ソウル 延世大学校スティムソン館(서울 연세대학교 스팀슨관)
 
ソウル(西大門区)
延世大学校で最初に建てられた建物で、1919年着工、1920年に竣工した石造2階建ての建物です。 延世大学校の前身である延禧専門学校設立者アンダーウッド(韓国名・元杜尤/ウォン・ドゥウ)牧師が故郷・米国へ帰国し恒久的な学校建築のためアメリカロサンゼルスに居住していたチャールズ・スティムソンの寄付を得ましたがその後逝去、後任の校長エビソンがその意志を引き継ぎ、その寄付金を元に建設しました。 建設開始時には未亡人となったアンダーウッドの妻が礎石を置き、当時の化学科教授・ミラーが工事の監督を行ないました。 設計は未詳とされていますが当時の米国人建築家らが来韓し設計及び基本計画を作成したといわれています。外観は南北に細長い形をした切妻屋根のゴシック様式の建物となっています。

江華シーサイドリゾート リュージュ(강화씨사이드리조트 루지)
 
仁川(江華郡)
ソウル首都圏西部エリア唯一のリュージュ、そしてゴンドラ、フードコート、テーマ散策路などを完備した、楽しさ、幸せ、愛があふれる江華(カンファ)シーサイドリゾート リュージュ! 人ごみであふれる大都会から近く、山と海が出会い、こじんまりとした自然の趣を感じされる江華島(カンファド)! 森の香りが漂う中、ゴンドラに乗って頂上まで上ると、夕暮れ時には展望台から美しい江華島の海岸線の風景を眺めることができます。 東洋最大の長さを誇る江華シーサイドリゾートリュージュは、ご家族皆さんでお楽しみいただけるよう様々な趣向が凝らされた全長1.8kmのトラックをダイナミックに一気に滑り降りるコースとなっています。

楸子島オルレ(추자도 올레)
 
済州道(済州市 ) ,
楸子島はひとつの島ではあれいません。人の住む4つの島と8つの無人島が楸子島と呼ばれています。楸子島のふたつの島、上楸子と下楸子の山を越えていく済州オルレのでは楸子島の秘境を見ることができます。

丹陽 舎人岩(단양 사인암)
 
忠清北道(丹陽郡 ) ,
大崗面舎人岩里にある舎人岩は丹陽八景のひとつです。丹陽の南側の南朝川辺の青く深い渓流にある高さ70mの奇岩絶壁です。丹陽八景を訪問する観光客の大部分はどうろ条件により、舎人岩を一番最初に訪れる場合が多く、舎人岩の前に流れる渓谷を雲岩九曲といい、丹陽八景の中でも一番美しいと言われています。舎人岩という名称の由来は高麗時代の儒学者である易東と禹倬の行跡によって付けられた名前です。

新炭里駅(신탄리역)
 
京畿道(漣川郡) ,
「新炭里(シンタンニ)駅」は京元線の大光里駅と白馬高地駅との間にある駅で、1913年7月10日から営業を開始しました。1945年から一時、北韓に所属していましたが、1951年に再び韓国側に所属が変更されました。1971年に鉄道中断点の表示板が設置されました。以前は韓国側最北端の終着駅でしたが、2012年11月20日に延長されて白馬高地駅が開通したことから大光里駅と白馬高地駅との間に位置しています。KORAIL首都圏東部本部所属で、京畿道漣川郡新西面高台山キル4(大光里169-2)にあり、近くには高台山があります。

天恩寺(三陟)(천은사(삼척))
 
江原道(三陟市) ,
天恩寺(チョヌンサ)は、李承休が韓民族の大敍事詩である帝王韻紀を執筆した場所です。創建の歴史は、758年にインドからやって来た3人の僧侶である頭陀三仙が白い蓮の花を携えてやって来て建てたといわれています。その後、829年に梵日国師が極楽宝殿を建立したことで寺としての基盤が築かれました。高麗の忠烈王の時代に李承休が改修し、ここで大蔵を全て読んだということで看蔵庵と呼ばれ、そして朝鮮の宣祖の時には西山大師が寺を再建し、黒岳寺と名づけました。1899年には李成桂の4代祖の墓である穆祖陵が未老面活耆里につくられ、この寺を願堂寺刹として「王からの恩恵をあずかった寺」ということで天恩寺と呼ぶようになりました。 韓国戦争(朝鮮戦争)の際に焼失してしまいましたが、1983年にムン・イルボン僧侶が再建しました。境内へと続く砂利の小道の両側には桜の木が植わっており、春になると桃色の桜の花が満開に咲き誇ります。

白蓮寺(康津)(백련사(강진))
 
全羅南道(康津郡 ) ,
白蓮寺は839年に建立されました。その後、1211年に円妙国師了世によって増築されました。高麗後期の120年間、高麗の8人の国師を輩出しました。このお寺は天台思想に立脚した結社道場を開設して、沈滞した仏教の中興を行うのに中心的な役割を担いました。

KOREA COUNTRY CLUB(코리아 골프장)
 
京畿道(竜仁市) ,
Korea Golf & Art Village内のKOREA COUNTRY CLUB(コリアカントリークラブ/コリアゴルフ場)は、ソウル江南から30~40分という好立地以外にも夜間の照明施設および電磁誘導式5人乗りカートなど、最上の施設とカスタマサービスを誇る名門ゴルフクラブとして人気です。また、9ホールの増設によって、さらに良いサービスを提供できるようになりました。コースはアップダウンがほとんどありませんが、中央には大きな池があり、4つのホールがアイランドグリーンとなっています。その他、各ホールには特定の樹木が植えられており、それぞれに個性を持たせています。また、各種プロ・アマゴルフ大会を誘致し、常に最高のフィールドコンディションを維持するために徹底したコース管理をおこなっています。

珍島(진도)
 
全羅南道(珍島郡 ) ,
珍島郡は西海(黄海)と南海が出会う韓半島(朝鮮半島)西南の海にある約230の島から成っています。本島である「珍島(チンド)」は、「1年農業して3年暮らす」という言葉があるほどに農耕地が広く、実り豊かなところです。また、島周辺の海では魚類と海藻がたくさんとれるため、島の名前も「宝の島」という意味を持つ「珍島」と付けられました。島全域にはさまざまな遺跡が散在しており、なかでも龍蔵山城と南桃石城は高麗時代の三別抄の抗蒙遺跡址として、鳴梁海峡は壬辰倭乱(文禄の役)当時、李舜臣将軍が倭軍を打ち破った戦勝地として知られています。珍島には八景と三宝があり、珍島八景とは鳴梁大捷址である鬱陶項海岸、神秘の海割れ、観梅島の観梅八景、南桃石城、雲林山房、龍蔵山城など、三宝は珍島犬、クコの実、自然産岩ワカメをいいます。毎年旧暦2月末頃には古郡面の回洞里と義新面の茅島里間に長さ2.8キロメートル、幅40メートルほどの道が現れる海割れが見られます。韓国版モーゼの奇跡として広く知られたこの神秘の海割れが起こる頃には燃灯祭が開催され、多くの観光客が訪れます。珍島と海南の間の鬱陶項には1984年に珍島大橋がかかり陸路で島に出入りすることができるようになりました。

京元線鉄道中断点(新炭里駅)(경원선 철도중단점(신탄리역))
 
京畿道(漣川郡) ,
韓国戦争以前にソウルと元山を行き来し、人や物資を運んでいた鉄道は今新炭里駅で引き返しています。新炭里駅から昔の鉄原駅を通り休戦ラインを越え、平康までの間は現在鉄道がなくなってしまっている状態です。北韓では平康-洗浦-高山-龍池院-元山などを通り高原まで続く京元線を「江原線」と呼んでいます。現在新炭里駅の近くにある「鉄馬は走りたい」という京元線鉄道の南側中断点を物語る標識が、分断の悲しみを伝えています。2005年基準で漣川群を通る京元線の鉄道駅数は全部で7つありますが、この中で最初に設置された駅は全谷駅、漣川駅で、1912年7月25日に普通駅として営業を開始しました。そして翌年の1913年7月10日に新炭里駅が簡易駅として営業を開始し、1954年7月1日には普通駅として営業を開始しました。これら4つの駅は京元線が開通する前に作られた駅であり、日帝強占期にはこの4つの駅のみが運営されていました。その後、哨城里駅が普通駅として営業を開始し、戦後1956年10月1日に新望里駅に乙種委託販売所が設置されました。さらに漢灘江国民観光地が作られ、観光客が押し寄せたので、これに対応するため1975年6月28日に漢灘江駅が開設され簡易駅として営業を開始しました。