姑蘇洞天使壁画村(고소동 천사벽화마을)
 
全羅南道(麗水市 ) ,
姑蘇洞(コソドン)壁画村は麗水(ヨス)で最も古い集落で、丘の上にあることから、麗水の海原や突山(トルサン)大橋、コブクソン(亀甲船)大橋が一望できます。 壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時には忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍が作戦を立て命令を下した歴史的な場所としても有名です。 2012年麗水エキスポ開催を契機に、麗水市と姑蘇洞の地元住民が協力し合い、町の塀一面にたくさんの壁画を描き、地理的条件も活かし、観光スポットとして一躍脚光を浴びました。 鎮南館(チンナムクァン)から姑蘇洞の丘を歩いて麗水海洋公園に至るまでの道の総延長が1004mで、この「1004」が韓国語で「チョンサ」と読み、「天使(チョンサ)」と同音であることから、天使壁画通りとも言われています。 通りは7つの区間に分かれ、各アリアの塀には麗水エキスポのテーマである「海洋」にまつわる壁画をはじめ、麗水地域の歴史や文化、景色、そして李舜臣将軍や水軍をテーマにした壁画が描かれています。 展望休憩所もあり、しばし足を止めて一休みするのもおすすめです。 壁画村内にある忠武公大捷碑閣もここに来たら見ておきたい史跡です。ここには李舜臣将軍の戦跡を称えた左水営大捷碑(麗水統制李公水軍大捷碑・宝物第571号)や李舜臣将軍の貢献を追慕する堕涙碑(宝物第1288号)があります。 壁画通りが終わるところには麗水海洋公園があります。ここは麗水市民が週末の散策の場所として有名で、特に夜景が美しいことで有名です。

遯岩書院[ユネスコ世界文化遺産](돈암서원 [유네스코 세계문화유산])
 
忠清南道(論山市 ) ,
遯岩書院は1634年、現在の場所より1.5キロメートルほど離れた場所に建てられ、1660年に王より扁額が下賜されました。書院が建てられた場所は低地で、洪水のときに庭まで水が流れ込んでくるため、1880年に現在の場所に移されました。1865年の書院撤廃令が出たときも撤廃を免れた書院です。儒学者により毎年2月と8月の中丁(月の中旬の丁(ひのと)の日)に祭祀が行われています。 ※所有者:光山金氏一族

麟蹄スケトウダラ村(인제 황태마을)
 
江原道(麟蹄郡) ,
江原道(カンウォンド)の麟蹄(インジェ)にある龍垈(ヨンデ)3里は、近くに名所の多い観光の村です。龍垈里自然休養林や雪岳山、弥矢嶺渓谷などがあり、全国的に有名な麟蹄スケトウダラ祭りが開かれます。龍垈3里では様々なイベントや祭りを作り、村に活気を呼び込んでいます。毎年初めにここの特産品であるスケトウダラをテーマに繰り広げられるスケトウダラ祭りは、龍垈里の代表的な祭りです。冬には人工滝でアイスクライミングが開催され、全国のロッククライマーが集まります。龍垈里村で運営しているオクスゴル観光農園は、ファームステイイベントのためにここを訪れた家族にリラックスして休める場所と体験の空間を提供します。観光農園には森や池、宿泊施設、様々な農村体験プログラムがあり、都会から訪れた人々に観光以上のものを伝えています。夏には渓谷で山女魚捕り体験、秋にはマツタケ狩り体験、冬はスケトウダラ祭りや氷上釣りなどの体験ができます。

東十字閣(동십자각)
 
ソウル(鍾路区)
東十字閣(トンシプチャガク)は、景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンファムン)の右手(東側)へと続く石塀と、光化門の北東にある建春門(コンチュンムン)から続く石塀とがぶつかる、景福宮の南東の隅に建てられた望楼です。 基礎の石壇部分は朝鮮時代初期の遺構とみられますが、楼閣自体はは興宣大院君(フンソンテウォングン・在位=1864~1898年)の時代に建立されたものと推測されます。 東十字閣の規模は小さいながらも、調和の取れた芸術的な造形美を誇り、景福宮にある優れた建築物のひとつと言えます。 東十字閣の建物は、景福宮の東南の隅に建てられた望楼のような高台にある建物としての役割を果たしていましたが、景福宮の敷地を囲む塀が東十字閣周辺で無くなってしまったことから、現在では道端にぽつんと立ったような形になってしまいました。 十字閣の建物は元々、景福宮の正面の東西の両隅にそれぞれ東十字閣・西十字閣(ソシプチャガク)が建てられ王宮の内と外を監視できるようになっていましたが、西十字閣の方は取り壊され現在ではありません。 長大石を組んで作った石の基壇の上に建っている楼閣は、正面と側面がすべて3間の長さの正方形をした形となっています。 また、楼閣の骨格となる木材でできた軸部の構造は、柱と柱の間の下部にある貫木・下枋(ハバン)と、上部の柱貫・昌枋(チャンバン)のみで組み上げ、柱と柱の間には壁がなく柱むき出しの構造となっており、楼閣が建つ石壇上部の床面は土床となっています。

江汀川(강정천)
 
済州道(西帰浦市) ,
西帰浦市江汀洞の東側にある江汀川は普段水量が少ない済州島の一般河川とは違い、四季折々できれいな水が流れる所です。江汀川に隣接して江汀取水院と浄水場があり西帰浦市の飲料水の70%を江汀川で生産供給しています。江汀川は毎年11月から翌年4月まで湧出数量が多少減りますが、豊水期である6月~9月には多くの数量が湧出され海まで流れています。河川の長さは全長16キロで途中橋梁6ヶ所、滝13ヶ所があり、きれいな水が流れる河川の両側には奇岩絶壁とヒノキが茂り絶景です。江汀川には他の地域では見ることが難しい魚が多く棲息し、また天然記念物第327号であるオシドリが飛来するのがたびたび目撃されています。

華川 碑木公園(화천 비목공원)
 
江原道(華川郡) ,
「碑木公園(ピモクコンウォン)」は、平和のダム周辺に造られた公園で、6.25戦争(朝鮮戦争)の痛みと、犠牲になった若い無名の勇士たちの魂を称える場所であると同時に、国民歌曲「碑木」誕生の地でもあります。作詞家ハン・ミョンヒは1960年代中頃、平和のダムから北に14キロメートル離れた百巌山渓谷非武装地帯で軍生活を送っていました。ある日偶然、雑草の生い茂る場所で無名の勇士のさびた鉄兜と石の墓を見つけ、その墓の主が戦争当時、自分と同じくらいの若さだっただろう想いながら作詞をし、作曲家チャン・イルナムがこの歌詞に曲を付けて「碑木」が誕生しました。この曲は1970年代中盤から知られはじめ、今でも広く愛されています。

光州湖(광주호)
 
光州広域市(北区) ,
* 秀麗な景観と多様な見所のある湖「光州湖」*光州から東16km地点にある光州湖は潭陽湖・羅州湖・長城湖などと一緒に栄山江流域開発事業の一環として栄山江の支流である古西川をダムでせき止めて1976年に竣工した湖です。4つの湖の中で一番規模が小さいですが、ダムの長さは505m、高さ25mで決して小さいダムではありません。潭陽郡古西面分香里のヨンデ山とその向かいを止めて作ったもので1974年に工事が始まり、1976年に完成しました。* 光州湖の見所 *光州湖は無等山の下にあり、周辺は秀麗な自然環境と調和した湖畔休養地であり、湖には多種の魚が生息しており、釣りの名所でもあります。

虹霓門(홍예문)
 
仁川(中区) ,
虹のような形をしていることから名付けられた虹霓門(ホンイェムン)は、仁川(インチョン)の南北の行き来の不便さを解消するため、鉄道敷設の任を預かっていた日本の工兵隊が1906年に着工、1908年に完成したもので、当初は穴門と呼ばれていました。 各国の租界が作られた当時、朝鮮政府の計画に反対した日本人は、朝鮮や満州への侵略の計画、そして仁川へ集まる日本人の居住地拡大の問題が現実化し、日本人租界の拡大を目論んでいました。 当時、仁川の街の交通事情は大変劣悪なもので、日本人租界や仁川の港から、仁川の街の北側、現在の仁川駅の北にある当時の仁川の中心地・万石洞(マンソクドン)方面へ向かうためには、北西の海岸沿いにぐるっと迂回して行けねばなりませんでした。 そこで、日本人らは比較的、短距離で仁川の南から北への行くことができる、現在の松鶴洞(ソンハクトン)の丘を削り、万石洞へ通じる道を開き、その場所に花崗石造りの虹霓門を築き、測候所などがある北側への進出を企てました。 虹霓門の築造様式は花崗石と煉瓦を同時に使ったアーチ構造で、当時の日本の土木工法や建材を知ることができる比較的原型を留めている史跡として価値があります。

八峰山(瑞山)(팔봉산(서산))
 
忠清南道(瑞山市 ) ,
八峰山(361.5m)は山の形成が屏風のように広がっていて、9つの村を囲っています。山の名称は8つの峰が並んでいることに由来しています。8つの峰のうち、一番高いのは3つの峰で高さ362mです。空気がきれいで景色もよく、3時間程度の登山コースがおすすめです。

頭陀山(三陟)(두타산(삼척))
 
江原道(三陟市) ,
高さ1,353mの頭陀山(トゥタサン)は、太白山脈の主峰をなしており、美しい山勢とその山の中には文化遺産および希少動植物が散在しており、毎年多くの登山客が訪れます。頭陀山は、風の山と呼ばれるほど、風が強く吹く山で、山の名前である頭陀とは仏教用語で、俗世間の煩悩を捨てて仏道に入り修行をすることを意味します。