烽墩(봉돈)
 
京畿道(水原市) ,
1796年に完成した水原華城(スウォンファソン)の烽墩(ポンドン)は、夜には松明の灯りを、日中には狼煙を上げ、遠くにメッセージを伝える軍事信号体系のひとつです。 一般的な烽燧台(ポンスデ)は周囲をよく見渡せる山の頂にありますが、この烽墩は山頂にはなく築造方式が他とは異なっています。 城郭となっている水原華城の城壁から突出した形で造られ、花崗石を基礎に積み、上部は煉瓦を積み城壁より高く築城しています。 韓国の城郭様式としては稀な形式の水原華城の烽墩には、敵の攻撃に備え、城郭内から銃火器で攻撃できるよう砲穴(ポヒョル=砲眼)や銃眼(チョンアン)が開けられ、烽燧軍の兵士たちが使うオンドル部屋や倉庫などもあります。 狼煙の合図は五つある狼煙台から何本の煙や松明の明かりが上がっているかでその伝える内容が異なり、平時には最も南側にある狼煙台から一つ昼夜を問わず上がり、敵が国境近くに現れれば狼煙が二つ、敵が国境までたどり着いたと確認すると狼煙が三つ、敵が国境を超えると狼煙が四つ、いざ戦闘開始となると五つすべての狼煙台に煙や松明が上がったといいます。

松島コマリンウェスト ボートハウス
 
仁川(延寿区)
松島コマリン ウェスト ボートハウス:都会的な運河で楽しむ水辺レジャー 1. 概要 松島コマリン ウェスト ボートハウスは、最先端都市として知られる仁川市・松島地区に位置するボート施設です。高層ビル群や美しく整備された運河が特徴の松島を、水上からゆったり巡ることができるのが最大の魅力。公園やカフェ、商業施設などが点在するエリアと隣接しているため、クルーズ体験前後の街歩きも含めて松島を満喫できます。 2. 主なアクティビティ * 運河クルーズ モーターボートを使った観光クルーズでは、近未来的な高層ビルや橋、緑豊かな沿道を眺めつつ、短時間で松島の街並みを一望できるのが特徴。 ガイド付きの場合、松島の開発背景やエコロジーへの取り組みなどの解説を聞くことができ、一味違った視点で街を理解できます。 * ペダルボート・小型ボートレンタル 時期や運営状況によっては、自ら操作できるペダルボートや手漕ぎボートを借りられる場合があります。家族や友人同士で自由に運河を巡りながら、写真撮影や水上散策を楽しめます。 * 特別イベント・貸切クルーズ 繁忙期や季節限定のプログラムとして、夕暮れのサンセットクルーズや夜景を楽しめるナイトクルーズなどを行うことも。貸切ボート(チャーター)プランがある場合は、誕生日や記念日のサプライズに最適です。 3. 施設情報・アクセス * 所在地 松島は、仁川市内で空港から比較的アクセスしやすく、ソウル中心部からも車・公共交通機関で約1~1.5時間ほど。松島の中心エリアにあるボートハウスへは、地下鉄やバスで「松島国際都市」駅周辺に向かい、さらに徒歩・タクシーなどで到着可能。 地図アプリ等で「松島コマリン ウェスト ボートハウス(英語表記:Songdo Comarine West Boat House)」と検索するとスムーズ。 * 営業時間・予約 営業時間は季節、天候、週末・祝日等で変動することがあり、荒天の場合は運休することも少なくありません。訪問前に公式サイトやSNSなどで確認するのがおすすめ。 チケットは当日購入が一般的ですが、繁忙期にはオンライン予約や電話予約が可能な場合もあるため、安心して利用したい場合は事前の問い合わせが望ましいです。 * 安全面・注意点 ライフジャケットの着用は必須。スタッフの指示や定員、コース規定を守るようにしてください。 飲酒しながらの乗船や無断で航路を外れる行為は通常禁止されています。利用規約をよく確認しましょう。 4. 松島を最大限に楽しむコツ * サンセット・夜景クルーズを狙う 夕方から夜にかけて、華やかなビルの照明が運河に映え、ロマンチックな雰囲気に包まれます。カップルや写真好きには特におすすめの時間帯です。 * 周辺施設との組み合わせ ボートハウス周辺にはショッピングモールやカフェ、レストランなどが多数存在。運河クルーズ前後に食事や買い物を楽しみ、徒歩圏内で未来的な街並みを散策するプランが人気です。 * グループでの利用 複数の小型ボートを借りて友人同士で回ったり、貸切クルーズを楽しんだりと、人数に応じた楽しみ方が可能。家族連れの場合は、子どもが安心して利用できるプランやサービスの有無を事前に確認するといいでしょう。 松島コマリン ウェスト ボートハウスは、先進的な高層都市と運河が調和する松島ならではの景観を、水上から余すところなく堪能できるスポットです。カジュアルなペダルボートから特別なイベントクルーズまで多彩なメニューが用意されており、周辺には公園やカフェが隣接しているため、家族や友人、カップルなど幅広い層に楽しみ方が存在します。 訪問前に天候や営業時間の確認を行い、運河をめぐる非日常的な時間と近未来的な街並みのコントラストを楽しんでみてはいかがでしょうか。

テーマ動物園ジュジュ(ZooZoo)(테마동물원 쥬쥬)
 
京畿道(高陽市)
テーマ動物園ジュジュ(ZooZoo)は韓国国内初の生きている動物専門の博物館として2002年7月開館して以来、コンクリートジャングルの中で暮らす子どもたちに、動物や自然を通じて最高の体験学習ができる場としてよく知られているところです。 既存の動物園では檻の中の動物を遠目に観ることが常ですが、このZooZoo動物園では動物が檻の外へ出てくるので来場者が直接動物に触ったりすることができます。 嫌がる人も少なくない全長5メートルを超えるミャンマーニシキヘビや爬虫類なども約60種・500匹あまり展示されており、直接触ったり、首にかけてみたりすることが出来るなどほかでは味わえない体験ができます。 また韓国原産の淡水魚が展示されている淡水魚研究館では淡水魚の生態や成長を観ることができる学習の場としてもご利用いただけます。 鳥類館には言葉をしゃべる九官鳥が「アンニョンハセヨ」「ハイ」「グッドモーニング」と訪れた人にしゃべりかけ出迎えてくれます。またタイハクオウムを直接肩に乗せてくれる体験もできます。 これ以外にもテーマ動物園自慢の特別な体験が出来るプログラムとして猿、子馬、ロバ、ヤギなどへの餌やり体験もできます。 動物園からちょっと離れるとストレス解消に向いた松林があり、そこには放し飼いになっているウサギがいて一緒に昼食をとることもできます。また涼しい噴水の水しぶきや水鳥たちがたわむれるかわいい姿が観られる水中生態公園で一休みするのもおすすめです。

雲門山郡立公園(운문산군립공원)
 
慶尚北道(清道郡 ) ,
雲門山(1,188m)は嶺南アルプスを形成している1,000級の7つの山のひとつです。山勢が雄大で木々が生い茂っており登山客が多く訪れる山です。頂上からの展望は南側の向かい側に天王山のススキ畑が見え、東側には加智山に続く稜線が見えます。ここには雲門寺をはじめ、大小様々な寺や庵子があります。 雲門寺 雲門山の北側の麓にある寺院で新羅真興王18年(557年)に神僧が創建し、円光法師、宝襄国師、円應国師、一然禅師が続いて修復をしてきました。壬辰倭乱の時に一部の建物が焼失しましたが、五百羅漢殿、観音殿などが昔の姿のままで保存されています。ここには宝物第193号である金堂前石燈をはじめ、7点を保管しています。すべて新羅・高麗時代のもので由緒正しい場所です。

寿昌青春マンション(수창청춘맨숀)
 
大邱広域市(中区) ,
地元の厄介者と見られていた廃墟が、市民みんなが楽しめる文化・芸術スペースに生まれ変わった寿昌(スチャン)青春マンション。大邱(テグ)広域市中区(チュング)寿昌洞(スチャンドン)にあるこの寿昌青春マンションは、旧・KT&G(旧韓国タバコ人参公社)煙草製造廠(工場)で働く職員用宿舎として使われていた集合住宅をリノベーションした文化芸術複合スペースです。 1976年から職員宿舎として利用されてきましたが、1996年にその役割を終え、20年以上もの間、使われず放置されていました。 この使われなくなった建物は2016年文化体育観光部の文化再生事業に選ばれたことで転換点を迎えます。 これまでこの建物が経てきた50年近くの歳月の痕跡を外壁に残しつつ、内部は若手アーティストのための活動の場として整備、新旧が共存するスペースとして再び生まれ変わった寿昌青春マンション。 寿昌青春マンションは、2年間の改修を経て、2017年12月「寿昌青春マンション」として正式に開館、2018年9月には大邱現代美術家協会による寿昌青春マンションの受託運営を開始し、2018年11月3日再スタートを切りました。 ただ古びた建造物として長きに間放置されていた寿昌青春マンションは、今では大邱地域の若手アーティストのアート活動拠点として利用されています。 [出典:寿昌青春マンション]

原州郷校(원주향교)
 
江原道(原州市) ,
高麗・仁宗(インジョン)の時代に賢儒の位牌を奉安・合祀し、地方に住む民の教育や教化のため創建された原州郷校(ウォンジュヒャンギョ)。 1422(世宗4)年に地方行政機関の長・監察使の下で担当する区域を治めた文官・牧使(モクサ)の申浩(シン・ホ)が重建、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時に全焼した後、1603(宣祖36)年に李澤(イ・テク)が大成殿を重建しました。 1609年、牧使・任就正(イム・チジョン)が明倫堂と東斎・西斎を復元し、1632(仁祖10)年には李培元(イ・ベウォン)が増築を行いました。 韓国戦争(1950-53年・休戦)の際、建物の一部が破壊され、現存する建物としては大成殿、明倫堂、西斎、三門などがあります。 大成殿には五聖、宋朝二賢、韓国の十八賢の位牌を祀っています。朝鮮時代には国から土地と典籍・労費などの支給を受け、教官1人が定員40人の教生を教えましたが、朝鮮時代末期の改革の甲午改革以降、新学制実施により教育的機能は失われ、それ以降は春・秋に儒教の先哲を祀る釈奠祭を行い、毎月1日と15日には焼香を行っています。 江原道文化財資料第98号に指定されており、郷校の運営は典校1人と掌議数人によって行なわれています。

慶熙宮 崇政殿(경희궁 숭정전)
 
ソウル(中区)
崇政殿(スンジョンジョン)は元々、慶熙宮(キョンヒグン)の正殿であった建物です。 慶熙宮は元来、朝鮮時代の第16代の王・仁祖(インジョ・1595~1649年)の実父で第14代の王・元宗(ウォンジョン・1580~1619年)の私邸であった場所でした。 崇政殿は、1910年日帝が慶熙宮を壊し日本人の子弟のための学校・京城中学校を設立した際にも残されました。 その後の1926年にソウル中心部の南山(ナムサン)の麓・筆洞(ピルドン)、現在の東国(トングク)大学校の場所で曹渓寺(チョゲサ)の本殿として使うため、移築されました。 日本の植民地支配から解放された1945年の光復(クァンボク)後、東国大学校設立に伴い、1976年9月、現在の位置に再び移築されました。現在は仏教の儀礼を行えるよう内部が造り変えられています。

旧工業伝習所本館(구공업전습소본관)
 
ソウル(鍾路区) ,
ソウル特別市鍾路区(チョンノグ)の大学路(テハンノ)にある韓国放送通信大学本館の建物。この建物は大韓帝国時代、工業伝習所本館として建てられた建物です。 この建物は大韓帝国の財務を総括する官庁・度支部(タクチブ)の建築所が設計、日本人の吉田謙造が施工を担当し、1907年着工、翌1908年に竣工しました。 工業伝習所は大韓帝国(1897~1910年)時代、商工業振興政策の一環としてて設立され、染織、製織、製紙、金銀細工、木工などの近代技術を教育する機関でした。 工業伝習所は1906年に発足し、元々貨幣の造幣を行っていた典圜局(チョナングク)機械試験所があった東崇洞(トンスンドン)の敷地を確保し、本館及び付属の建物を建築しました。 工業伝習所は1910年の日帝強占期(1910~1945年)がはじまると、統監府所管から朝鮮総督府所管となり、1912年中央試験場が設置されると中央試験場付設の機関となりました。つづいて1916年4月に創設された京城工業専門学校にその流れは引き継がれ、工業伝習所としての時代に幕が下ろされました。 旧・工業伝習所本館の建物は2階建てのルネッサンス様式の建物で、左右対称をなすH字型をした木造建物です。 大韓帝国時代に建てられた木造建築としては唯一その原型を良好な状態で留めている建物で、大韓帝国度支部が設計した数少ない現存する建物としても歴史的価値が高い建物となっています。 * 面積 - 999平方メートル