錠博物館
 
ソウル(鍾路区)
錠博物館の「錠」は、鍵を意味する錠です。生涯を鍵屋の店員として過ごした後、江南に「チェガ鍵屋」を開いたチェ・ホンギュ氏が全財産をかけて建てた博物館で2003年11月に開館しました。韓国の昔の鍵や、世界各国の珍しい鍵をテーマとした博物館で、消え去りつつある韓国様々な鍵を収集、保存、研究し、一般に展示することで韓国の鍵の美と、優秀性を知ってもらうことが目的です。錠博物館は、鍵に関する新しい見方を一般の人々に伝え、疎通するコミュニケーションの場になり、また観覧する人自らが鍵に関する文化的意味と美学的意味を理解・学習できる機会を提供しています。

官北里遺跡と扶蘇山城[ユネスコ世界文化遺産]
 
忠清南道(扶余郡 ) ,
 百済文化の宝庫、扶蘇山と扶蘇山城扶余の市街地の北側に紺碧の林が続く海抜106mの低い扶蘇山が一番最初に目に留まります。扶蘇山には数多くの百済の女性達が花びらが散っていくかのように自らの死で節義を守った落花岩、百花亭、泗沘楼、半月楼、宮女祠、皐蘭寺、扶蘇山城(史跡第5号)、迎日楼、成忠・興首・階伯の百済忠臣を祭った三忠祠、穀物の倉庫だった軍倉址、百済の軍人の穴蔵である竪穴住居址など百済の歴史と百済王室の話が至る所に潜んでいます。「三国史記」の百済本紀には泗沘城、所扶里城と記録されていますが、山城があった山の名前をとって扶蘇山城と呼ばれています。この山城は百済の首都であった泗沘土城の一環であり、王宮を守護するために538年に首都の遷都前後の時期に築造されたものであると考えられており、これ以前の500年頃、すでに城山が築造されていた可能性があります。その後、605年に大々的に改築が行われたと推定されています、一方、一部の城壁は統一新羅時期に修築され、高麗と朝鮮時代にはその地域の規模に合うように縮小されて利用されていたと考えられています。  百済の文化に出会う、扶蘇山の遺跡地* 三忠祠扶蘇山城の正門である泗沘門を過ぎて少し歩いて上がっていくと三忠祠があります。外三門と内三門を過ぎて書堂に入ると百済末の三忠臣である成忠・興首・階伯の肖像画と位牌が祭られています。毎年10月の百済文化祭の時に祭祀を行い、3人の崇高な救国忠節を称えます。* 迎日楼迎日楼は扶蘇山城の一番東側の峰に建てられた百済王と貴族達が遠く鶏龍山の連天峰からの日の出を見て国政と国の平安、百姓達の平安を祈願した迎日台に立てた楼閣です。*軍倉址別名、万里蔵と呼ばれていたこの場所は1915年に焼かれたお米が発見された軍隊の穀物を保管していた倉庫です。* 竪穴住居址軍倉址を少し過ぎると穴蔵が見えます。穴蔵は百済の時に軍人達の穴蔵を発掘、復元したところで、1mほど掘って四方を木やわらで塀を囲った後、わらの屋根を置いた様子です。穴蔵と貯蔵庫を発掘した場所に展示室を建て、構成をしっかりと見ることができるようにしました。* 泗沘楼扶蘇山で一番高い所(海抜106m)に位置する泗沘楼に月が明るい夜に登ると美しい景色が目の前に広がります。泗沘楼の建立当時、泉水を掘っていたら金銅釈迦如來立像(宝物大196号)が発見されました。* 百花亭落花岩の絶壁の上に建てられた六角の屋根の亭子が百花亭です。白馬江を見下ろすことができる百花亭は百済滅亡当時、花びらのように落ちて死ぬことで忠節を守った崇高な百済の女性達の魂を追悼するために1929年に扶風詩社という団体が建てました。 * 宮女祠半月楼広場で東北側を少し下ると宮女祠があります。この宮女祠は660年に連合軍によって泗沘城が墜落した日、落花岩で花びらのように落ちて死んでいった百済の女性達の忠節を追悼し、その意味を後世に広く伝えようと1965年に建てられました。10月の百済文化祭の時に司祭を行います。* 官北里遺跡官北里遺跡は1983年9月に忠清南道記念物第43号伝百済王宮址に指定されています。1982年からこの一帯を中心に忠南大学博物館で5回に渡って発掘調査を行いました。1983年度に方形石築蓮池が発見され、1988年度の発掘調査では土器の口縁部に北舎という銘文が刻まれたものが発見され、1992年度には現在の国立扶余文化財研究所の南側50mのところから百済時代の道路の遺跡や排水施設が見つかりました。 

李應魯美術館
 
大田広域市(西区) ,
屯山大公園 大田市立美術館横の小さくこじんまりした白い建物の周りの松が調和して山中の小さな家のような<李應魯美術館>が、2007年5月にオープンしました。李應魯美術館は、この地域に残る韓国的伝統の現代化と世界化のために一生をかけた「世界的作家、顧菴李應魯画伯(1904~1989)」の芸術世界を建築物として昇華させようとフランス建築家のローラン・ボードエン(Laurent Beaudouin)が設計し、つくりました。 美術館の展示室は4つの空間が確保しながらもひとつの単一空間として感じて、神秘感を持ち、李應魯画伯の初期作品から晩年まで生涯の作品を一ヶ所で鑑賞できます。顧菴の作品世界が東洋と西洋の出会いであったように李應魯美術館の建築物や韓国作家・李應魯とフランス建築家ローラン・ボードエンの出会いが醸す調和という点がとても興味深いものです。これに続き、2010年3月、 礼山にある修徳寺に李應魯画伯の美術世界を継ぎ足され、韓国初の仏教専門美術館である「修徳寺 禅美術館」がオープンし、李應魯画伯が幼少過ごした忠清南道洪城郡洪北面中溪里一帯に記念館の建立や生家復元など一生と芸術世界を研究して全世界に広めています。

フェニックスパーク・ブルーキャニオン
 
江原道(平昌郡)
2008年5月、江原道・平昌郡にあるフェニックスパーク内に地中海の雰囲気の漂うウォーターパーク「ブルーキャニオン」がオープンしました。江原道の澄んだ空気と渓谷のきれいな水を利用したブルーキャニオンは、室内外合わせて22,336.19m²の規模です。 ブルーキャニオンの室内外はブルーホワイトトーンでデザインされ、さまざまな水遊び空間が用意されています。まるでローラーコースターに乗ったようなスリルが満喫できるスライダーなど利用客に人気のある施設がたくさんあります。    

天帝淵瀑布
 
済州道(西帰浦市)
「神の蓮池」という意味を持つ天帝淵(チョンジェヨン)は、3段の滝からなっています。天帝淵瀑布の周辺の林には松葉蘭などの珍しい植物が自生しています。第1瀑布(高さ22メートル、水深21メートル)から流れ落ちる東側の岩洞窟の天井からは冷たい水が流れ出していますが、現在は水泳が禁止されています。瀑布から流れ出る水は第2瀑布、第3瀑布になり海に流れ込んでいます。天帝淵渓谷には「仙臨僑(七人の仙女を彫刻したアーチ型の橋)」と「天帝楼」と呼ばれる8角の楼閣が建てられています。七仙女と呼ばれる仙臨僑は天帝淵と中文観光団地に続く橋で128メートルにもなります。天帝楼の外壁には天帝淵の伝説がこめられた仙女図と神仙図が描かれています。毎年、偶数年の5月には、七仙女祭りが開かれています。

華城列車
 
京畿道(水原市)
華城列車(ファソンヨルチャ)は八達山と錬武台の間を走る観光列車。列車の前の部分は正祖大王の勇壮な様子を象徴するかのような竜の頭の形になっており、車両は王が乗って移動していた駕籠の形に作られています。全コース3.2Kmで所要時間は約30分となっており、一度乗ってみるのもいい思い出になるでしょう。

慶州 仏国寺[ユネスコ世界文化遺産]
 
慶尚北道(慶州市 ) ,
吐含山(745m)の中腹に位置する仏国寺(プルグクサ)と石窟庵(ソックラム)はきらびやかな新羅の仏教文化の核心で、535年に新羅の法興王(不詳~540年)が母の意に従い、国の安定のために建立しました。その後、新羅の景徳王(742~764年)の時に、宰相の金大城が再建しましたが、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で建物や宝物がほとんど焼失し、略奪されました。1920年以前には一部の建物と塔だけが荒廃したまま残っていましたが、原型復旧作業により国宝7点を持つ現在の大寺院の姿になりました。仏国寺から尾根に沿って約3km(舗装道路の石窟路は9km)ほど行くと、如来坐像の本尊仏が東海を向いている石窟庵があります。 仏国寺と石窟庵は1995年12月6日に海印寺の八万大蔵経や宗廟とともに、世界文化遺産に公式指定され、国際的にいっそう知られるようになりました。<主要文化財>多宝塔(国宝第20号)仏国寺3層石塔(国宝第21号)青雲橋、白雲橋(国宝第23号)石窟庵(国宝第24号)金銅毘盧遮那仏坐像(国宝第26号)金銅阿弥陀如来坐像(国宝第27号)蓮華橋、七宝橋(国宝第22号)

龍平リゾート
 
江原道(平昌郡) ,
太白山脈の発旺山のふもとに位置した龍平(ヨンピョン)リゾートは1975年にオープンした最初の国内スキー場です。年平均積雪量250cm気温6.4℃と気温が低く、11月から翌4月初めまでスキーが楽しめます。他の地方のスキー場に比べてスキーできる期間が長いのが特長です。ソウルを基点に215km、領東高速道路4車線拡張により2時間台で行ける場所に位置しています。スキーシーズンが終る4月から11月まではゴルフができます。ここは1998年ワールドカップスキー大会、1999年江原冬季アジア競技大会が開催され、国際スキー連盟(FIS)が認定したレインボーレッド・シルバー・ゴールドのスロープを備えています。それだけではなく、初級者のためのイエローラインとピンクライン、中級者のためのニューレッドライン・グリーンラインなど全部で18面のスロープと15基のリフト、長さ3.7kmの8人乗ゴンドラ1基を備えています。この他室内にはプール・サウナなど各種設備があり、そり滑り・インドアゴルフ場・サバイバルゲーム場・山岳自転車道と6ホール規模のゴルフパッティング練習場、と森林浴道・アーチェリー・ゲートボール・クロケット場・テニスコート・キャンプ場などがあります。宿泊施設ではホテルとコンドミニアム、ユースホステルなど全部で1078室の部屋が用意されています。周辺には五台山国立公園・大関嶺牧場、大関嶺博物館など見どころが多く、スキーシーズン中は首都圏一帯からシャトルバスと直行バスが運行されています。

洪陵樹木園
 
ソウル(東大門区)
洪陵樹木園(ホンヌンスモグォン)は、1922年にソウルの洪陵に林業試験場が設立されたときに造成された韓国初の樹木園です。朝鮮王朝高宗の王妃である明成皇后の陵「洪陵(ホンヌン)」があったため、洪陵樹木園と呼ばれるようになりました。今は陵は移葬され、その跡だけが表示されています。洪陵樹木園は国立山林科学研究院付属の専門樹木園であり、国内外の様々な植物や遺伝資源を体系的に収集・管理し、基礎植物の学問分野の発展や、植物遺伝資源の確保のために造成された試験研究林です。

ソウル大学校 奎章閣
 
ソウル(冠岳区)
奎章閣は1776年に朝鮮の22代国王・正祖が昌德宮の宙合樓一帯に創設したもので、歴代宣王の直筆・著述、遺品、国内外の書籍を収集保管・管理する国立図書館の機能を果たしています。現在はソウル大学校内に文化財の保存設備を完備した伝統様式の瓦屋根の建物を建てて奎章閣の図書などを管理しています。単純に歴代王の遺品を保管・管理しているだけでなく、政治、経済、社会などの図書を収集し、保存・刊行しています。奎章閣の所蔵資料は7種の国宝と8種の財宝、18万冊余りの古図書、5万点余りの古文書、1万8千点余りの冊板など計28万点余りを所蔵しています。特に、ここで所蔵している国宝第151号の朝鮮王朝実録や国宝第303号の承政院日記、朝鮮時代の主要行事を文字と絵で記録した朝鮮王朝儀軌は、ユネスコ世界記録遺産に指定されています。また、奎章閣では常設展示室を運営しており、誰でも自由に観覧することができます。