ディピラン
 
慶尚南道(統営市 ) ,
DPIRANG(ディピラン)は、南望山公園の散策路に沿って光とメディアファサードを活用した15のテーマ空間を楽しめる夜間デジタルテーマパークです。DPIRANGは既存の公園の夜の風景を変化させることで、多くの人々が訪れる夜間景観スポットとなりました。

タンクッ海洋自然史博物館
 
全羅南道(海南郡 ) ,
「タンクッ海洋自然史博物館(タンクッヘヤンジャヨンサバンムルグァン)」は、世界の貝類、珊瑚類、魚類、哺乳類、甲殻類、化石類、爬虫類、陸地昆虫に至るまで約25,000種類・4万点を展示している、名実共に全羅南道一の種類を誇る自然史博物館です。自然生態系の神秘を体験できる他、子どもたちには観察力と想像力を伸ばし、海生態系の驚異を感じ、珍しい海洋資源文化に接することができる大切な機会を提供しています。

広川駅
 
忠清南道(洪城郡 ) ,
広川駅は1923年12月1日に普通駅として営業を開始しました。広川駅の周辺には1邑4面があり(邑人口約15,000人)、農業、畜産業、小規模商業に従事する典型的な農村で広川板甫牡蠣の塩川と柿が全国的に知られています。

望海寺
 
全羅北道(金堤市 ) ,
望海寺は、進鳳山の峠を越えて削られたようにそびえ立つ奇岩怪石の断崖の上で、果てしなく広がる海を見下ろせるために「望海寺」と名づけられました。万頃江の下流の西海に接し、遠くの古群山の列島を見える場所にある望海寺は、長い歴史に相応しいとはいえない規模が小ぶりな寺院です。ここは642年(百済時代)に浮雪居士(三国時代に金堤で活動していた僧侶)が創建し修道したのが始まりですが、そのうちに境内が崩れ海に沈んでしまいました。しかし1589年(朝鮮時代)に震默大師(朝鮮後期の金堤出身の僧侶)が望海寺の楽西殿(全羅北道文化財資料第128号)を再建しました。「ㄱ」の文字の形をした建物の前のでっぱり部分には板の間が敷かれ、その後ろには近年に作られた鐘が掛けられています。

錦江遊園地
 
忠清北道(沃川郡 ) ,
忠清南道沃川郡にある錦江遊園地は慶釜高速道路の休憩所として有名です。休憩所が造られる前からこの一帯を流れる錦江流域は錦江遊園地と呼ばれていました。休憩所と近郊の村には電力供給を行っている小水力発電所を運営するためダムを建設され、その上流を流れています。下流には河を横切る橋があります。

慶州カントリークラブ
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
: 慶州(キョンジュ)カントリークラブは普門観光団地に位置し、普門湖及び普門観光団地全景を一目で見ることの出来る風観の良いゴルフ場です。慶州市内から15分の距離に位置しており、韓国最高の大衆ゴルフ場を指向しています。慶州カントリークラブの自慢であるライトゴルフは夜間ゴルフで全ホールライト施設を完備し早朝及び夜間にもゴルフを負担無く楽しむことが出来るように作られている。観光都市である慶州市にありゴルフが好きな観光客達に魅力的に迫って来るゴルフ場です。    

申壮節公墓域
 
江原道(春川市) ,
平山申氏の始祖である壮節公申崇謙(シン・スンギョム)将軍の墓所です。 申崇謙は918年裵玄慶、洪儒、卜智謙とともに、暴政に明け暮れる弓裔(クンイェ)を追放、王建(ワンゴン)を推戴して高麗建国に貢献した功臣です。927年大邱公山で後百済の甄萱(キョンフォン)の軍隊と戦った際、太祖王建が危機にさらされると太祖の服を着て変装し、敵に立ち向かい戦死しました。敵軍は将軍を高麗の王(太祖)と見誤って首を取り、それによって命拾いした太祖は首のない将軍の遺体に金で頭を作って葬儀を行ったといいます。また当時、盗掘されることを恐れて封墳を3つ造ったと伝わっています。

鹿津展望台(鳴梁大戦の地)(녹진전망대
 
全羅南道(珍島郡 ) ,
望金山の頂上に位置する大橋と周辺の景観をひと目で見られる展望台で、特別な用意なく軽装で登ることができる展望台です。頂上から眺める周辺の景観は、思わず感嘆がこぼれるほどだと言います。 鹿津展望台は、鳴梁海峡と橋を見下ろすことができ、珍島大橋を一番よく眺めることができる 場所です。珍島大橋を経て、左側の山道から上ると見晴らし台の前まで行くことができ、その道は忠武公遺跡地である碧波津まで道が繋がっています。珍島郡は、第2珍島大橋竣工とともに 鳴梁海峡の鳴梁大戦の地である鹿津一帯を観光地として開発する事にしました。