全羅北道(益山市 )

1989年から20年間、王宮里遺跡(ワングンニユジョク)の発掘調査を行った結果、百済の武王の代に王宮として建築され、使用されていましたが、後に王宮の重要建築は取り壊され、その場所に寺院が建てられたことが確認されました。王宮里遺跡では韓国の古代の王宮としては初めて王宮の外郭の塀が見つかりました。また王が政事を行っていた正殿などの14の建物の跡や、百済最高の庭園の遺跡、陶磁器を作っていた工房の跡、大型便所の遺跡などが発掘され、王宮の築造過程や王宮での生活を把握するためのよい資料となっています。


全羅北道(益山市 )

益山市金馬面東古都里と新龍里一帯に位置する彫刻公園で、面積は132,000㎡ほどあり、2004年に完工しました。韓国の有名彫刻家の作品が68点展示されており、三韓時代の部族国家であった馬韓の生活像が一目で見られる馬韓館があります。展望台などの憩いのスペースや釣りのできるスポット、プロムナードが造成されており、近所の人々だけでなく、観光客もよく訪れる公園です。


5.0/1
全羅北道(井邑市 )

全北井邑市のホテル・グリーントピアは内蔵山に位置しており、四季それぞれの美しい景色と景観が秀麗で、韓国最高の秋の紅葉はまるで神の贈り物であるように言葉では言い表せない美しさを誇る。 客室内部は広く、きれいで我が家のような心地よさが感じられるお休みの空間を提供する。 内蔵山停から徒歩3分の距離にあり、アクセスもよく、内蔵山の入口と近いため登山を楽しむ旅行客たちにも喜ばれている。 風景がとても良いこの場所で四季の美しさを満喫してみよう。


全羅北道(長水郡 )

義岩祠は、朱論介の忠節を称え1846年に論介生長郷竪名碑が立てられた後、1955年に長水郡民たちの寄付により祠堂が建立され、1974年に現在の位置に移されました。境内には「直石義妓論介生長郷竪名碑」があり、「義岩祠」と書かれた板が掛けられている祠堂には、論介の姿が描かれた掛け軸があります。また、記念館には論介の遺品や論介の夫である崔慶会将軍の遺品が展示されています。 1953年、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。この時、論介は19歳でした。論介を追慕するために1955年に長水に祠堂が建立され、「義岩祠」と名づけられ、論介の姿が描かれた掛け軸が安置されています。毎年旧暦9月3日に開かれる朱論介祭では様々な文化行事が催されます。


全羅北道(全州市 )

韓国道路公社樹木園は比較的温かい場所にあり、韓国道路公社が運営する非営利樹木園として、高速道路の利用客はもちろん、誰でも無料で見学することができます。1972年、高速道路建設の際に傷つけられた自然環境の復旧を目的として樹木および芝生の生産・供給を始め、1983年から植物を植え、1992年から本格的に一般の人々に公開され、現在は年間20万人以上が訪れています。 約3,210種の植物を保有している樹木園は、湿地園、教材園、渓流園、ムグンファ園、野草園、竹林園、一般植物園、薬草園など12のテーマで構成されており、教育・学習・実習・観察の場として利用されています。 全国で唯一の雑草園は、農と畑、果樹園、林野などで育つ雑草260種類があります。    


全羅北道(全州市 )

全羅北道の有形文化財第15号に指定されている寒碧堂(ハンビョクタン)は、1404年に朝鮮開国の功臣崔湛(チェダム)の別荘として建てられた楼閣です。僧岩山の山麓の断崖にあるため絶景で、特に目の前を流れる全州川とは絶妙のバランス。かつて多くの文人がここを訪れ霊感を得たことから、寒碧晴煙(寒碧堂から眺める霧が美しいという意)といわれ、全州八景のひとつに数えられています。


全羅北道(全州市 )

全州市内の中心に位置したウシンホテルは40年以上の歴史を持っており、初の市民劇場であるウシンホテルとして設立、政治家や言論人、芸術家など多くの著名人を迎えた歴史深い全州市民の思い出がこもっているホテルです。 全州韓屋村まで徒歩で15分の距離にある他、映画の街、ウェディング通り、中華街、文化の街あるので観光客にお勧めです。


全羅北道(群山市 )

鎮浦海洋テーマ公園は高麗時代末の崔茂宣将軍が艦砲を作って日本軍の船を500隻以上撃退した鎮浦対戦を記念するため、2008年にオープンした海洋公園です。港湾のある広い海を背景に、現在は使われていない軍隊の装備13種類16台をみることができます。ベトナム戦争などに導入されたウィボンハム(軍艦)をはじめとして海軍艦艇、装甲車、自走砲、戦闘機など国を守るために最前線で活躍していた陸・海・空軍の装備が展示されています。軍装備の内部に入って実際に施設を見ることができます。ウィボンハムの内部には鎮浦対戦の模型と当時使われていた武器、崔茂宣将軍が作った火砲の話や軍艦兵営の生活体験などを展示してある体験があります。


全羅北道(金堤市 )

金山寺、帰信寺、水王寺、大院寺などを抱える母岳山は高さ793.5mで金堤平野の東側にすっと突き出しているため湖南平野を一目で見下ろせます。1971年に道立公園として指定され、湖南4景のひとつとなっていて、景観に秀でた国宝や宝物などの文化財が多くあります。ここは百済法王元年(599年)に建てられ、約10点の各種重要文化財を持つ金山寺が位置しており、華々しい仏教芸術がある母岳山を越えると、東南側の中腹に大院寺や水王寺など寺院があり西側には帰信寺があります。 金山寺入口の金坪貯水池は、釣り場となっています。母岳山は、昔から弥勒信仰の本拠地とされ、甑山教の本部に加えて30~40年代に各新興宗教の集団地として関心を引き受けていた場所で、記録によれば母岳山の麓には大院寺、帰信寺、水王寺など寺院を始めとして約80の庵があったとされています。登山をするなら金山寺から外れるか、深源庵の裏側の稜線に沿って上がっていくことになります。春になると頂上までツツジが広がり、花見をしながら登山ができます。頂上では金堤平野と万頃江が視界に広がし、全州市や雲長山も見えます。駐車場から一柱門まで続く桜トンネルも壮観です。


全羅北道(扶安郡 )

全羅北道扶安郡鎮西面石浦里から北に1.2km程のところに位置する来蘇寺(ネソサ)は、633年に建てられたと伝えられています。 恵丘という僧がこの地に寺を建て、大きな寺を「大蘇来寺」、小さい寺を「小蘇来寺」と命名しましたが、そのうち大蘇来寺は焼失し、今の来蘇寺である小蘇来寺が残りました。保有している文化財には、国家指定文化財4点と、地方有形文化財2点があります。また、保存状態が良い蓬来楼のトイレなど昔からある建築物と近年に新築された無說堂、真華舍、梵鐘閣などの建築物が調和を成しています。 宝物第291号に指定されている大雄殿は朝鮮時代に建てられたもので、自然な古寺の雰囲気が感じられます。境内にはこの他にも高麗銅鐘、法華経折本写本などの国家指定文化財と、三重石塔などの地方有形文化財が保存されています。また、来蘇寺には樹齢約500年になるケヤキの木と、高さ約20m、幅7.5mの樹齢約1000年のケヤキの木があり、蓬来楼の前の庭には樹齢約300年の巨木が植わっています。寺の入口にあるモミの木の林道は、モミの木の香りが漂う魅力的な散策路となっています。さらに、モミの木の林道を抜けると、一柱門の前までは紅葉が植わっており、秋になると紅葉のトンネルができ、紅葉狩りを満喫することもできます。