江原道(旌善郡)

白頭大幹の中心に位置する山奥の地域で、太白山の一番大きな山である海抜1,573mの咸白山のふもと700~1,100mにわたる素晴らしい自然のなかにあります。


蔚山広域市(南区)

蔚山大公園は大規模のプールやテーマパーク、野外公演会場などが完備されている生態系都心公園です。野外にあるテーマパークには散策路や遊戯施設、屋外公演会場、広場などがあります。また、公園の南側には蝶園、バラ園、ミニ動物園があります。


慶尚北道(奉化郡 )

清涼山道立公園(チョンニャンサン・トリプコンウォン)は昔から高僧と文人が留まった地域。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅(57B.C.-A.D.935)の文武王(文武王在位661-681)3年(663年)に元暁大師(元曉大師617-686.3.30)が建てた清涼寺を始めとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。 清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉(1501-1570)の「清涼山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清涼山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。 清涼山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘(625-702)や名筆家・金生(711-791)、学者・崔致遠(857-?)などが訪れ修行した山。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。 文化財としては清涼寺と応真殿、また退溪が文人達と講論した場所に弟子が建てたという吾山堂や高麗・恭愍王(在位1351-1374)が紅巾的の乱(農民反乱)の際に作られたという清涼山城などがあります。


済州道(済州市 )

モンゴルの侵入時祖国を守ろうと決起した三別抄(高麗の高宗時代に崔瑀が創始した夜別抄の左右部隊(左別抄・右別抄)および神義軍の総称)が最後まで抗戦したところで、展示館と記念碑、土城が残っています。また周辺にはキム・トンジョン将軍が飛び降りた足跡から湧き出てきた水と言われている「長寿水」がありますが、現在飲用水として飲むことは出来ません。三別抄は高麗軍の精鋭部隊として高麗元宗11年(1270)2月、高麗朝廷がモンゴル軍と講和を結ぶとすぐにこれに反対し、最後まで反蒙抗争を継続しましたが、全羅道珍島で敗れるとすぐにここ済州島に渡ってきてハンパドゥ城を築いてモンゴル軍と2年余り抗争を続けます。しかし元宗14年(1273)4月、モンゴル勢力により敗北。三別抄独自の武力は外勢の侵略から祖国を守護しようとする護国忠実な気持ちの現れとして今日の韓国国民に多くの教訓を与えています。


全羅北道(完州郡)

千年古都である全州の南側にそびえ立つ母岳山は完州郡九耳面元基里一体にあり、金堤市金山面と境界になる名山です。万頃江と東津江の間に広がっている万頃平野の東側にそびえ立つ793.5mの母岳山は盧嶺山脈の中央部にあります。1972年12月、道立公演に指定されました。11点の国宝級の文化財と多くの地方文化財を所持している金山寺があり、季節によって多様な変化を見ることができる美しい山です。金山寺と桜は辺山半島の緑陰、内蔵寺と紅葉、白羊寺の雪景色は湖南の4景と言われています。それだけではなく、金山寺をはじめとした大源寺、水王寺などの寺院もあります。新羅時代末期に甄萱がこの場所を拠点に後百済をおこし、朝鮮時代末期に姜一淳が大源寺から悟りを開き、甑山教を開いて数十種の新宗教が生まれた山です。


済州道(済州市 ) , 구 제주

メイズランドは世界最長の長さを誇る石造りの迷路がある総合テーマパーク。韓国が誇る美しい島「済州島」の三多(石、風、女)をテーマにした長さ5.3kmの迷路、迷路の起源や説話、14世紀から現在に至るまでの迷路関連の異物やパズルを実際に体験し観覧することができる迷路博物館があります。 迷路は、石と木からできていますが、済州島の石は遠赤外線の放射量が多く、女・風の迷路に植えられている木はフィトンチッドの放出量が多いため、単純に迷路を歩くだけではなく、健康にも良い影響が期待されます。40年間に渡って手入れが行われてきたメイズランドの敷地には、40年の間に成長した様々な樹木が敷地全体を囲むように生えており、森林浴も楽しむことができます。


京畿道(楊平郡) , 楊平

中元瀑布は京畿道楊平郡の東側の麓に位置しています。高さ10メートルには及ばない3段滝で、周辺を屏風のようにめぐった奇岩絶壁と広くて深い淵が注目を集め夏場の人気観光地でもあります。