光州広域市(北区)

国立光州科学館は韓国政府の2003年科学館育成計画に基づき推進・設立された科学館です。光州先端産業団地に開館した光州科学館は光と科学、そして芸術に特化した科学館で、宇宙船の形をした建物の外観に未来への夢や希望を表現しています。体験中心展示物で主に構成され、観覧客が五感で体験しながら想像力や創意力、そして未来志向的な考えを養い、科学に対する理解と好奇心を満たすことができる科学館となっています。* 開館日 2013年10月15日


仁川(江華郡)

【歴史と文化が息づく江華ナドゥルキル】 江華ナドゥルキルは海岸に沿って1.3kmごとにある墩台と、江華山城を結ぶ道です。そして、高麗王陵を張り巡らすように造られた道を指します。また、山と野原、海と文化財を楽しみながら歩く道です。 江華島は島の全体が博物館と言えるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に移ってきた高麗の跡が見られる高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。 江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨(1846-1916)が記した「沁都紀行(シムドキヘン)」という詩集があります。沁都紀行は高在亨が1906年桃の花が咲き乱れる春の日に、故郷のドゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨が大韓帝国の 暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷で歩いた道を約100年過ぎた今、江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのです。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。 【江華ナドゥルキル第1コース】シムド歴史文化キルは、江華バスターミナル~江華邑内~甲串墩台を結ぶ18㎞の区間で、朝鮮時代後期に哲宗が王の座につくまで住んでいた龍興宮や、江華郷校、聖公会聖堂などを通ります。


仁川(中区)

パラダイスシティCIMER(シメール)は、仁川(インチョン)広域市中区(チュング)に位置する仁川国際空港空港のある空港島・永宗島(ヨンジョンド)内のパラダイスシティに2018年9月オープンしたスパです。 CIMERは空を意味するフランス語「ciel」と、海を意味する「mer」を合わせて名づけられた名称です。CIMERはおよそ1万3000平方メートルの施設に、同時に約2000人まで収容できる規模を誇ります。 ラグジュアリーを極め、トレンディーなアクアスパゾーンでは、プール施設をはじめダイナミックなLEDメディアアートもあり、他では味わうことができないコンセプトのフルパーティーをお楽しみいただけます。


慶尚南道(泗川市 )

慶尚南道(キョンサンナムド)泗川市(サチョンシ)大芳(テバン)と南海郡(ナメグン)を繋ぐ連陸橋・三千浦大橋(サムチョンポテギョ)は、地元のランドマークで、近くには三千浦大橋公園という公園もあります。2003年に完成・開通し、泗川市内を経てすがすがしい海原を一望できる大橋です。泗川市と南海郡の間の島を繋ぐ島でもあります。


慶尚北道(慶州市 )

慶州(キョンジュ)皇理団(ファンニダン)キルは、慶尚北道(キョンサンプクド)慶州市皇南洞(ファンナムドン)鮑石路(ポソンノ)一帯の「皇南クンキル(大通り)」と呼ばれる通りで、伝統韓屋の構えのカフェや食堂、写真館などが数多く軒を連ね、常に若者たちであふれています。 皇理団という名称は、ソウル・梨泰院(イテウォン)にある若者に人気の通り・経理団(キョンニダン)キルにあやかってつけられたものです。 皇理団キルには1960年代から70年代に建てられたレトロな建物などがそのまま残されており、ひと昔前の韓国の雰囲気を感じることができます。 近くには瞻星台(チョムソンデ)、大陵苑(テルンウォン)など史跡も多く、慶州の観光名所のひとつとして脚光を浴びている場所です。 <出典:慶州文化観光>  


蔚山広域市(東区)

蔚山大橋展望台は高さ63m(海抜203m)を誇る華亭山(ファジョンサン)の頂上にある展望台です。 展望台に上ると2015年5月に開通した韓国最長で東洋で3番目に長い単径間懸垂橋・蔚山大橋や蔚山の三大産業である石油化学、自動車、造船産業団地や蔚山七大名山を眺めることができます。昼間に眺める蔚山の全景や、夜に眺める工業団地や蔚山中心部の夜景は他では味わえない絶景です。展望台には蔚山広域市東区観光記念品ギフトショップやカフェなどもあり、観光スポットとしても注目されている場所です。


慶尚南道(統営市 )

統営8景「小毎勿島(ソメムルド)から見渡す灯台島の奇岩怪石と叢石断崖が特に絶景で引き潮の時は、この2点が繋がり渡れるようになります。龍の岩、釈迦の岩、亀の岩、燭台の岩は大自然の傑作品です。見どころを挙げると、灯台島から小毎勿島を見渡すと奇岩怪石としてなっている岩全体が巨大な恐竜が座った形象もあります。 昔の近隣や部落ではそば(メムル)を多く生産していたと呼ばれた地名(1934年刊行の統営郡誌では「メミド」となっています)でしたが、そばの側にある小さい島という意味で「小毎勿島」となりました。1904年金海金氏が島に行き、飢えないという言葉を聞き、ここに移住し定住し、村を開拓しました。島の形が素晴らしく、毎年観光客の足が絶えません。 ※ 文化観光部主管 行きたい島示範事業 * 島構成 : 本島1、付属島2 * 面積 : 330,000㎡(付属島を含めた面積) * 人口 : 37人


忠清北道(沃川郡 )

忠北沃川郡沃川邑には、ヒャンス100里キルの最後の場所「陸英修生家」があります。陸英修女史が幼少時代を過ごした家が崩れかけたまま残されていたのを改修し、2011年5月、一般に公開しました。この家は1600年代の官僚金氏が建てた家で、その後2人の官僚が暮らしたとし「三宰相の家」と呼ばれていました。 陸英修女史が生まれる前の1918年、陸鍾寬氏がこの家を買い取り、暮らすようになりました。朝鮮後期の典型的な忠清道両班家の家屋と言えます。


ソウル(鍾路区)

安国洞(アングクドン)交差点から鐘閣(チョンガク)方面に南北に走る郵征局路(ウジョングンノ)を南へと歩いていくと、すぐ右手に民家と軒を連ねている小さな建物が見えてきます。それが郵征総局(ウジョンチョングク)の建物です。 この郵征総局は朝鮮時代末期、郵政業務を行っていた官庁です。日本とアメリカを視察した洪英植(ホン・ヨンシク)の建議により、従来の駅伝法を改正し近代式の郵便制度を創設、1884(高宗21)年3月27日(陰暦)、旧・典医監(チョニガム=朝鮮時代、宮中で使われる医薬の供給や下賜された医薬にかかわる業務を担った機関)の建物を改修する形で郵征総局を設置しました。 この郵征総局は韓国国内の郵便事務よりも、仁川(インチョン)、釜山(プサン)、元山(ウォンサン)などの港を経て発送・到着する国際書信の交流事務に力点を置いていました。郵征総局は韓国初の近代郵便制度が始まったところですが、従来の政治体制を変革しようと試みた甲申政変(カプシンチョンビョン)が起こった場所としても有名です。 清と閔氏一族の勢力が1882年壬牛軍乱(イモグルラン)を契機に徐々にその勢力を拡大すると、これに危機感を抱いた金玉均(キム・オッキュン)、朴泳孝(パク・ヨンホ)、徐載弼(ソ・ジェピル)などの改革派が政権奪取を目指し、郵征総局営業開始を祝う宴の当日の1884年12月4日(旧暦10月17日)に甲申政変を起こしました。 この当日、郵征総局の隣の民家に火を放ち、これを合図に保守派に対する攻撃を開始しました。 改革派が当時掲げた革新政綱には、両班(ヤンバン)中心の政治社会の支配秩序を打破し、民衆の平等と自由を実現する富国強兵の自主独立国家の建設を目指すことが書かれていました。 しかし、肝心の民衆の理解や関心を引き寄せることに失敗、加えて改革派を支援していた日本軍さえも清国軍に撃破され、政変は三日天下に終わってしまいました。 郵征総局の建物は何棟かあったものと思われますが、現在では現存の建物1棟のみが残っている状態です。郵征総局は韓国郵便事業の発祥地であり、また世界的に見ても古い部類に入る郵便業務を主管する官庁の一つに数えられています。  1884年12月に甲申政変により開業間もなく閉鎖された郵征総局でしたが、128年ぶりに郵便業務を再開、2012年再びオープンしました。再スタートを切った郵征総局ですが、現在、建物内部は郵政史料展示スペースと郵便業務スペースの二つに分かれています。現在の郵征総局の建物は史跡第213号に指定された建物のため、簡単な郵便業務のみを取り扱っています。 * 面積 - 2,588平方メートル


釜山広域市(影島区)

釜山市影島区太宗台にある影島灯台は、1906年12月に設置されて以来、数百年の間、釜山港の航路に玲瓏たる光を照らしてきましたが、施設の老朽により、2004年に新しい灯台と交換され釜山地域の海洋観光名所として浮上しました。 新しく建設された影島灯台は、灯台施設、芸術作品の展示室、自然史博物館などがあります。灯台の施設は、円形で白く、鉄筋コンクリ-ト造りになっており、高さは35m、灯台の灯りは40km先まで届きます。影島灯台の展示室は、市民と訪問客のために美術作品を紹介する場所として活用されており、自然史博物館は灯台の真横にあるシンソン岩などから発見された恐竜の足跡や白亜紀の恐竜たちの生息地であったと推測されるこの地を記念する恐竜の化石などを展示しています。影島灯台に来た際には、灯台と海、天恵の絶景、そして合わせて海洋ギャラリーでは、美術作品も鑑賞することができる、親しみのある海洋文化空間としての役割も果たしています。