松岳山
 
済州道(西帰浦市) ,
松岳山は火山とは違い南済州郡、山房窟寺で松岳山入り口までは風致良いことで噂になった海岸道路だ。 その道を走って松岳山(ソンアクサン)に達する。松岳山は漢拏山のように雄壮だったり山房山のように景色がずば抜けて美しいと言うわけではありませんが、間近に見える韓国最南端の馬羅島と加波島、兄弟島、高くそびえ立った山房山、遠く見える漢拏山、そして限りなく広がる太平洋とそこを吹く気持ちの良い海風に誰でもその景色にため息をを付くといわれています。松岳山は大小の峰が集まって形成され主峰の高さは海抜104メートルで、この主峰を中心にして西北側は草原地帯が広がります。主峰には周囲500メートル、深さ80メートル程の噴火口があり、中にはまだ赤黒い火山灰が残っています。そして海辺海岸絶壁には日帝強占期、日本軍が突き空けた洞窟がいくつか残り当時の辛い歴史を物語っています。松岳山の下海岸は黒鯛やアラがたくさん捕まえられる釣り場としても有名です。

俗離山マルティジェ自然休養林
 
忠清北道(報恩郡 ) ,
俗離山マルティジェは、忠清北道報恩地域から俗離山方向約8km地点に位置している俗離山の関門で、くねくねと12カーブからなる険しい峠道です。昔、朝鮮(1392~1910)世祖王が俗離山に 登った際、傾斜があまりに急で馬に乗って峠を越えたことから「マル(馬)ティ(乗る)コゲ(峠)」と呼ばれるようになったと言います。このようなエリアにある俗離山マルティジェ自然休養林は、チャンジェ貯水池と休養森が調和を成す美しい景色が有名です。主要施設としては、散策路及び登山路、水遊び場、炊事場などが揃っており、宿泊施設としては、「林の中の家」(16棟)があります。「林の中の家」は、ホームページを通じて予約することができます。ホームページ http://www.huyang.go.kr(韓国語) 4人–繁忙期(7.1~8.31)及び週末55,000ウォン / 閑散期 32,000ウォン7人 繁忙期 (7.1~8.31)及び週末 85,000ウォン / 閑散期 50,000ウォン11人 – 繁忙期 (7.1~8.31) 及び週末 110,000ウォン / 閑散期 70,000ウォン14人 – 繁忙期 (7.1~8.31)及び週末 150,000ウォン / 閑散期 90,000ウォン 

高霊大伽倻遺跡地
 
慶尚北道(高霊郡 ) ,
高霊大伽倻遺跡地(コリョン・テガヤユジョクチ)はソウルから約4時間のところにある高霊郡全域に広がっています。大伽倻は1世紀頃、韓半島の南側の落東江下流地方で生じ、520年間(A.D.42~562)繁榮して独自の文化を形成しました。しかし、その後6世紀以後に衰退し、一部は新羅(57 B.C.~A.D. 935)に、一部は 百済(18 B.C.~A.D. 660)に吸収されたため忘れられた部族国家となりました。新羅真興王(在位540~576)23年(AD562)に大伽倻郡となり、景德王(在位742~765)16年(AD757)に大伽倻郡から高霊郡へと名前が変わったということです。ここでは、韓国最古の殉葬墓(死んだ人のために多くの人を一緒に生き埋めにすること)である地山洞古墳群、大伽倻王陵展示館、先史時代の代表的な遺跡地である良田洞の岩刻画(宝物第605号)など、さまざまな文化財を見ることができます。 

杻田駅
 
江原道(太白市)
江原道太白市にある「杻田駅(チュジョンヨク)」は、1973年11月10日に駅舎の新築竣工と同時に、普通駅として営業を開始しました。海抜855mと韓国で最も標高が高いところにある列車駅なため、1年を通して暖房をつけなければならないほどです。特に、鉄道庁が開発した観光商品で1998年12月13日に運行が開始された環状線循環列車により一般に広く知られるようになった杻田駅は、ひとつの鉄道観光名所となりました。また、杻田駅に行くには、韓国で2番目に長い「チョンアムグル」というトンネルを通過しなければならないという点でも有名です。

全羅南道 霊岩郡
 
全羅南道(霊岩郡 ) ,
霊岩郡は全羅南道の西海岸側に位置しており、東側は長興郡、西側は西海岸の小さい湾、南側は海南郡と康津郡、北側は羅州市と接しています。全体の面積は565.9平方キロメートル、総人口は58,813人(2015年1月基準)です。2邑9面121里からなっており、郡庁は霊岩邑東武里に位置しています。 *自然環境* 天皇峰(海抜809m)を頂上とする月出山が東南方向に山脈を形成しています。西南部地域は栄山江と栄山湖の周辺に平野地帯が広がっており、東南部は高い地形、北西部は比較的低い地形となっています。霊岩川をはじめとする20あまりの大小の河川が月出山とその周辺の山から流れ出ており、平野地帯を流れ栄山江へと流れ、栄山江は北西方向に流れて行き三湖邑の栄山江河口堰に至り、西海へと流れ出ていきます。 *歴史* 古代―三韓時代(原三国時代)は馬韓に属しており、三国時代には百済の領土に属していました。三国統一後、景徳王の時代に霊岩郡と呼ばれるようになりました。 高麗―995年に安南都護府が置かれ朗州と改称されましたが、1018年に安南都護府が全州へ移ると再び霊岩郡と元の名称に戻りました。この頃、霊岩は湖南・西南部の行政の中心地でしたが、1172年に監務の派遣が始まると郡県が独立し、概ね現在の規模に相当する区域に縮小しました。 朝鮮―現在は海南郡に属している玉泉と松旨が百済時代から冷泉部曲となり朗州に属していましたが、1421年に海南郡に編入されました。 近代―現在の金井面と始終面は羅州に属していましたが、1891年に霊岩に編入され、1895年に羅州部霊岩郡となり、羅州郡に属していた金馬面、元正面、非音面、終南面と珍島郡の命山面を編入しました。純宗の時には、玉泉始面、玉泉終面、北平終面、松旨始面、松旨終面の南部6面に分割され海南に移され、金井面と新北面、始終面など羅州南部3面が復活しました。 *文化* 文化財―永保豊享祭は毎年5月5日に開かれる霊岩郡の面単位の郷土イベントです。徳津面内に組織された永保愛郷会が1979年から孝子、孝婦を表彰し、また1931年5月の兄弟峰独立万歳運動の精神を称え、その生存者と遺族たちを招待し慰労する敬老国楽の宴などを繰り広げます。 その他、日本の飛鳥文化が開花する上で影響を及ぼした王仁博士の業績を称える王仁文化祭りでは、農楽や様々な伝統民俗ノリ(遊び)などを楽しむことができます。 民俗―カンガンスルレは全羅南道の海岸沿いの地域一帯で生まれた婦女たちの民俗ノリ(遊び)で、主に秋夕(旧暦8月15日)の夜に行なわれ、その起源は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)にさかのぼるとされています。

智異山天王峰
 
慶尚南道(山清郡 ) ,
智異山は金剛山、漢拏山とともに「三神山」と呼ばれてきました。愚者でもここにいれば智者になれるということから「智異山」と名付けられました。智異山は韓国で2番目に高い峰である天王峰(チョナンボン / 1,915.4m)をはじめ、帝釈峰(1,806m)、般若峰(1,732m)、老姑壇(1,507m)など、10余りの峻峰が連なっています。天王峰から老姑壇までの主稜線は25.5㎞、智異山の周囲は320㎞ほどになります。

金永甲ギャラリードゥモアク
 
済州道(西帰浦市)
ドゥモアクは筋萎縮性側索硬化症を患い、身動きさえ困難な体で、旧三達小学校を自分でギャラリーに変えてしまった、写真作家の故金永甲氏の情熱と、済州島の静けさと平和を込めた、彼の作品を鑑賞できる美術館です。風のように済州島の表の顔だけを見て帰っていく観光客には、なかなか感じることのできない済州島の美しさが、彼の作品の中にそのまま表現されています。日の出、草原、海、霧、風、空など自然の生命が、感動的な瞬間として作品に宿っています。心の奥の侘しさまで、彼の作品の中で感じることができます。