海底トンネル(統営)
 
慶尚南道(統営市 ) ,
統営海底トンネルは統営と弥勒島をつなげるために建設された海底トンネルです。1931年から1932年まで1年4ヶ月にかけて長さ483m、幅5m、高さ3.5mで造られた東洋で最初の海底トンネルです。弥勒島は満ち潮の時には島になり、引き潮の時には歩いて行き来をすることができましたが、日帝強占期に日本の漁民たちが移住してきたことにより、移動に便宜を図るために海底トンネルを造ることになりました。トンネルの両側の入口に書いてある「龍門達陽」という文字は「島と陸地をつなげる海底道路の入口の門」という意味です。統営市内堂洞側のトンネルの入口に観光案内所があり、トンネルの内部には統営の観光名所を紹介するパネルが展示されています。    

龍頭山チャガルチ観光特区
 
釜山広域市(中区) ,
龍頭山(ヨンドゥサン)チャガルチ観光特区は歴史と文化あふれる魅力のある文化観光地域。 伝統市場の温かな人情、揚げかまぼこ(練り天)、種入りホットク、ビビンタンミョン、小豆粥、パッピンスなどおいしいおやつ類、宝水洞や四十階段通りなどここでしかない特長あるものがいっぱいで、歴史の息吹を感じる釜山旧市街地を代表する観光エリアです。 龍頭山チャガルチ観光特区は、龍頭山公園を含むショッピングの中心地・光復洞、チャガルチ市場・国際市場・富平カントン夜市場などの伝統市場、影島大橋、宝水洞古本通り、釜山近代歴史館など、釜山の旧市街地の歴史や文化が数多く残る地域で、一年を通じて多彩なイベント・お祭りが行われ、ショッピングも可能な都心型観光スポットです。韓国国内外から観光客がひっきりなしにやってくる、名実ともに観光の中心地となっているエリアです。 2013年11月、47年ぶりに復活した跳開橋・影島大橋は他の都市にはない見どころとして注目、新しい観光名所として注目を集め、また富平カントン夜市場や国際市場はグローバル複合文化スペースとして絶えず観光客が訪れ、釜山国際映画祭・釜山チヤガルチ祭り・釜山クリスマスツリー祭りなど新しい行事・イベントも多数開催され、昔を懐かしむ中高年ばかりでなく若い人たちにも魅力ある地域となっています。 龍頭山公園の坂を上がり山の上から眺める釜山の風景、影島大橋の跳ね橋が開く風景、新鮮な海産物が並ぶチャガルチ市場、四十階段や宝水洞古本通りなど、龍頭山チャガルチ観光特区を巡る旅はよい思い出の一ページとなることでしょう。 * 龍頭山チャガルチ観光特区現況 1) 範囲:釜山広域市中区富平・光復・南浦洞全地域、中央・東光・大庁・宝水洞一部地域 2) 面積 : 1,079,836平方メートル 3) 観光特区指定日 : 2008年5月14日 4)主な観光地:龍頭山公園、影島大橋、チャガルチ市場、国際市場、富平カントン夜市場、宝水洞古本通りなどさまざまな観光地あり  

忘憂山
 
ソウル(中浪区) ,
忘憂山は1933年5月27日、京畿道の林野の一部を京城府が譲渡を受け、共同墓地として使用したのが始まりです。現在、ソウル市内にある唯一の共同墓地であり、総面積490,884坪の中に約28,500基の墳墓があります。1973年3月25日、受け入れる土地の余裕がなくなり埋葬が禁じられました。忘憂里公園には、韓国における子供運動の嚆矢である方定煥、民族代表33人の一人である呉世昌、韓龍雲、天然痘のワクチンの普及の先駆者であり医学者であると同時に国語学者の池錫永、臨時政府内務部書記を歴任した文明煊、東亜日報の主筆と新党の韓国民主党を作った張徳秀、制憲国会議員であり進歩党の党首であった曹奉岩等が安置されており、この七人の著名人の年譜碑が公園内の遊歩道が造成された時の97年2月に建てられました。また、98年2月に詩人の朴寅煥、文一平、徐丙浩、徐東日、吳哉泳、徐光朝、劉相奎、教育家の呉兢善と、八人の年譜碑が追加で設置され、歴史教育の場として活用されています。その他にも独立運動家の金貞奎、画家の李仲燮、小説家の桂鎔黙、 金末峰、 金利錫、 催鶴松、作曲家の蔡東蘚、ジャーナリストの 薛議植、政治家の李炳洪、歌手の車重楽、親韓日本人の浅川巧、朝鮮時代の純祖の長女である明温公主などが安置されていることが、最近明らかになりました。また、忘憂洞山57-1番地一帯の忘憂里公園内の循環道路5.2キロをアスファルトコンクリートで舗装した遊歩道があります。遊歩道の名称は公募により98年5月、「思索の道」に定められ、都市環境と調和した自然の観察路、総合案内板、東屋、湧水などが新しく設置され、区民の憩いの場であると同時に自然が満喫できる公園として多くの人々に愛されています。

太平塩田
 
全羅南道(新安郡 ) ,
曽島(チュンド) 塩田体験(ヨムジョン・チェホム)-太平塩田(テピョンヨムジョン) 太平塩田は、国内最大の規模と生産量を誇る塩田です。汚染されていないきれいな海水で、ミネラルの豊富な天然塩を生産している天然塩田です。

大青島
 
仁川(甕津郡) ,
「大青島(デチョンド/テチョンド)」は、仁川から北西へ約202キロメートル、壅津半島から南西へ約40キロメートルにあります。ほとんどの住民が漁業に携わり、一部は稲作と畑作を兼業する典型的な漁村地域として、80年代末まではガンギエイ漁が盛んだった場所です。現在もさまざまな種類の魚や海産物がとれ、島全体が釣り場としても有名です。

墨湖港
 
江原道(東海市)
江原道東海にある美しい港のひとつである墨湖港は1941年に東海岸第一の貿易港として開港し、現在は東海岸の漁業基地となりました。墨湖港では大規模な卸売りが行われており、イカやサバ、サンマ、カニなどの多様な海産物が取引されています。早朝から競りが始まり、週末には新鮮な魚を購入しようと全国各地から多くの人達が集まります。墨湖港は注文津港と一緒にイカ釣り漁業が有名な港です。東海で一番多くのイカ釣り漁船が集まります。また、墨湖港には有人の灯台があり、灯台周辺には灯台公園が造られました。灯台公園に行く道は人気ドラマ「華麗なる遺産」んび登場した壁画通りとして知られている通りが3ヶ所あります。

イバグ工作所
 
釜山広域市(東区) ,
山腹道路を中心とした都市再生事業である山腹道路ルネサンスの地域拠点として造られた空間です。山腹道路の人々の話を収集したアーカイブセンターであり、2ヶ月に1度、新しい企画展示が行われています。山腹道路に暮らしている人たちの歴史を集めて保管し、今後多様な文化コンテンツで2次加工されて利用できる資源の倉庫です。 ※2013年3月6日開館

ダヴィンチミュージアム
 
済州道(西帰浦市)
済州特別自治道にある「ダヴィンチミュージアム」はアジアで唯一ダヴィンチのライセンスを保有している体験型博物館です。レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば「モナリザ」、「最期の晩餐」を連想しますが、彼の生涯最高の傑作は古文章であると言えます。レオナルド・ダ・ヴィンチの「秘密ノート」と呼ばれる7,000ページ以上の古文章を再現した作品約200点が常設展示されています。また、多様な展示品を通してルネッサンス時代の代表的な科学者、解剖学者、発明家としての姿まで見ることができます。

木浦カッパウィ
 
全羅南道(木浦市 ) ,
カッパウィは、まるで2人の僧がカッ(笠)を被っているように見えることからカッパウィ(笠岩)と呼ばれています。 カッパウィには複数の伝説がありますが、まず1つ目の説は、悟りの境地に至った僧が栄山江を渡り羅仏島にあるタッ島へ行こうとする途中、休憩した所に被っていた笠と持っていた杖を置いたものが岩となったとする説があります。また、月出山で修行をしていた僧が弟子の僧を連れて木浦に必要な物を調達しに栄山江を渡ろうとしたところ、弟子の僧がはぐれてしまい川を渡りきれず石となって固まってしまったという伝説があります。 また別の説には、木浦で病を患った父親の面倒を見ていた若者が、父親の薬代を稼ぐために家を出たところ、その間に父親が死んでしまい、その若者は自分の親不孝さを謝罪するために食事も取らず笠を被り謝罪し続けていたところ、石になってしまったという説もあります。

安東韓紙体験
 
慶尚北道(安東市 ) ,
先人の知恵と文化を受け継ぐ「安東韓紙体験(アンドンハンジチェホム)」。韓国の伝統的な生活様式と文化が最もよく保存された河回村の入口に位置する「安東韓紙」は、韓国固有の趣と精神が息づく伝統韓紙の生産をしています。学生たちの学習の場としてだけでなく、多彩な見どころを提供し、安東観光の人気スポットとなっています。