韓半島統一未来センター(한반도통일미래센터)
 
京畿道(漣川郡) ,
韓半島統一未来センターは臨津江(イムジンガン)と漢灘江(ハンタンガン)が落ち合う京畿道漣川(漣川)の韓半島分断当初、南北を分けていた北緯38度線を貫通する位置にあります。統一体験研修院、南北交流行事など様々な行事なども行われています。特に子どもたちのための行事や体験プログラムが数多くあり、家族連れのご旅行におすすめです。統一韓国への未来ビジョンも提示しており、歩むべき南北平和の視角を養う最適の場所でもあります。

寿陀寺渓谷(수타사계곡)
 
江原道(洪川郡) ,
洪川邑から東に10キロメートルほど離れたところにある孔雀山(887メートル)から流れる川の上流が渓谷となっており、その渓谷の中に寿陀寺があることから寿陀寺渓谷と呼ばれるようになりました。寿陀寺から東面の魯川里まで約12キロメートルにわたる寿陀寺渓谷は、広い岩盤と大きな淵が秘境を作り上げ、のんびり憩いのひと時を楽しむのに最適です。渓谷の両側には、奇岩の絶壁と生い茂った森が広がっています。

居昌Y字型つり橋(거창 Y자형 출렁다리)
 
慶尚南道(居昌郡 ) ,
海抜620mにつくられた居昌(コチャン)Y字型つり橋(牛頭山つり橋)は、牛頭山(ウドゥサン)上峰(サンボン)と馬場峠(マジャンジェ)に分かれる登山道にあり、切り立った峡谷の上にY字型の三方向につながる韓国国内唯一の山岳歩道橋です。 吊り橋は地上高60m、全長109mを誇り、最大荷重60トン、体重75Kgの大人ならおよそ800人まで耐えられるように設計されていますが、同時につり橋に乗れる最大人数は230人に制限されています。

永同ワイントンネル(영동 와인터널)
 
忠清北道(永同郡 ) ,
永同(ヨンドン)ワイントンネルは、他の地域のトンネルや洞窟とは異なり、開削式トンネル工法で掘られた施設で、快適な環境と安全を最優先に造られたトンネルです。 全長210mでトンネル右手にはワイン関連情報広報に主眼を置いた施設を、左手にはワインを体験・楽しめる施設を配置しています。  * ワイントンネルの規模:全長210m(往復 420m)/幅 4~12m / 高さ 4~8m  * 永同のワイン産業の現況  ・ブドウ生産量: 27.972トン(韓国国内シェア 10.8%) ・ワインナリー:43か所(企業型:1か所、農家型42か所)  * 主な施設 ・10のテーマゾーン:ブドウ畑旅行、ワイン文化館、永同ワイン館、世界ワイン館、映画の中のワイン、鏡の部屋、ワイン体験館、幻想トンネル、イベントホール、フォトゾーン

丹斎・申采浩先生生家址(단재 신채호선생생가지)
 
大田広域市(中区) ,
丹斎・申采浩先生生家址は独立運動家であり言論人・歴史家でもあった丹斎(タンジェ)申采浩(シン・チェホ、1880~1936年)先生が生まれて8歳まで幼少期を過ごしたところです。 申采浩先生はここトリミ村で申光植(シン・グァンシク)の次男として生まれ、幼い時に父を亡くしその後忠清北道清原(チョンウォン)に引越しました。 19歳になると成均館に入学、26歳で成均館で博士となりました。 1905年の乙巳条約(日本で言う「第二次日韓協約」)の後、日本の植民統治に対抗し言論を通じた民衆啓蒙運動や民族意識鼓吹のための言論活動を展開しました。 一方、抗日秘密団体である新民会事件に関与し1910年ロシア・ウラジオストクに亡命、独立運動を展開しました。 申采浩先生は1928年日本の警察に逮捕され、旅順監獄に収監され、57歳となった年の1936年2月1日獄死しました。

負児山クルムタリ(부아산 구름다리)
 
仁川(甕津郡) ,
仁川(インチョン)広域市甕津郡(オンジングン)の大伊作島(テイジャクト)にある負児山(プアサン)クルムタリ(雲の橋/雲のかけはし)は、山の頂付近に登山客のために設置した全長68m、高さ7mの遊歩道を兼ねたつり橋です。 この負児山クルムタリからは、映画やテレビドラマのロケ地に度々なったことのある小島・砂昇鳳島(サスンボンド)やモレソム(砂島)、1967年公開の映画『島の村の先生』の背景となった界南(ケナム)分校が一望できます。

陝川映像テーマパーク(합천 영상테마파크))
 
慶尚南道(陜川郡 ) ,
きょうはわたしも映画の主人公! 路地の隅々まで独特な雰囲気を醸し出し、見どころいっぱいの陝川映像テーマパーク。1920年代から80年代までを背景にした映画・ドラマ・ミュージックビデオなどおよそ190編の撮影に使われた撮影所です。路面電車、馬車などで撮影セット施設を回ることもでき、お気に入りのセットの前で撮影するのもオススメです。

公州第一教会(공주제일교회)
 
忠清南道(公州市 ) ,
公州第一教会は、1903年米国監理教の宣教師ウィリアム・B・マックギルが設立した教会で、建物は1931年、韓国の初期の教会様式を踏襲し建てられています。 韓国戦争(1950~1953年・休戦)の時、建物のかなりの部分が破損してしまいましたが、新たに新築することなく修復することで再び教会として利用し、建設当時の姿を現代に伝えています。 特に改築当時の鐘塔の一部のタイル処理、増築時に取りつけた画家・李南圭(イ・ナムギュ)氏のステンドグラス作品、ローマ時代の地下の墓所・カタコンベを思わせる半地下の個人祈祷室などは建築学的に大変価値があり、2011年には登録文化財第472号に指定されたほどです。 公州第一教会は忠清(チュンチョン)地域の宣教拠点となり、植民地支配下の朝鮮で独立運動を支援した場所でもあり、韓国のジャンヌダルクとして有名な柳寛順(ユ・グァンスン)烈士や、独立運動家として活動し植民地支配が終わった韓国で政治家として活躍した趙炳玉(チョ・ビョンオク)博士もこの教会に通っていました。 また公州第一教会は教会本来としての役割のみならず、学校・病院・幼稚園なども併設し、近代化の先駆的役割を果たしました。

白石灘ポットホール(青松国家地質公園)(백석탄 포트홀 (청송 국가지질공원))
 
慶尚北道(青松郡 ) ,
薪城(シンソン)渓谷の真髄ともいえる白石灘(ペクソクタン)は、白い石が輝く渓流ということから名付けられた場所。 眩いばかりの白い岩々が素晴らしい景色を作り出し、今でも年を追うごとにその姿は変化を遂げています。 ポットホール(甌穴・かめ穴)とは、川の流れにより長い時間をかけて風化・浸食、岩盤に甕のような深い穴ができることをいいます。 真っ白な白石灘の上を青く輝く澄んだ渓流が流れる様子は大変すばらしいものがあります。 白石灘の下層部分には およそ2cmから20cmの礫を含んだ礫岩が見受けられ、上層へ向かうほどその礫の粒子が少しずつ細かくなっていることが分かります。 この他にもこの白石灘では泥岩片や斜層理、生痕化石など数多くの堆積構造が観察でき、地質学習の場としてもおすすめの名所となっています。 <出典:青松国家地質公園>

太白警察署 望楼(태백 경찰서 망루)
 
江原道(太白市) ,
太白(テベク)警察署望楼は、韓国戦争(1950~1953年・休戦)当時、軍事防衛のため使われた警察の施設で、1950年代の治安状況を垣間見れる歴史的価値の高い文化財として、2005年、登録文化財第167号に指定されました。 直径4.3m、高さ7mの円筒型の望楼は二階建ての構造となっており、各階には外を監視できる窓が開けられ、長省(チャンソン)の町が360度見下ろせるようになっています。 望楼の床の下には角ばった穴があけられており、ここに梯子をかけて二階とを行き来していました。 戦争や共匪浸透、徹底した監視など韓国現代史における当時の混乱した状況を垣間見ることができる建造物です。