信島
 
仁川(甕津郡) ,
仁川広域市の北西14km、江華島から南側に5km離れた場所にある島で、面積6.92㎢で海岸は全長16.1kmです。「信島」という地名は、ここに住んでいた住民たちが誠実で純朴だという意味から由来しています。塩を生産しているため、真塩とも呼ばれています。クボン山の頂上からも永宗島など黄海の島々を一目で見下ろせます。また1992年に矢島まで長さ579mの連島橋が設置されました。 島の北側と南側には2つの山地が立っていて、南西部に大きな湾入があり、島の周囲を広く干潟地が囲んでいます。境地面積が比較的広く、住民の大部分が農業を営んでいます。海辺にはハゼや貝などが多くとれ、糖度が高い葡萄が栽培されています。東側に坪村、南西側に皐南里、南西側海岸に九老池などの村がありますが、全て基地漁業を営んでいます。 矢島・茅島とともにカラシラサギやウミネコなど稀少な種類の生息地として知られています。

海南恐竜博物館
 
全羅南道(海南郡 ) ,
海南牛項里は1992年に韓国資源研究所の地質学件調査中、恐竜の足跡が最初に発見されて以来、海南郡の発掘努力によって1996年の基礎調査、1997~1998年の総合学術調査を行い、現在の姿になりました。また、学術調査の内容を土台にして世界的な恐竜の足跡(化石)の権威者達をアメリカやイギリス、カナダから招請してその価値を認められました。このような資料を土台に2回にわたって国際学術シンポジウムを開催してその結果、この地域の化石の重要性をさらに高める機会となりました。 天然記念物第394号の海南牛項里恐竜の化石地であるここは単純な化石地としての価値だけではなく地質史の多くのカギとなる重要な自然遺産です。海南郡ではこのような自然遺産を青少年達に見せ、体験することのできる空間を準備し、牛項里恐竜化石自然史遺跡地としました。

東江
 
江原道(寧越郡)
東江(トンガン)は江原道一帯を流れる南漢江のひとつの支流で、旌善から寧越まで流れる約60kmの区間を指します。ここは現在も汚染されていない自然が残っていますが、これは水の流れが速く、周辺の山並みが険しいため人の立ち入りが困難だったため。今でも蛇行するように流れる東江沿いには絶壁があり、カワウソやオシドリ、ほととぎすを始めとする見る機会の少ない動植物を見るため多くの観光客が訪れています。また代表的な名所としては朝鮮6代王の端宗が幽閉され17年の歳月を過ごした青嶺浦やラフティングのコースとして人気の魚羅淵渓谷などがあります。

パンチボウル
 
江原道(楊口郡) ,
楊口郡北東側約22kmの亥安面に位置した、海抜400~500mの高い地帯に発達した盆地です。 その周囲がまるでフルーツポンチ(Punch)の器(Bowl)の様だったため、このように呼ばれ始めました。 このような特殊な地形になった理由に関し隕石衝突説や差別侵食説がありました。 しかし隕石の破片などは発見されておらず、またパンチボールの花崗岩は長石71%、石英22%、雲母5.7%で構成され、長石は石英や雲母に比べてはるかに風化度が高く、常温でも急速に粘土化されるため、風化抵抗性が強い現在の高い地帯より低地帯が先に侵食されてこのような特異な盆地形態を作ったと考えられ、侵食説が有力だと言われています。 江原道楊口郡亥安面は韓国で唯一南北の統制域内にある居住地域で現在6つの集落に470世帯1,700人余りが居住しています。 大岩山をはじめとするこの一帯は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、パンチボール戦、兜率山戦、カチル峰戦があった激戦地で現在戦跡碑がいくつも立てられています。 また今でもあちこちに「地雷」という札があり、当時の状況を物語っています。 戦時中は激戦区だったパンチボールと大岩山も休戦後、民間の出入りが統制され自然環境がそのまま残り、天然記念物のオオイワナなどをはじめサギ草や毛氈苔(モウセンゴケ)など多くの貴重な動植物が生息しています。 海抜1,300mに残る韓国唯一の高層湿原である龍沼は数千年前の生態系を今も保ち、現在自然生態系保護のため天然記念物246号にも指定されています。 またこの地域は地帯が高い盆地形態をしているため、高品質の高冷地野菜やユリの花の生産地 としても有名です。 盆地の北西側には1990年3月に発見された第4トンネルが位置し、第1、2、3トンネルとは異なり電車に乗車し観覧することができます。 韓国の最前方カチル峰の尾根にある乙支展望台は金剛山や昆盧峰など内金剛の4つの峰を見ることができる保安教育の場として重要な役割を果たしています。 第4トンネルは個人での見学には事前の手続きが必要なエリアですが、シティツアーに参加すればガイドが手続きを代行してくれます。

龍泉洞窟[ユネスコ世界自然遺産]
 
済州道(済州市 ) ,
龍泉(ヨンチョン)洞窟は済州島溶岩洞窟のもっとも典型的な形態を見せる大型洞窟(全長約2470.8m+α)で、約140mの長さの溶岩をはじめ、溶岩断面、溶岩棚、溶岩滝などの微地形及び生成物が特徴的であり、発達している。特に、鍾乳鉱、鍾乳石、石柱、石筍、洞窟珊瑚、洞窟真珠など炭酸塩による生成物が多種多様に発達しており、大規模の洞窟湖があるなど特異な溶岩洞窟として学術的、景観的にも非常に価値のある洞窟となっています。その他にも土器類、動物の骨、鉄器、木炭など外部の流入物質が幅広く分布しており、洞窟としての価値をさらに高めています。 *数量/ 面積-477,519平方メートル *時代-先史時代 *所有者-国・公有、私有 ※拒文オルム溶岩洞窟系において世界自然遺産に指定された洞窟はペンディ窟、万丈(マンジャン)窟、金寧(クムニョン)窟、龍泉(ヨンチョン)洞窟、そしてダンチョムル洞窟です。現在、万丈窟以外は出入りできません。

元堂種馬牧場(レッツランファーム元堂)(원당종마목장
 
京畿道(高陽市)
京畿道高陽市にある元堂種馬牧場は競馬用の馬を飼育している牧場で、1997年に一般に開放されてから、毎年訪問客が増え続けています。種馬牧場への道は、気軽に散歩できるように整備されており、だだっ広い草原や丘で草を食べる馬ののどかな風景を楽しむことができます。映画「角砂糖」をはじめとする各種CMのロケ地としても知られています。 また、放牧された馬にさわってみるユニークな体験ができるほか、近くのベンチに座り、ゆっくりくつろぐこともできます。種馬牧場の横には睿陵、孝陵、禧陵の西三陵や元堂ハーブランドがあります。

墨湖灯台
 
江原道(東海市) ,
墨湖港は1941年8月11日に開港し、無煙炭中心の貿易港の役割をすると共に漁港としても発展し今日に至っており、墨湖灯台は1963年6月8日に建てられ航海する船舶の安全運航に寄与しています。海抜高度67mのところに立つ墨湖灯台は高さ12mの2階建ての構造になっており、春になるとレンギョウの花が華麗に咲き誇り海を眺望することのできる小公園が造成されています。小規模の海洋水産広報館は海洋水産の変遷史を伝えており、小公園はここを訪れた観光客と地域住民たちに見どころと安らぎの休息空間を提供しています。特に墨湖公園の小公園には1968年のチョン・ソヨン監督作の映画「憎くてももう一度」の主要ロケ地であることを記念するために2003年5月に「映画の故郷」記念碑が建てられました。墨湖灯台は墨湖地域の海岸地域の最も高いところに位置しており海から容易に灯台を識別できるようになっており、2003年10月に設置された韓国国内技術をもって開発されたプリズムレンズ回転式大型燈明機の光は42km先からも識別が可能です。灯台から海を見下ろしながら歩いていく散策路には吊橋が掛かっており、2009年に放送された大人気ドラマ「華麗なる遺産」のロケ地となりました。 墨湖灯台は、地域住民たちと観光客たちに見どころと安らぎの休息空間を提供するために2007年に海洋文化空間として手を加えられたことで観光客が沢山訪れる名所となりました。また一味違ったみどころを提供するために色とりどりの光を演出するLED照明灯を設置し、夜間に美しい光を演出しています。 墨湖魚市場の向かい側から伸びている灯台上り坂の道は、路地ごとに住民たちが書いた詩や絵が壁に描かれています。  

清州中央公園
 
忠清北道(清州市 ) ,
* 文化遺跡とともに憩いのひとときが過ごせる空間、清州中央公園 * 古の時代から清州(チョンジュ)の地形は清州の街を南北に流れる無心川(ムシムチョン)に浮かぶ船のような形をしていることから、舟城(チュソン)と呼ばれていました。清州のど真ん中といえる南門路2街にある龍頭寺址鉄幢竿(ヨンドゥサジチョルダンガン)はその舟を安定させるため立てた帆柱とも言われています。 清州中央公園は全州市の真ん中にあり、園内には鴨脚樹や忠清道兵馬節度使営門、望仙楼という歴史的な遺跡が数多くあります。 兵馬節度使営門は木造二階建ての楼閣で、正面3間、側面2間の翼工系八角屋根の建物となっており、有形文化財第15号に指定されています。 その前には樹齢およそ1000年と推定されるイチョウの木・鴨脚樹や趙憲(チョ・ホン)先生と霊圭(ヨンギュ)大師を称える碑、朝鮮時代末期の義兵長・韓鳳洙(ハン・ボンス)の頌功碑、同じく朝鮮時代末期の義兵長・朴春茂(パク・チュンム)の碑などがあります。 清州中央公園は全州市の中心にある市民の憩いの場所で、市民を対象としたさまざまなコンサートやイベントが開催されています。 公園内には樹齢およそ1000年のイチョウの木・鴨脚樹(忠清北道記念物第5号)や木造2階建ての楼閣・忠清道兵馬節度使営門(地方有形文化財第15号)、趙憲戦場記蹟碑(地方有形文化財第136号)、清州斥和碑(地方記念物第23号)など記念物や有形文化財が多数あります。 * 清州中央公園にあるイチョウの木の伝説 * 清州中央公園にある銀杏の木は葉っぱの形が鴨の足のような形をしていることから、鴨脚樹という名前が付けられています。 またこのイチョウの木にはこんな言い伝えもあります。 高麗時代末、恭譲王(コンヤンワン・在位1389~1392年)の時代、尹彛(ユン・イ)と李初(イ・チョ)がその後朝鮮王朝を打ち立てることになる李成桂(イ・ソンゲ)一派を排除するため、中国の明に出向き、李成桂が恭譲王とともに明を討とうとしていると嘘の話を伝えました。この一件が原因で、李穡(イ・セク)、権近(クォン・グン)などが清州獄に捕らえられ尋問を受けるといなや、豪雨が降り、清州の城内が洪水に見舞われてしまいます。獄のそばには大きな木があり、罪をかけられたその人々が洪水を避けるためこの木に上り、命からがら生き残ったという言い伝えがあり、その木がこの鴨脚樹だったと言われています。 [文化財情報] 忠清道兵馬節度使営門(地方有形文化財第15号)、鴨脚樹(忠清北道記念物第5号)、望仙楼(地方有形文化財第110号)、趙憲戦場記蹟碑(地方有形文化財第136号)、清州斥和碑(地方記念物第23号)