完州 参礼文化芸術村
 
全羅北道(完州郡) ,
「参礼文化芸術村(サムネムナイェスルチョン)」は元々、日帝強占期に穀物倉庫や官舍として収奪の道具に使われた所でしたが、今では芸術村として生まれ変わりました。 デザインミュージアム、ビジュアルメディアアート美術館、金相林木工所、本博物館と本工房で構成され、企画展示、芸術祭といったイベントも開かれます。

天冠寺
 
全羅南道(長興郡 ) ,
「天冠寺(チョングァンサ)」は、全羅南道長興郡にある天冠山の中腹に位置する寺院です。正確な創建年は不明ですが、新羅時代に通霊和尚が建てたと伝えられています。以前は華厳寺と呼ばれ、89の庵子を従え、1,000人余りの僧侶が集まって修道したといいます。廃刹されたものを1963年に極楽宝殿を再建し、寮舍棟や鐘閣などを設け、天冠寺としました。 天冠寺には宝物第795号に指定された三層石塔、全羅南道有形文化財第134号の天冠寺石燈と全羅南道有形文化財第135号の五層石塔、文化財資料196号の塔山寺址石燈など、数多くの文化遺跡が残っています。また、天冠山は奇岩怪石とともに春は赤いツバキ、秋は山全体を覆うススキで有名な他、多島海の風景と調和したすばらしい景観を見に多くの人々が訪れる場所です。

扶安 お猿の学校 自然史博物館
 
全羅北道(扶安郡 ) ,
日本の日光猿軍団の協力のもと、韓国初のお猿の学校は開校しました。31匹の個性あるお猿さんたちが、逆立ちで自転車に乗るなどの妙技を見せたり、コントを繰り広げ、関心と笑いを誘います。お猿の学校以外にも、たくさんのワニがいるワニ動物園、さまざまな種類の化石が見られる自然史博物館、自然学習館がひとところにあるため、子どもと一緒に自然観察するにも最適なところです。

平昌東江淡水魚生態館
 
江原道(平昌郡)
生態系保全地として天恵の自然生態を持つ東江(トンガン)を広め、河川の重要性や自然保護への認識を高め、東江の魚を始めとした水生動植物を保全・維持する目的で、平昌東江淡水魚生態館(ピョンチャン・ドンガン・ミンムルコギ・センテグァン)は2009年7月にオープンしました。東江淡水魚生態館は美灘面馬河里一帯の10,350㎡の敷地に建てられた地下1階、地上2階の建物で、延べ面積は1,627㎡になり、韓国の主な淡水魚の80%が生息する東江の魚の生態が体験できるように作られています。 1階の展示館には東江と平昌江流域に生息する天然記念物第259号のオルムチ(和名ヤガタニゴイ)を始め、チャムジョンゲ(和名コウライシマドジョウ)、クムガンモチ(和名コンゴウハヤ)など、45種1,500匹以上の在来種と水生昆虫、水辺の植物などが展示されています。 2階には、魚のエラや浮袋などの様々な器官が見られる魚の腹体験館や、3D立体映像館、東江の映像を見ながら筏体験などができるコーナーがあります。また、東江の魚や水生昆虫を入れた小型の水槽や採集槽、生態館内に展示されている魚のキャラクターグッズを販売するフィッシュショップもあります。生態館の周辺には、魚を観察して手で触ってみることのできる大型水槽やロッククライミングなどができる野外体験学習場があります。   

山清伝仇衡王陵
 
慶尚南道(山清郡 ) ,
伽倻10代目の王である仇衡(クヒョン)王の墓であると伝えられている積石塚で、仇衡王は金庾信の曽祖父にあたります。521年に伽倻の王になり、532年に新羅の法興王に領土を奪われるまで11年間在位しました。普通の墓とは違い、丘の傾斜しているところに高さ7.15mの基壇式石段が組まれています。前から見ると7段で、後方は傾斜を利用して作られているため、平地でピラミッド式に層が作られたものとは違っています。墓の頂上は楕円型になっており、墓の中央には「駕洛国譲王陵」と書かれた碑石があります。

順天支石墓公園
 
全羅南道(順天市 ) ,
松光面の住岩湖畔に作られた支石墓公園は住岩ダムの建設(1984~1991)によって水沒地域にあった先史遺跡を一箇所に集め復元した所です。 この地域に散在している多くの文化遺跡を保存、継承するために発掘調査を実施した結果、旧石器遺跡4ヶ所、集落地4ヶ所(200基)、支石墓24ヶ所400基、白磁陶窯地1ヶ所、立石4基が発掘されました。 その中で代表的な支石墓郡を移転、復元して子孫たちの歴史教育の場と住民の憩いの空間として活用するため、18,000坪余りの敷地上に公園を作ることになりました。 ここには、支石墓140基余りと先史時代の穴蔵6棟、旧石器時代の家屋1棟、北方的な形の支石墓5基、ソッデ、立石が展示された野外展示場と、支石墓から出土した遺物を展示した遺物展示館、全南地方の墓祭の時代別変遷と映像室を兼ねた墓祭展示館で構成されていて、公園一円が全羅南道の文化財資料第154号に指定されています。