国立仁川海洋博物館
 
仁川(中区)
国立仁川海洋博物館:韓国の海洋遺産に触れる特別な一日 1. 概要 仁川(インチョン)の海辺に位置する国立仁川海洋博物館は、韓国の海洋史・技術・文化を深く体験できる総合博物館です。古くから海との関わりを大切にしてきた韓国の歴史や最先端の海洋研究まで、多彩な視点で海洋国家としての歩みを紹介しています。 2. 主要展示と見どころ * 歴史・文化エリア 伝統漁法から船舶の変遷、航海にまつわる逸話など、韓国が海とともに育んできた文化を豊富な資料とともに学べます。古代から近代までの海洋史を俯瞰できる貴重な展示は、海洋好きの方はもちろん、初めて訪れる方でも興味を引かれるはずです。 * 海洋科学・テクノロジー 韓国の造船技術や海洋開発の最前線を紹介するコーナーでは、インタラクティブな映像や模型などを通じて、環境保護や持続可能な海洋利用の取り組みも分かりやすく解説。お子様連れでも楽しめる参加型展示があるのも魅力です。 3. 建築と景観 博物館の外観はモダンなデザインを取り入れつつ、大きな窓や開放的な空間設計が印象的。館内からは仁川の港や海辺の風景が広がり、まるで海と一体化するかのようなロケーション。海をテーマにした美術作品や、韓国ならではの航海文化が随所に散りばめられており、散策するだけでも十分に楽しめます。 4. 観覧情報 * アクセス 市内の主要駅やバス停からの公共交通機関、タクシー、レンタカーなど、さまざまな手段で訪問可能。最新のルートや時刻は公式ウェブサイトや現地案内をチェックするのがおすすめです。 * 開館時間・チケット 季節やイベントにより変動する場合があるため、訪問前に必ず最新情報を確認してください。展示によっては別途入場料が必要な場合もあります。 * 施設案内 休憩スペースやカフェ、ミュージアムショップなどがあり、ゆったりと過ごせる環境が整っています。ガイドツアーを利用すれば、展示の背景をより深く理解できます。 5. 周辺観光スポット * 松島(ソンド)エリア 近未来的な都市開発が進むソンド国際都市で、巨大なビル群やエコを意識した公園など、最先端の街並みを散策できます。 * チャイナタウン & 開港場通り 西洋や中国文化が入り混じる歴史地区。異国情緒あふれる建築やグルメを楽しめるほか、近代韓国の開港史に触れられるスポットも点在。 * 月尾島(ウォルミド) 遊園地や海辺の散歩道、海鮮料理店が連なるリゾート感漂う島。家族連れやカップルに人気のレジャースポットです。 6. 訪れるべき理由 * 韓国の海洋文化を丸ごと体感 国立仁川海洋博物館では、韓国人の生活や歴史に深く根付く“海”との関わりを包括的に学べます。 * ファミリーにもおすすめ 体験型の展示や参加ワークショップが充実しており、大人から子どもまで幅広く楽しめる内容となっています。 * 未来の海洋技術にも注目 先端テクノロジーや環境保護の取り組みなど、未来志向の海洋産業にもフォーカス。見て終わりではなく「学びと発見」を持ち帰れる博物館です。 まとめ 仁川を訪れるなら、国立仁川海洋博物館はぜひ立ち寄りたい注目スポット。昔から海とともに歩んできた韓国の歴史や文化を、最新の展示技術を通じてバランス良く体験できます。周辺観光とあわせて、海洋国家・韓国の奥深さを実感してみてはいかがでしょうか。

三吉浦港(삼길포항)
 
忠清南道(瑞山市 ) ,
忠清南道大山邑にある三吉浦港は、唐津市石門面橋路里と大山邑花谷里の三吉浦をつなぐ大湖防潮堤の最終地点にあり、大湖の水門がある所です。大湖防潮堤は1984年11月6日に竣工された防潮堤で長さ7.8km、海岸沿いのドライブコース、海に浮かぶ大小の島々を見ながら釣りを楽しむことができる場所です。堤防の中心には農産物の直売店、宿泊施設、休憩施設のある休養地として開発され、観光名所としても人気です。 西海岸のどの港に行っても週末になるとソウルや首都圏から車で訪れる人が多く、駐車する場所がないほどで、この三吉浦港も例外ではありません。

3.1独立運動記念塔(3.1독립운동기념탑)
 
ソウル(中区)
3.1独立運動記念塔は日本帝国主義の残酷な植民統治から祖国と民族の独立のため展開した3.1独立運動の崇高な精神を継承・発展させ、広く国民の護国愛国精神を高揚させることも目的に、全同胞の善意を集めソウル特別市中区(チュング)奨忠洞(チャンチュンドン)南山公園(ナムサンコンウォン)に建立されました。 1998年8月15日の大韓民国政府樹立50周年にあたる日に着工、3.1独立運動80周年を迎えた1999年3月1日に竣工しました。 塔の高さは19m19cmで、これは3.1独立運動の挙事が起きた1919年にちなんでいます。 3.1独立運動は世界初の非暴力平和運動であり、世界初のカトリック・プロテスタント・仏教の宗教連合運動でもあり、中国の5.4運動、インドの無抵抗運動をはじめ全世界の非暴力平和運動の契機となりました。 * 建立者 - 光復会(3.1独立運動記念塔建立委員会)

密陽市立博物館(밀양시립박물관)
 
慶尚南道(密陽市 ) ,
密陽市立博物館は洛東江流域の文化を集大成して効率的に保存、展示しているのはもちろんのこと、郷土資料の収集、調査、研究、整理などを通して歴史と文化芸術に関する考証など中心的役割を行っており、さらに市民達に広く公開して文化向上および社会教育の貢献のために設立されました。博物館は常設1展示室、常設2展示室、企画展示室に分かれていて、密陽地域の歴史を知ることが出来ます。主な所蔵品としては密陽12景図、龍潭翠叫亭雜詠、 金弘道の「船遊図」、張承業の「花鳥図」などの書画類と李芳仲墓出土の名器や磁器、青銅器などの陶磁器類、更には密陽地域で出土したものなど、全39種4,835点があります。また、密陽市立博物館には洛東江の文化遺跡以外に化石展示館、密陽独立運動記念館があり、また違った楽しみと見所があります。化石展示館は密陽市立博物館内にあり、古生代・中生代などの全世界に分布している主要化石(恐竜、魚類など)244点が展示されています。密陽独立運動記念館は独立義烈団の団長だった金元鳳と尹世胄など密陽出身の独立運動家達の活動を知ることが出来る場所です。1919年3月13日に起きた密陽地域の主要万歳運動や爆弾投擲事件などはもちろんのこと密陽の金現代史に関しても知ることができます。

弘智門及び蕩春台城(홍지문 및 탕춘대성)
 
ソウル(鍾路区)
弘智門(ホンジムン)と蕩春台城(タンチュンデソン)は、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)及び丙子胡乱の後、都を守る目的で、囲むように築かれた城郭・ソウル漢陽都城(ハニャントソン)と、その北方の山中にある北漢山城(プカンサンソン)をつなぐため築かれた建造物です。 1719(粛宗45)年、都を取り囲む都城と都の北にある北漢山城の守りを補完すべく、弘智門、五間水門(オガンスムン)、蕩春台城を築造しました。 弘智門は、現在のソウルの北西の守りにあたる城壁・蕩春台城への入口となる門として築かれ、漢北門(ハンプクムン)とも呼ばれています。この弘智門からつながる蕩春台城の城郭は、都の西にあることから、西城(ソソン)とも言われました。 元々、蕩春台城がある洗剣亭(セコムジョン)一帯は新羅・高句麗・百済が群雄割拠していた三国時代の時から漢山州(ハンサンジュ)として、軍事的要所となっている地域でした。 蕩春台城は、仁王山(イナンサン/インワンサン)の頂を通るソウル漢陽都城から弘智門を経てスリ(チョクトゥリ)峰に至るおよそ4kmほどに築かれた城郭です。 * 蕩春台城 蕩春台城は、ソウル漢陽都城と北漢山城をつなぐ城郭で、仁王山の北東側から、北の方角に稜線伝いに下り、水無川を過ぎて三角山(サムガクサン=北漢山の最高峰・白雲台)の南西・碑峰(ピボン)の麓まで続いています。 この城郭は当初計画していたすべての区間が築かれず、東側の部分・北漢山城の普賢峰(ポヒョンボン)から兄弟峰(ヒョンジェボン)を経て北岳(プガク)トンネルのすぐ北・補土峴(ポトヒョン)を通り、狗蹲峰(クジュンボン)の西側からソウル城郭へと続く城郭の部分は未完のままま終わってしまいました。 この城郭の名称が蕩春台城となったのは、現在、洗剣亭がある場所のおよそ100mほどの小高い山の頂に、朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=在位1494~1506年)が宴に耽る蕩春台があったことに由来しています。 また、蕩春台城は、都城の西側にあることから西城、あるいは二重に城郭を築いたことから重ねて築く城郭という意味でキョプソンとも呼ばれました。 蕩春台城の稜線伝いの道はなだらかで、上りやすい小道となっており、山登りを兼ねて歴史探訪にもおすすめのコースです。 蕩春台城に上るには、洗剣亭、祥明(サンミョン)大学校や旧基(クギ)トンネル、弘恩洞(ホンウンドン)から山に入ると、比較的楽に上ることができます。 蕩春台城は、弘智門と五間大水門(オガンデスムン)を境に、大きく二つの地形に分かれます。弘済川(ホンジェチョン)の流れを境に南西の区間は、仁王山を横切るソウル漢陽都城から北へと枝分かれする稜線上に築城され、また北東方向へ伸びる区間は北漢山国立公園内の蕩春台稜線を、標高527.5mの碑峰に向かって築城されています。 仁王山の周囲は、ソウル漢陽都城から枝分かれした地点から急傾斜の地形となっており、松の木が生い茂る稜線には土塁が築かれています。土塁は北の方角へと続き、城郭の外側に突出した岩盤の稜線に交わるよう築かれています。 * 弘智門 弘智門は、朝鮮時代第19代の王・粛宗(スクチョン=在位1674~1720年)が自ら筆を持ち書いた親筆で「弘智門」という扁額を書き、門楼に掲げられていた由緒ある城門です。 しかし、1921年に発生した洪水により弘智門は崩れ、長い間放置されていました。 およそ50年後の1977年7月になり、ソウル特別市都城復元委員会の手により、長きにわたり放置されていた弘智門、五間大水門、そして周辺の城郭280mを復元することができました。 この復元の際、弘智門の扁額は新たに作り替えられ、当時大統領だった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆が刻まれました。 弘智門は石で築いた虹霓(ホンイェ=虹)形の陸築の上に、正面3間、側面2間(9.38m X 4.02m)の寄棟屋根の平屋の門楼があり、門楼の左右には夾門(ヒョンムン=脇門)を設け、さらに土を高温で焼いて作った瓦を積み上げ姫垣を造り、楼閣の周りを囲っています。 石で築いたアーチ型の陸築の出入口の前後には鉄葉(チョリョプ)という門に取り付ける鉄製の飾りを付けた門扉があり、陸築の左右には城郭に上ることができる階段があります。 弘智門は首都・漢城(ハンソン=現在のソウル)の北側にあったことから「漢北門(ハンブンムン/ハンブクムン)」とも呼ばれました。 1999年には、城門の鮮やかな韓国伝統の塗装様式・丹青(タンチョン)や門扉をはじめ、門楼の左右にある夾門を補修しました。 祥明大学校前から降りていくと弘智門へと向かう道があり、道のすぐそばを流れる小川に従って歩いていくとおのずと弘智門へと向かっていきます。 弘智門からは山へと続く城郭・蕩春台城へと続いています。急斜面を山の頂へと伸びる都城は古の時代の都城の姿をいまに残しています。

帝岩山自然休養林(제암산자연휴양림)
 
全羅南道(宝城郡 ) ,
全羅南道宝城の帝岩山自然休養林は宝城と長興地域にわたり続いている帝岩山(807m)の東側にあります。登山路と休養林内に続いている渓谷は特に美しい場所で入口から始まる渓谷は水が澄んでいて水遊びも可能です。また、春となるにはツヅジと緑茶畑、野生花などが美しいです。休養林の中には散策路、運動施設、プール、野生花展示場、展望台などの施設があります。

チャントゥンオ橋(짱뚱어다리)
 
全羅南道(新安郡 ) ,
新安郡の曽島(チュンド)は天恵の自然環境を持つ島で、2007年12月1日にアジアで初めてスローシティに指定されました。曽島の名所であるチャントゥンオ(ムツゴロウ)橋は干潟の上につくられた470mの木製の橋で、干潟の生物が観察できるように造成されました。ここにムツゴロウが多く生息していることにちなんで橋はムツゴロウが飛び跳ねるような形につくられています。干潮時には干潟が現れ、ムツゴロウ、イソガニ、ヤマトオサガニなど、様々な生物を観察することができます。橋の上から見る曽島の夕暮れは幻想的で、デートコースとしても人気があります。

石頭海水浴場(돌머리해수욕장)
 
全羅南道(咸平郡 ) ,
松の森と浜辺が美しいところ、石頭海水浴場 咸平邑の一番西側海辺にある海水浴場です。陸地の終わりが岩になっていて「石頭」という名前が付けられたそうで、これに伴って村の名前も石頭になりました。周辺には、貯水池、古城や海水浴場など名所がたくさんあります。石頭海水浴場は後方に松の森が生い茂っていてその景色が美しいです。 また、幅70m、長さ1kmの白砂浜があって、水が透きとっていてきれいで水深の浅い海水浴場です。潮の干満の差が少し激しいのが短所ですが、それを解消するために約2,700坪規模の人工海水プールが設置されているので引き潮の時も泳ぐことができ、その他便利な施設も整えました。また、水が抜けた干潟の上に長い木橋をかけて観光客が直接、干潟の生態を観察できるようにしました。 また、干潟では海産物がたくさん採れ、新鮮な夏の果物も豊かであり、海水浴と食事を楽しむことができます。子どもから大人まで家族全員が満足できる休養地です。

大屯島(대둔도)
 
全羅南道(新安郡 ) ,
「大屯島(テドゥンド)」は、新安郡黒山面に属する島です。大屯島の最高峰はソンアム山(163メートル)で、南側にある梧里一帯の平野を除けば高くはないものの比較的傾斜の急な山地となっています。海岸はあちこちに湾や岬が発達し、気候は概して暖かく、雨は多いほうです。耕地面積はさほどなく、ほとんどが林野です。 麦、サツマイモ、ジャガイモ、豆、ニンニクなどの農作物が少量生産されていますが、近海一帯には済州暖流の北上により、各種魚類や海藻が豊富で養殖地に適しており、住民の半分以上は養殖業に携わっています。 規模 面積3.34平方キロメートル、海岸線の長さ13.7キロメートル