牛耳洞渓谷
 
ソウル(江北区) ,
北漢山(プカンサン)と道峰山(トボンサン)の間にある渓谷一帯を牛耳洞(ウイドン)渓谷と呼んでいます。 牛耳洞という名称は、漢川(ハンチョン)の支流のソギィネ(牛の耳の川の意)が渓谷に流れて込んでいることから由来した地名で、牛耳という名前は「北漢山の白雲台(ペグンデ)や仁寿峰(インスボン)の頂が牛の耳のように見える」ということから付いたといわれています。 牛耳洞渓谷を中心に道峰山側にはソウルの名刹・道詵寺(トソンサ)があり、道峰山や北漢山に登るコースがここからも始まります。

高山自然休養林
 
全羅北道(完州郡) ,
高山面五山里にある高山自然休養林は、山林浴が楽しめる家族休養地として注目されています。春にはツツジやヤマザクラなどの花が満開になり、夏には青々とした森と渓谷を流れる清らかで冷たい水が暑さを忘れさせてくれます。また、秋に山を真っ赤に染める紅葉はまさに圧巻で、冬の雪景色も見逃せません。

浮石寺
 
忠清南道(瑞山市 ) ,
忠清南道瑞山島飛山の麓にある浮石寺は、忠清南道文化財資料第195号に指定されている新羅時代の寺院です。 瑞山浮石寺は、 慶尚北道栄州にある同じ寺名の浮石寺ほど有名ではありません。規模が小さく、歴史的記録は多くありません。新羅文武王17年(677年)義湘大師によって建てられ、その後、朝鮮時代に無学大師が立て直しました。 1330年に浮石寺で造成された美しい金銅観音菩薩坐像が、現在日本の対馬島観音寺にまつられています。 現在、浮石寺に現存する建物で大きい法堂である極楽殿を中心に、寮舍寨(僧侶が生活する建物)である牧竜荘と尋剣堂が並んでおり、向かいには安養樓があります。また、法堂の左側に行くと山神閣があり、浮石寺の庭先から島飛山の登山路入口付近に石塔が立っています。 島飛山頂上まで上がると、看月島と安眠島を越えて広がる西海と内陸の伽揶山が眺められる美しい景色を楽しむことができるため、多くの観光客たちから脚光を浴びています。

郡立青松野松美術館
 
慶尚北道(青松郡 ) ,
慶尚北道青松郡珍宝面にある新村里にある郡立青松野松美術館(チョンソンヤソンミスルグァン)は、青松郡が設立した美術館で、2005年4月29日にオープンしました。 青松出身の画家である野松 李元佐が所蔵していた韓国画や陶芸作品350点、国内外の有名画家および彫刻家たちの作品50点あまり、美術関連の書籍1万冊あまりが寄贈され、廃校になった新村小学校を改造して大・中・小展示室、美術図書館、美術教育場が作られ、常設展示と企画展示、美術教育講座が運営されています

山清伝仇衡王陵
 
慶尚南道(山清郡 ) ,
伽倻10代目の王である仇衡(クヒョン)王の墓であると伝えられている積石塚で、仇衡王は金庾信の曽祖父にあたります。521年に伽倻の王になり、532年に新羅の法興王に領土を奪われるまで11年間在位しました。普通の墓とは違い、丘の傾斜しているところに高さ7.15mの基壇式石段が組まれています。前から見ると7段で、後方は傾斜を利用して作られているため、平地でピラミッド式に層が作られたものとは違っています。墓の頂上は楕円型になっており、墓の中央には「駕洛国譲王陵」と書かれた碑石があります。

華城恐竜卵化石地
 
京畿道(華城市) ,
この場所は、2000年3月21日に国家指定文化財「天然記念物第414号」に指定されました。1999年4月25日、華城市松山面古井里一帯で行われた始華湖(シファホ)干拓地の陸地化における生態系及び地盤振動の基礎調査中に湖の南方干拓地で発見されました。海水準が低下する前は、まだ島だったこの一帯は、中生代・白亜紀(推定1億年前)に形成された堆積層で、恐竜の卵は、始華湖の海水が引いたことで、陸化した島の表面が風化や侵食によって削られた地表から主に発掘されました。これまで調査された12の地点からは、30の巣から200個ほどの恐竜の卵が発見され、干潟一帯への精密調査が行われれば、さらに多くの化石が発見されることと期待されています。 恐竜の卵は、そのほとんどが赤黒い球形を帯びています。卵の表面を見ると、小さな穴が見えますが、これにより胎児は二酸化炭素、酸素、水分を交換したと考えられています。恐竜の卵には、他の卵に比べて、こうした気孔が多く見られますが、これは、恐竜が生息していた中生代の気候に関係があるとされています。当時は今よりも平均気温が高く、極地でも氷河がなかったほど温暖多湿であったため、酸素をたくさん得るために、卵の表面にはたくさんの気孔が必要だったと考えられています。 しかし、この気孔は呼吸作用には有利である反面、水分保護には弱いため、恐竜は地面に穴を掘り、卵を産んだ後、砂などで卵を埋め、水分の損失を防いだとされています。 一方、恐竜の卵の化石は、上部が割れているものがほとんどでした。このうち、卵の破片が殻の中に入っている場合は、孵化する前に他の動物に食べられたもの、破片が殻の中にない場合は、孵化したものだと推定されます。 また、砂などと一緒に殻の破片が卵の中から発見されたものは、堆積物の急な堆積により、孵化する前に割れたものだと考えられます。 これまで発見された恐竜の卵は、殻の断面から、尾の長い4足歩行の竜脚類やハドロサウルス科の鳥脚類の卵であると推定されます。 この一帯は、恐竜の卵の他にも沼地の葦などの珪化木や生痕化石などが大量に発見されました。また、植物化石などが恐竜の卵と一緒に発掘されたため、恐竜のエサや産卵場所の環境の推定が可能となりました。 華城での恐竜の卵の化石発掘は、恐竜の足跡だけに依存していた韓国の古生物学界において、次元の高い恐竜研究の本格化と世界的な恐竜化石発掘地域としての権威向上など、センセーションを巻き起こす結果となりました。

鴨緑遊園地
 
全羅南道(谷城郡 ) ,
蟾津江と宝城江が合流する起点で、3万坪以上の広い白い砂浜が広がっており、夏季の避暑地として広く知られている自然の遊園地です。夏は蚊がいないため、家族でのキャンプ場として注目を集めており、半月橋と鉄橋が並んで川に伸びている光景は、趣に溢れています。宝城江下流には有名な釣りの名所があり、特に釣り好きの間で人気を集めています。川辺には鴨緑の名物であるチャムゲタン(上海蟹スープ)、鮎焼き、メウンタン(魚の辛味スープ)を味わうことのできる郷土料理店が軒を連ねており、また別の楽しみがあります。さらに、ここ鴨緑遊園地には「蚊伝説」が伝わっており、「姜邯賛将軍が母を連れ旅行をしているときに、この地鴨緑遊園地で野宿をしたのだが、蚊のせいで母が眠れなかったので、姜邯贊将軍が叫び声をあげ蚊の口を封じた」といいます。そのようないわれから、あるいは蟾津江の涼しい川の流れのためか、他の地域に比べ夏に蚊が少ないと言われています。

大屯山自然休養林
 
忠清南道(錦山郡 ) ,
深い渓谷や天然広葉樹林などの自然と人工造林地が共存する場所。近隣には大屯山道立公園や太古寺があり、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、兵糧を確保するため湖南進出を狙う外敵を休養林内にある渓谷におびき出し、火攻で殲滅したという功績を賛えるための梨峙大捷碑もあり、別名「チジミゴル」とも呼ばれています。

温陽温泉駅
 
忠清南道(牙山市 ) ,
温陽温泉駅は慶南鉄道株式会社のもと1922年6月1日普通駅として営業を開始しました。幾度かの駅舎新設の移転を繰り返し2008年9月2日には天安~新昌間の複線の運行が開始しました。また2008年12月15日には首都圏電鉄開通され、2009年6月1日にヌリロの運行も開始(2009年7月1日増便運行)しました。