思陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(南楊州市)
思陵(サルン)は朝鮮王朝時代最も悲運の女性、端宗の妃・定順王后(1440-1521)宋氏の陵です。 定順王后は1453年王妃に揀擇(多くの候補者を宮殿の中に集め、王、王子、王女の配偶者を選ぶ行事で選ばれること)され、翌年王妃になりました。 端宗が首陽大君(世宗)に王位を奪われ寧越に流されると定順王后も格下げになりました。その後端宗が亡くなると東大門の外にわら葺の家を建て一生夫を思いながら暮らしました。よって墓の名前も「思陵」になったとされています。思陵は王妃の陵で、他の陵に比べこぢんまりしていて簡素です。陵の規模も非常に小さく、屛風石(陵を保護するために陵の上の周囲を屏風のように立てた四角形の平たくて大きい石)を置かずに文人石(陵の前にたてる文官の形に造った石)や石馬(陵の前に石でつくった馬)のみがあります。

内麟川ラフティング
 
江原道(麟蹄郡)
ラフティングは急流下りとしてよく知られている水上レジャーで、ボートに6~8人で乗り、仲間と呼吸を合わせて激流を下ります。ラフティングは水上訓練を通して状況変化に対する自信や団結心、判断力や忍耐力などを培うのによく、自然に触れ合うことによってストレス解消にもなります。内麟川(ネリンチョン)は漢灘江(ハンタンガン)や東江(トンガン)とともに韓国3大ラフティングスポットとして知られています。内麟川は90年代中盤から新しいラフティングコースとして開発され、8~10ヶ所の大小の急流があります。内麟川という名は、江原道洪川郡内面の「内」と、麟蹄郡麒麟面の「麟」を合わせたもので、韓国では南側から北側に流れる唯一の河川です。院垈橋から古沙里の休憩所にいたる6㎞のコースは、川幅が狭くてゴツゴツした岩が多く、流れが非常に速いことで有名です。急流と急流との間が短く、ボートがしょっちゅう転覆します。麟蹄郡庁の支援で温水シャワー施設や付帯施設もつくられており、もっともきれいで便利なところとして知られています。 

燕谷寺
 
全羅南道(求礼郡 ) ,
求礼郡 土旨面 内東里にある燕谷寺は543年に華厳寺の宗主、緣起祖師が創建したが、文禄・慶長の役で焼失、さらに韓国戦争でも焼失しました。1981年3月1日当時の住職であるチャン・スンブ僧侶が政府支援と布施で昔の法堂を撤去し、そこに御影石と自然石で石垣を築いて正面5間、側面3間の新しい法堂を新築しました。寺の名前を燕谷寺としたのは緣起祖師が初めてここに来て風水地理を見ている時、現在の法堂席に池がありその池を注意深く眺めていると中央部分から水が渦を巻いて一羽のツバメが飛んでいったのを見て、その池を埋め法堂を作り寺の名を燕谷寺としました。

康津茶園
 
全羅南道(康津郡 ) ,
「湖南の小金剛」と呼ばれる月出山南側のふもとにある月出山康津茶園は昼と夜の温度差が大きく霧の深い場所でお茶の栽培に適した条件を取り揃えています。お茶の渋みが少なく、香りが強いのが特徴です。月出山康津茶園は光復(韓国独立)直前まで国内で最初の緑茶製品を生産していた場所です。約8万坪の茶畑には日本のやぶきた種が、1万9000坪には在来種が栽培されています。

月明庵
 
全羅北道(扶安郡 ) ,
月明庵(ウォルミョンアム)は辺山半島国立公園内にあり692年に建てられましたが幾度も破壊されまた復元されました。現在は小さな庵が残っています。ここが有名なのは寺自体が美しいためではなく、ここから眺める夕日が美しいためです。辺山頂上付近の月明庵から西海に沈む太陽はことばでは表現できないほどの美しさです。

国立生態院
 
忠清南道(舒川郡 ) ,
国立生態院は自然環境の保存と国民の幸福追求権間の持続可能な均衡を模索するために設立された国家機関です。エコリウムは熱帯、温帯、地中海、極地など多様な生態系を体験することができ、湿地生態系をはじめ野外生態空間では多様な生態体験と教育が行われています。

槐市里 伝統マウル
 
慶尚北道(盈徳郡 ) ,
大津海水浴場から松川に沿って寧海の町のほうに少し行くと「盈德槐市里マウル」に到着します。このマウルは高麗(918~1392)末の儒者である牧隠李穡の誕生地として、英陽南氏の家系の人々が、400年余りの間、集まって暮らしてきた集姓村(同じ姓を持つ人が集まって住むマウル)で、200年以上の古宅30棟余りが保存されており、先祖達の生活と粋を伺うことができる伝統文化マウルです。 歴史体験コースにより有名な槐市里伝統マウルは、慶尚北道の民族資料第75号である英陽南氏の槐市派宗宅をはじめとした色々な指定文化財があり、朝鮮時代後期の慶尚北道地域の士大夫家(官位の高い上流階層の家柄)の住宅様式をそのまま維持しており、学者は勿論、観光客もたくさん訪れます。また、ここでは2年ごとに秋の「牧隠文化祭」が開かれます。    

ミュージアムSAN
 
江原道(原州市)
「ミュージアムSAN(旧ハンソルミュージアム)」は豊かな自然の中にあり、ウェルカムセンター、本館、3つの庭で構成されています。巨大な城郭を連想させるウェルカムセンターを過ぎると、セキチクの花が咲き誇るフラワーガーデンが広がっています。その下の白樺の森の道を過ぎると、キラキラと光る水面がまぶしいウォーターガーデン、そして韓国の美しい線からインスピレーションを得たという9つのストーンマウンドがある安藤忠雄氏のストーンガーデンが鑑賞できます。 ミュージアム本館には紙の意味と価値が再発見できるペーパーギャラリーの他、版画工房、近現代画家の彫刻作品が展示されているチョンジョギャラリーがあります。ストーンガーデンが終わる辺りに位置するジェームズ・タレル館では、SKYSPACE、HORIZON、GANZFELD、WEDGEWORKといった作品を見られます。

知礼芸術村
 
慶尚北道(安東市 ) ,
知礼芸術村(チレ・イェスルウォン)は祭祀のような韓国の伝統的な文化を体験できる村です。ここでは毎月餅つき,キムチ作り 等の行事を行っており伝統家屋で宿泊することもできます。 知礼芸術村 は臨河ダムの建設で水没の危機にさらされた芝山書堂(文化財資料 第49号),芝村宗宅(文化財資料 第44号), 芝村祭庁(文化財資料 第46号)を移した村です。 芝山書堂 は芝村 金邦杰(1623-1695)先生の遺德を追慕するために正祖 (1752-1800)24年(1800)に後孫により建てられ学問を研究する場所として使われました。芝村宗宅は金邦杰先生の宗家で芝村祭庁は祭祀を行う祠堂でしたが先生の要請で1712年に建てられ後學のための講堂として使われてきました。 昔の瓦家の後ろを低い山々が知礼芸術村を囲んでおりその下には湖があります。 芸術村の大門を過ぎると広い庭があり正面に母屋, 右側には書堂,左側の丘には 祠堂があります。 350年近い歴史をもつにもかかわらず薪で火をつける伝統的なオンドル部屋があります。このような小さいところまで昔の姿がそのまま残っているため韓国の伝統文化を深く理解し体験できます。 芸術村は外国人の文化探訪の場所と芸術人の創作場所,会議場として利用されており伝統生活の学習場,儒教研修員として活用されています。