高敞パンソリ博物館
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
高敞(コチャン)パンソリ博物館は、パンソリの理論家であり改作者であった申在孝(シン・ジェヒョ)、陳彩仙(チン・チェソン)、金素姫(キム・ソヒ) などの多数の名唱を記念し、パンソリの伝統を継承・発展させるために申在孝の古宅に設立されました。高敞パンソリ博物館には、申在孝の古宅、亭子(あずまや) 、池、常設展示館、無初懐郷美術館があります。古宅は1850年代に建築されたものと見られており、現在は素朴な藁葺き屋根のサランチェ(別棟)だけが残っています。常設展示室にはモッマダン、名誉の殿堂、ソリマダン、アニリマダン、パルリムマダン、ホンマダン、多目的室があります。常設展示館にはパンソリに関する様々な有形・無形の資料が展示されており、パンソリ芸術について学んだり、鑑賞したりすることができます。

羅済通門
 
全羅北道(茂朱郡 ) ,
*新羅と百済が国境を成した歴史的通路* 茂朱雪川面にある羅済通門は、三国時代、新羅と百済が国境をなしていた場所で、雪川面の新斗村と雪川里の伊南村の境界をなす石絹山にある岩の洞窟です。高さ3m、長さ10mほどの大きさ。 三国時代には石絹山岩尾根を境に東側は、新羅の地、西側の雪川、赤裳面、茂朱邑などは、百済の地でした。このように三国時代から高麗までの間、風習や文化の全く異なる地域であっただけに、今でも言語や風習などの特色を大事にしており、雪川市日に行くと、方言だけで茂朱と茂豊の人を区別できるほどです。

禅雲山道立公園
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
禅雲山(ソヌンサン)では、椿や桜の花、涼しげな渓谷、鬱蒼と生い茂る森、色とりどりの紅葉、荒々しい断崖絶壁、白い雪に覆われた風景など、四季を通して美しい景色が見られます。禅雲山には1500年の歴史を持つ禅雲寺もあります。

智異山トゥルレキルトレッキング
 
全羅北道(南原市 ) ,
智異山の生態系保全運動や智異山圏の住民と共に代案運動を繰り広げてきた「智異山生命連帯」が2007年に設立した「社団法人森の道」は、智異山の麓の村々を繋ぐ道を保存する活動を続けてきました。智異山トゥルレキルは智異山を囲む3道(全羅北道、全羅南道、慶尚南道)、5市郡(南原、求禮、河東、山清、咸陽)、16町村80ヶ所を繋ぐ300km余りの長距離コースです。各種資源調査や整備などを経て、2011年に完成しました。 

ペムサコル渓谷
 
全羅北道(南原市 ) ,
智異山北川の麓にあるペムサコル渓谷は全長が9kmにもおよびます。ペムサコル渓谷という名前は昔松林寺という寺の伝説からペムサコルと呼ばれるようになりました。般若峰とトッキ峰から南原市山内面に流れる渓谷の紅葉が美しいことで有名で、夏の避暑地としても有名です。

文殊寺
 
全羅北道(高敞郡 ) ,
文殊寺は水がきれいで鬱蒼とした林があり、人的な汚染の影響を受けていない場所にあります。地方有形文化財第51号である大雄殿と52号である文殊殿があり、冥府殿や冬山殿などが残っています。大雄殿は小規模の建物ですが屋根が珍しい形をしています。

群山駅
 
全羅北道(群山市 ) ,
郡山駅は、1912年3月12日、郡山市大明洞138番地で普通駅として営業を開始しました。 郡山駅は日帝強占期という悲しい歴史を持つ場所です。明け方には朝市が立ち、昼は憩いの場として、人と人を繋げる役割を果たしてきました。2008年1月1日の移転後、郡山駅は21世紀の西海岸時代をリードする交通の要所として発展していくことが期待されています。

傍花洞自然休養林
 
全羅北道(長水郡 ) ,
* 秀麗な自然景観で家族連れに人気の休養地 * 長安山の麓にあり、秀麗な自然の景観と谷間に隣接しています。自然学習場や冒険遊び場などの山林浴場施設が完備されている他、谷間に沿って自然の絶壁や多様な樹木が生い茂っており、豊かな自然を堪能することができます。標高500m以上の高地にあるため、気温が低く、標高1,000m以上の山に囲まれており、夏でも涼しいため、夏の避暑地として人気を集めています。

茂朱 赤裳山城(무주 적상산성)
 
全羅北道(茂朱郡 ) ,
茂朱郡赤裳面にある赤裳山(1,034m)は、四方が層岩絶壁で囲まれています。この山の上の安国寺があった場所に茂朱揚水発電所所の上部貯水池である赤裳湖が建設されましたが、この湖の周りに長さ8,143メートルの赤裳山城があります。 高麗時代、契丹族の侵略があった際に近隣の数十の村から逃げてきた人たちが難を逃れた他、高麗末期の日本軍の侵略の際は、三道按廉使が軍隊を引き連れ応戦した古城だとされています。 高麗末期恭愍王23年(1374年)三道都統使であった崔瑩将軍が都に帰る途中、四面が切り立った岸壁で囲まれた天然の要塞を見て感嘆し、山城を建設することを王に建議したといいます。その後、朝鮮時代に入り、山城を建設し、5大史庫のうちの北側史庫が危険に晒された際に赤裳山史庫を設置し、韓国の国史を守ってきた由緒ある場所です。

益山駅
 
全羅北道(益山市 ) ,
益山駅は1915年1月1日、裡里駅という名前で営業をスタートし、1977年11月11日、裡里駅の爆破事故で大きく損傷しました。1978年、壊れた駅を新築で建て替え、1995年、益山駅へと改称し、現在に至ります。