崇林寺
 
全羅北道(益山市 ) ,
新羅の景徳王(742∼765)の時代に建てられた寺で、代表的な建物である普光殿を含め合計6つの建物があります。この中で宝物第825号に指定された崇林寺の普光殿は、内部に毘盧遮那仏、阿弥陀仏、観世音菩薩と同様の三尊仏と、仏像を奉る上段の後ろに掛けられた仏教式の絵である後仏幀画が奉られています。崇林寺の入口は、木々や鳥の鳴き声、細道にかかる小さな渓谷などが見え、寺に行く前にすでに心身が晴れるような気分を感じられます。

神仏山瀑布自然休養林
 
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嶺南アルプスの神仏山(1,157メートル)の裾にある「神仏山瀑布自然休養林(シンブルサンポッポジャヨンヒュヤンリム)」の渓谷は、奇岩怪石と様々な樹種の天然林が調和し、原始林の美しい姿が保たれています。清らかな水が流れる渓谷の途中にはパレソの滝があり、滝の真ん中に絹糸一玉を垂らしても底に届かないという伝説があるほど深く、青色を帯びています。また、神仏山の頂上から肝月山、霊鷲山へと続く広大な稜線で結ばれたススキ平原は、秋になると銀色に輝く素晴らしい景観を演出し、登山客は目を奪われずにはいられません。

務安生態干潟センター
 
全羅南道(務安郡 ) ,
全羅南道の務安にある務安生態干潟センターは、黄海生態系保全事業の一環として湿地環境や干潟の重要性を学べる国内最大の自然生態学習場です。務安生態干潟センターは、全体延面積が3,277㎡ほどで地下1階から地上2階規模の内部展示館と、48,100㎡の干潟生態公園で造成されています。 展示館内部は、3D立体映像を通じて干潟の生物が分かる100席の多目的映像施設を併せ持っています。干潟生態館と干潟探査館など様々な施設を観覧することで、干潟と干潟の生物の多様な特徴を学習できます。 また野外には広い干潟生態公園が広がります。干潟生態公園は、野生花団地、生態池、ピクニック公園からなる生態公園、海洋生物観察探訪路、干潟探訪路、塩生植物団地で構成され、生態体験場、塩田体験や海苔作り体験などができる野外学習場などでなる自然生態学習場として最高の施設を併せ持っています。

楓洞エニゴル
 
京畿道(高陽市) ,
楓洞エニゴルは美しい湖と花の香りが立ち込める文化芸術の都市である高揚市にある京畿道指定の飲食文化通りです。1970~80年代に20代を過ごした人達には恋人と新村行きの汽車を待った記憶がある京義線白馬駅が思い出される場所です。1990年代初頭、一山新都市の開発と共にこの白馬駅一帯の飲食店やカフェの大部分は影を潜ませてしまいました。しかし、ここから約2キロ離れた京畿道高陽市一山東区楓洞一帯に数年の間にギターの演奏者達と多様なメニューを兼ね備えたカフェや飲食店が続々と集まりました。 エニゴルは楓洞一帯の昔の地名である「愛峴ゴウル(郡にあたる地域)」を由来とする「愛峴ゴウル通り」と呼ばれています。村の人達には「エニゴウルという名称は『愛峴ゴウル』という発音が変化して『エニゴル』と呼ばれた」と伝えられています。線路横に水田のあぜとひっそりとして静かな竹林の代わりに高いアパートが四方を囲んでしまいましたがエニゴル通りから白馬カフェ村の思い出を思い起こすのは難しくありません。 ギターカフェ一色だった過去とは違い、今この場所には各種飲食店とカフェなどたくさんのお客さんの味覚を満たすことできる雰囲気の良いレストランなど、80余りの多様な飲食店が目に留まります。ギャラリー兼カフェ、鴨の炭火焼屋、しゃぶしゃぶの専門店などを始めとしたお店も人気です。アンダーグラウンドなフォーク歌手、バラード歌手達が深夜2~3時までライブをしたり、お客さん達が歌を歌い、楽器の演奏ができるお店もあります。

蝟島
 
全羅北道(扶安郡 ) ,
蝟島(ウィド)は辺山半島の西の海上にある島で高麗時代[AD918∼1392]から官吏の流刑の地となっていた。蝟島は釣りの名所として有名ですが、その自然の美しさについてはあまり知られていません。いまだ訪れる人が少ないため自然のままの美しさが保たれています。 広々とした砂浜が自慢の蝟島海水浴場があり、毎日2回ずつモーゼの奇跡を起こすチド村のほかにもいまだ一般には知られていない絶景の海岸が島のいたる所にあります。海沿いに島を一周する道があるので、車で来れば紺碧の海を見ながらのドライブが楽しめます。

広徳寺
 
忠清南道(天安市 ) ,
広徳寺(クァンドクサ)は新羅の善徳女王の時代(637年)に慈蔵律師が創建し、興徳王の時(832年)に珍山和尚により再建されました。牙山市と天安市の境界になっている広徳山(699.3メートル)の東南方向、太華山(455.5メートル)の西南側の山裾にあります。一柱門の表側には「太華山広徳寺」、裏側には「湖西第一禅院」と書かれた扁額がかかっていて僧の禅の修行道場であることを示していますが、それはひっそりとした雰囲気からも感じられることでしょう。朝鮮時代初期に第7代の王である世祖が病を治すべく通ったとも伝えられていて、壬辰倭乱以前は忠清、京畿地域で最も大きな寺の1つとして数えられるほどの勢力を誇っていました。しかし壬辰倭乱で寺は焼失してしまい、現在かつての栄華を直接確認することはできません。大雄殿、冥府殿、千仏殿など大部分の建物は近年になって再建されたものです。大雄殿の近くにある宝華楼の前には樹齢数百年になるクルミの木が、また尞舎の隣にも大きなクルミの木があることから、広徳寺には古くからクルミの木が自生していたことがうかがわれます。境内は品良く整備されています。特に参道横を流れる渓流のそばには高名な僧である法頂の手による「無所有」ということば書かれた立札が立っています。「私たちの目標は豊に所有することではなく、豊に存在することである。生の量が問題なのではなく、生の質こそを問わねばならない」という一節が広徳寺を訪ねる人びとの心をきれいにしてくれます。周辺の見どころ:独立記念館、柳寛順烈士史跡、天安慰霊城跡、牙山顕忠祠、孟氏杏檀