金山寺
 
全羅北道(金堤市 ) ,
母岳山道立公園入口にそびえたつ金山寺(クムサンサ)は、百済の法王元年(599年)に創建された寺院です。776年に真表律師が改築し、大回廊を持つ寺となりました。境内には国宝第62号に指定されている弥勒殿をはじめとし、指定文化財10点余りを所蔵しており、またその他にも付属建造物が多いのでこの地方一の古刹に数えられ、木造の弥勒殿は、韓国で唯一の三層法幢で、内部が繋がった構造をしています。春には山の入口から金山寺まで続く桜並木の壮観を楽しむため各地から観光客が訪れ、また真冬には信者たちが弥勒殿にある弥勒菩薩像を拝むために参拝したり、塔を見学したりする姿を目にします。弥勒殿の弥勒菩薩像は、屋内に置かれている仏像としては世界最大級といわれており、三尊仏の中では弥勒菩薩像が11.82メートル、左右の仏像は8.8メートルもの大きさです。1999年に開山1400周年を向かえたことを記念して作られた記念館では、各種文化行事が行われています。

丹陽市外バスターミナル
 
忠清北道(丹陽郡 ) ,
丹陽市外バスターミナルは、忠清北道丹陽郡丹陽面別曲里にある丹陽郡のバスターミナルです。周辺には、丹陽温泉をはじめ古薮洞窟、島潭三峯、石門、泉洞洞窟、玉筍峰、亀潭峰、舍人岩など、丹陽の有名な観光名所が集まっています。

荘陵
 
江原道(寧越郡)
荘陵は、朝鮮第6代王であった端宗の陵墓です。端宗は、その叔父である首陽大君に王位を奪われた後、清冷浦に流され17歳の時に生涯を終え、その死体は東江に捨てられました。後難を恐れて誰も死体の処理をしませんでしたが、寧越戸長の厳興道が死体を荘陵まで運びました。粛宗の時代である1698年になり、端宗が再び王の座に戻り、王陵に埋葬され、死後の贈り物としての陵号が荘陵となりました。荘陵の周囲にある松の木は、全て陵墓に向かってお礼をするように曲がっており、その様子に圧倒されます。毎年4月の最後の週末には端宗文化祭が盛大に開催され、特に朝鮮時代の再現イベントでは1000人を超えるが参加する大規模な行事です。2009年6月30日に荘陵を含む朝鮮王陵40基がユネスコ世界遺産に登録されました。 

ハスラ・アートワールド
 
江原道(江陵市)
ハスラアートワールドは、芸術家が作る芸術公園で、自然と文化が見事に調和し共存する総合芸術空間です。 「松の庭園」、「時間の広場」、「湿地庭園」、「田畑庭園」、「海の庭園」、「遊びの庭園」というテーマで作られた芸術公園は、自然へのダメージを最小化するために斜面や山の高さなど既存の自然条件をそのまま活かし、手作りで自然が最も美しく見えるように作られました。 また、ハスラアートワールドは遊びを通して学習ができる場所です。「コルクルリ美術館」では、子供も大人も楽しめる教育プログラムと遊びがあります。「着る美術」、「食べる美術」、「動く美術」などの独自に作られた頭脳開発プログラムがあり、また「遊びの庭園」と「時間の広場」では遊びと楽しさを通し創意力を育むことができます。

薬泉寺テンプルステイ
 
済州道(西帰浦市) ,
薬泉寺(ヤクチョンサ)は、済州特別自治道西帰浦市大浦洞にあり、自分自身を見つめなおしながら伝統文化を体験できるテンプルステイプログラムを運営しています。お寺での礼儀作法を学んだり、礼仏、参禅、行禅などの基本プログラムや、お寺での日常修行生活を体験してみることができます。  

迎日台海水浴場
 
慶尚北道(浦項市 ) ,
横幅1,750m、縦幅40~70m、面積406,613.4平方メートル(123,000坪)規模のの砂浜を持つ海水浴場で、東海方面の海水浴場の中でも最も大きな規模を誇ります。また、近隣には松島海水浴場などもあり夏の避暑地となっています。浦項市内から割と近い距離にあり、お刺身なども味わうことができます。

金海文化の殿堂
 
慶尚南道(金海市 ) ,
金海文化の殿堂は質の高い公演を楽しむことができる芸術劇場です。マルホールは収納式のオーケストラシェル(音響反射板)を備えた多目的劇場であり、音響施設が整っているのはもちろんのこと、二重回転舞台の可変システムで多様なジャンルの演出が可能です。また、多様なテーマを持つ実験的劇場であるヌリホールは現代的な四角形のブラックボックス形で、収納式客席と可変音響壁、天井の音響反射板によって演劇、リサイタルなど多様なジャンルの演出が可能な劇場です。そして、野外劇場でありながらも多様なジャンルの舞台公演が可能なエドルムマダンの他にユンスル美術館、映像メディアセンター、市民スポーツセンターなどの施設やカフェ、レストランもあります。 * 開館日:2007年11月25(日)

屏山書院
 
慶尚北道(安東市 ) ,
屏山書院(ビョンサン ソウォン)は1613年に高名な儒学者である柳成龍(1542-1607)の学問と人格を慕う学者たちが共同で建てた学校で、彼をまつった位牌が安置されています。1863年には国王より書籍・土地・奴婢などを下賜され、国王から権威を認められた賜額書院となりました。1868年興宣大院君(1820-1898)が書院撤廃例を下したときもその対象から除外された全国47院、安東2院のうちのひとつです。書院の前には洛東江が流れ、その向こうにある屏山がまるで屏風のようにこの書院を囲んでいて絶景です。