墨湖駅
 
江原道(東海市) ,
墨湖駅は東海市発翰洞に位置し、1941年に開港した墨湖港(2.3km)および1.4kmにおよび砂浜が続く望祥海水浴場(6km)に隣接した駅です。海岸道路沿いには刺身タウンがあり、新鮮なお刺身を楽しむことができます。墨湖駅は1961年に運営を開始し、1988年12月15日に現在の駅舎が竣工しました。

防竹浦海水浴場
 
全羅南道(麗水市 ) ,
防竹浦海水浴場は、突山島の東側の海岸にくぼんで位置する海水浴場です。波が強くなく穏やかで、砂浜には金色に輝くきれいな砂が広がっています。周囲には約200年の樹齢を誇る150本あまりの海松が青々とした森をなしており、海辺であるにもかかわらず地下水が豊富です。また、周辺の岩場は海釣りポイントとして知られており、さらに日の出の名所でもあると同時に韓国四大観音道場のひとつである向日庵へと向かう道に位置していることから交通の便も便利です。

莞島漁村民俗展示館
 
全羅南道(莞島郡 ) ,
全羅南道莞島郡莞島邑花興浦口の近郊にある「莞島漁村民俗展示館」は漁村展示館です。花興浦口は莞島と莞島周辺の島に続く交通の要所として展示館周辺には多島海海上国立公園、清海鎮水石公園などの観光地が多くあります。また、文化観光祭りである「張保皐祭り」がここを中心に行われます。

康津永郞生家
 
全羅南道(康津郡 ) ,
永郞金允植は1903年1月16日(陰暦1902年12月18日)にここで生まれました。幼い頃はチェジュンと呼ばれていましたが、ユンシク(允植)と改名をしました。「永郞」は雅号で文壇活動時代は雅号を使用していました。永郞は1950年9月29日に亡くなるまで約80作品の詩を発表しました。その中で60余作品が光復前の創始改名と神社参拝を拒否してここで生活をしながら書かれた作品です。 永郎の生家は1948年に永郎がソウルに移った後に何度か転売されましたが、詩の素材になった泉、椿、甕、柿の木などは残っていて、牡丹もたくさん植えられています。面積は生家一帯で4,422平方メートルです。

床足岩郡立公園
 
慶尚南道(固城郡 ) ,
床足岩郡立公園(サンチョガム・クンリプコンウォン)は、南海岸の閑麗水道を一目で見渡すことができ、また海辺にある広い岩盤と奇岩絶壁が渓谷を形成した自然の景観とが局地を成しています。固城郡は天恵の石宝、床足岩と中生代白亜紀に生息していた恐竜の足跡がはっきりと残っている、非常に貴重な場所として、1983年11月10日に郡立公園に指定しました。青少年修練院前にある海水浴場には、常に押し寄せる潮水に洗われて丸く磨り減った小石が敷きつめられており、恐竜の足跡がある広い岩盤の向こうにある山は、全面が層岩断崖(地層が見えたような絶壁)となっています。また岩壁の奥には東西に細長く伸びている岩窟があり、その姿がちゃぶ台のような形をしているということから「双足」などと呼ばれています。高低差がある岩窟の内部には、奇妙な形をしたたくさんの石があり、それぞそれの石には、いろいろな伝説が伝えられています。太古に仙女たちが地上に降りてきて、石織り機で天帝に捧げる錦の服を織ったと伝えられている場所は「双足窟」と呼ばれており、また仙女たちが入浴した場所は「仙女湯」と呼ばれています。現在でも織り機の形や風呂の形をした水溜りが、洞窟の中に存在しています。その周辺にはロウソクの燭台の形をした燭台岩と、屏風の形をした屏風岩があり絶景を成しています。また、観光遊覧船が統営郡蛇梁島の間を水しぶきを上げて通り過ぎ、目の前に広がる閑麗水道の四季の美しさは人々を魅了し、一年中観光客の足どりが絶えません。双足岩の一帯に存在する恐竜の足跡の化石周辺では、神秘の世界を感じることができ、ブラジル、カナダと共に世界三大恐竜遺跡地として数えられています。この恐竜の足跡は、映画「ジュラシックパーク」で更にその名を知られるようになったブロントサウルス、ブラキオサウルス、アロサウルスなどの足跡です。これらの恐竜の足跡は、人類が地球上に出現するよりずっと昔の神秘の世界を体験することができる貴重な資料として、天然記念物第411号に指定されています。

鎮海駅
 
慶尚南道(昌原市 ) ,
鎮海駅は1905年10月21日、三浪津と馬山を繋ぐ慶全線の開通を機に、1921年10月10日着工、1926年11月11日に開通した駅です。軍需物資取扱危険区域としての機能が根強いですが、毎年4月になると桜祭りが開かれ、軍港祭を機に観光客が急増するなどの特徴があります。 また、鎮海駅は、産業、海洋、港湾、観光インフラの整った希望と発展の都市として、東北アジアでも美しい港があることで広く知られています。

法興寺
 
江原道(寧越郡) ,
新羅真徳王647年頃、慈蔵律師によって創建され、「獅子山寺」と呼ばれていましたが、1939年重修仏事の際、獅子山寂滅宝宮に改称し、仏様の真身舍利を奉安した5大宝宮のうちのひとつです。舍利塔の横には、慈蔵律師が修道した土窟があります。 法興寺は、新羅時代、慈蔵律師が釈迦の真身舍利を奉安して創建した法興寺のお寺です。 当時、澄曉大師は、唐の国で文殊菩薩の真身舍利100課を得て、梁山・通度寺、五台山・上院寺、雪岳山・ 鳳頂庵・精選正岩寺などに分けて奉安し、ここに寂滅宝宮型法堂を建てました。法興寺は、これら5大寂滅宝宮の内の一つで、澄曉大師は、法興寺寂滅宝宮後方の山に仏陀の真身舍利を奉安したと言います。そのため寂滅宝宮の中には、仏陀の三尊仏がなく、後方にぽっかりと開いた窓だけが一つあります。これは山全体が仏陀の体だと伝える法興寺寂滅宝宮と言う意味を指していると言います。 法興寺は一時約2千人の修道僧が雲集した大きな伽藍でしたが、数回にわたる火事によって寺が全焼してしまい、現在は寂滅宝宮と心友場、ヨサチェ、寧越興寧寺澄曉大師塔碑、慈蔵律師が修道した土窟が残っています。 法興寺から寂滅宝宮につながる松森の道は、韓国でも有数の景勝地の内の一つです。 寺に入る一本道の松林が壮観で、寺の前に小さな峰が幾重にもつながった九峰台もやはり絶景です。