仁川チャイナタウンジャージャー麺通り
 
仁川(中区)
1905年に今のチャイナタウンに中華料理店の共和春がオープンしたことにより、仁川ジャージャー麺通りの歴史は始まりました。以後、中華楼や東興楼などがオープンし次第にジャージャー麺通りの姿が整い始めました。こうして中華料理店がひとつふたつと増えていき中華街が作られていくかと思った矢先、1970年代に入ると通りの活気がなくなっていきました。通りの活気を取り戻すために商人たちはジャージャー麺などの単純な食べ物だけでなく中国の酒や中国のパンや饅頭も売り始めました。人々が選択できる料理の幅が広がったことで再びこの通りに活気が戻りメディアにも取り上げられるようになりました。現在では中国式の装身具や生活用品なども売られています。週末になると通りがいっぱいになる程に人々が集まり、異国的な雰囲気の漂うこの通りで写真を撮る人々の姿も多く見られます。 この通りで有名な料理と言えばもちろんジャージャー麺とチャンポンが挙げられます。ジャージャー麺は一般的なジャージャー麺もあれば昔の中国式のジャージャー麺もあり、さらにはサツマイモジャージャー麺など新たに開発されたジャージャー麺もあります。ジャージャー麺やチャンポン以外にも各店舗ごとに特色ある中国の料理を提供しているため、ジャージャー麺やチャンポンと一緒に各店舗の代表メニューとされている料理を何か一つ味わってみるのも良いでしょう。

華西門
 
京畿道(水原市)
華城の西門で宝物第403号です。石垣で出来た門の上に断層門楼が建てられており、八達門の甕城とは違って、半円形の片側が開かれた形になっています。水原市のマークはこの華西門(ファソムン)をモチーフにデザインされています。

禅雲山道立公園
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
禅雲山(ソヌンサン)では、椿や桜の花、涼しげな渓谷、鬱蒼と生い茂る森、色とりどりの紅葉、荒々しい断崖絶壁、白い雪に覆われた風景など、四季を通して美しい景色が見られます。禅雲山には1500年の歴史を持つ禅雲寺もあります。

レッツランパーク済州
 
済州道(済州市 )
アジアのハワイと呼ばれ、太古の神秘を今に受け継ぐ済州。そんな済州に1990年、韓国の競馬を取り仕切る韓国馬事会によって済州競馬場がオープン、2014年「レッツランパーク済州」と名称変更されました。 レッツランパーク済州は、雄大で荘厳且つ、ゆるやかな曲線美を備えた漢拏山の中腹、美しい景色を背景に、他ではみられないチョランマル(済州ポニー)によるレースを見ることができ、済州の新たな一面に触れることができる場所として脚光を浴びています。特に、真夏の夜の暑さを吹き飛ばしてくれる済州夜間観光の白眉といえるナイトレースでは、照明塔から放たれる銀灰色の明かりや人工の滝、軍馬像など、ロマンチックで幻想的な雰囲気を味わえます。 設立目的 天然記念物第347号に指定されている済州島の在来種「済州馬」を保護・育成し、済州島の畜産産業および観光振興を通じて地域社会の発展に貢献する。 済州馬の紹介 済州の山間地域で半野生の状態で生息し、長い歳月もの間済州島の環境に適応してきた小型の馬です。自然環境に対する優れた適応能力と持久力があり、済州島民を比喩表現する際に用いられるなど、済州のシンボルとして広く知られています。現在では、交通手段や農業機械の発達などにより、頭数が急激に減り、天然記念物第347号に指定されています。

望遠高水敷地
 
ソウル(麻浦区)
望遠高水敷地は元曉大橋と城山大橋の間の江辺北端に位置しており、麻浦区と隣接しています。 水辺には芝生が造成されており、散策路など憩いの空間として利用できます。また、望遠高水敷地では夏にはプールを始め、ウィンドサーフィン、水上スキーモーターボートなどが楽しめ、冬には雪ソリ場が造られ、たくさんの人々で賑わいます。また、周辺に望遠亭や切頭山聖地などの文化遺跡地もあります。 特に、望遠高水敷地はワールドカップ競技場や仁川国際空港などとつながっており、簡単に訪れることができます。

飛竜瀑布
 
江原道(束草市)
飛竜瀑布(ピリョン・ポッポ)は水の流れ落ちる音が大きく雄壮な滝。流れ落ちる水が天に昇っていく竜のように見えるため飛竜瀑布と言われています。松林を通り抜ける割と広い散策路に沿って行くのがいいでしょう。人気の観光スポットである千仏洞渓谷の下流である双川にかかる飛竜橋を渡って左に30分ほど歩けば6つの滝や池からなる六潭滝にたどり着きます。そして更にここから300mほど登れば、狭く険しい谷間の絶壁の間に約150尺にもなる飛竜滝を見ることができます。飛竜滝から急な岩道をすこし登り土旺谷(トワンゴル)に沿って行けば、三段から成る大きな土旺城(トワンソン)瀑布に着くが、道がとても険しいため一般人の立ち入りは規制されています。

ナヌリ病院
 
仁川(富平区)
仁川広域市に唯一ある保健福祉部指定の脊髄専門病院です。

清涼里駅
 
ソウル(東大門区)
「清涼里(チョンニャンニ)駅」は、1911年10月15日に普通駅として運営が開始され、1938年5月1日に東京城駅に改称されましたが、1942年6月1日に清涼里駅に再び改称されました。1950年6月26日に韓国戦争(朝鮮戦争)により駅舎が焼失してしまいましたが、1959年11月6日に駅舎が新築され、1977年12月10日には京春線専用の駅舎が建てられました。2006年5月に民資駅舎工事が着工し、2010年3月5日に駅務棟が新駅舎に移転し、2010年8月20日に地下乗り換え通路の開通および商業棟の営業が開始しました。