400mの坑道まで降りてきたような体験をすることができます。観覧時間は午前9時から午後6時まで(冬季は午後5時まで)で毎週月曜日は休館日。


忠清北道(提川市 )

* 忠清北道・堤川の誇り、内陸の海・清風湖を代表する遊覧船株式会社、清風湖遊覧船 弊社船着場にはエレベーターが設置されており、お体の不自由な方やご高齢の方、そして小さなお子さん連れの方にも他社に比べ便利な構造となっています。韓国随一の貯水量を誇る清風湖(チョンプンホ)の清らかな風に吹かれながら潭陽(タミャン)八景の玉筍峰(オクスンボン)と亀潭峰(クダムボン)の絶景を船上から楽しむことができ、楽しい思い出のひとときをお過ごし頂けます。


大邱広域市(中区)

古の時代から韓方など薬に関連する業種が多かった大邱(テグ)の街。時の経過とともに街の中心部の薬典(ヤクジョン)通り付近では薬を扱っていた歴史的価値のある建物が次々消滅し、また同時に薬に関連する業種で仕事をする人々や店が急速に減少するなど、昔から薬の取引を行ってきた大邱薬令市では存亡の危機を感じていました。 このような状況に地元自治体である大邱・中区庁では現状を打破すべく、旧イ・ヘヨン整形外科とその周りの敷地を買い入れ、環境にやさしい韓方体験施設・エコ韓方ウェルビーイング体験館を開設しました。 1966年に竣工し当時、大邱を代表する現代的な病院建築として名を馳せたイ・ヘヨン整形外科のオープン当時の姿を最大限活かしリモデリングを実施、人々の動線を考慮し増築を行ったこの建物は、老朽化した建物を再生する都市再生のモデルケースとなっている建造物です。 大邱近代路地ツアーの中間地点にあるエコ韓方ウェルビーイング体験館は、薬令市を訪問する観光客や市民のために開かれた街の中のヒーリング体験スポットとなっている場所です。  


慶尚南道(南海郡 )

園芸芸術村 HOUSE N GARDENはタレントのパク・ウォンスクをはじめ、園芸は同じ思いで、人生の夢を抱いてきた美しい庭園が造られました。誰もが夢見た家を、庭園をここで発見することができればと造られました。何年におよぶ苦労の末、香り、やしの木、彫刻、盆栽、風車、スパなどをテーマにした個人の庭園や蓮池、展望デッキ、八角閣、噴水、温室などがあります。また、最新施設の映像室、展示室、体験室、カフェ、ゲストハウスがあります。