京畿道(驪州市) , 驪州

驪州陶芸団地(ヨジュ・トイェダンジ)とは京畿道驪州郡北内面、五鶴里、五今里、峴岩里、川松里、池内里いったいの陶磁器工場密集地をさします。昔よりこの地域では質の良い粘土、白土、高嶺土など陶磁器の原料が生産されていたため陶芸家が自然に集まり陶磁器村が形成されました。ここでは、陶磁器の生産過程を直接見学できまた安価で購入できます。また毎年陶磁器フェスティバルが開かれています。


慶尚北道(栄州市 )

慶尚北道栄州市順興面にある紹修博物館は儒教と関連した伝統文化遺物を体系化して民族精神の根を探すことの出来る場所です。紹修博物館は遺物と文献、民俗資料など重要な文化遺産約2万点を一目で見ることの出来るように展示してあり、地域文化の活性化と躍動感ある歴史体験をすることができます。


江原道(橫城郡 )

横城(フェンソン)温泉シルクロードは、御踏山の麓の地下700メートルから湧き出る温泉水で、温泉から湖畔の眺められる場所に位置しています。黄土サウナや玉露サウナ、マッサージ風呂などがあり、こぢんまりした雰囲気の温泉です。 特に、水質に優れるアルカリ水温泉で、柔らかくなめらか。温泉周辺には恋人たちの散策路や登山路があり、宿泊施設や軽食コーナー、売店、200人収容可能なシルクロードガーデン、カフェなどがあります。


慶尚北道(浦項市 )


ソウル(鍾路区)

中国政府がアジア地域では最初に開設した文化院である駐韓中国文化院は2004年12月28日開館しました。韓国の各界関係者を対象に現代中国の発展の姿と中国の文化を正しく紹介し、中国を理解しようとする韓国の人々に正確な情報サービスを提供すべく設置されました。 韓中両国の文化交流をいっそう活性化させ、さまざまな形での文化活動を開催、中国語のみならずさまざまな中国に関する知識講座を開設し、両国の国民の理解と親善を図り、韓中両国文化に関する協力をもう一段さらに押し上げ相互協力し文化交流を行なう各界関係者に交流と親善の場を提供しています。  


慶尚北道(栄州市 )

慶尚北道栄州市文殊面水島里にあるムソム村は、安東の河回村、醴泉の回龍浦、寧越の仙岩村と 清冷浦のように、村の三方が水で囲まれている村です。洛東江の支流である乃城川と栄州川が交わりながら太白山と小白山を通り、村の三方を囲むように流れ、まるで陸地の中の島のようになっている、伝統を大切にしている村です。川辺には広い砂原が広がっており、その反対側には青々と生い茂る森があり景観がとても美しいです。ムソム村にある有名な文化財には海遇堂古宅と晩竹斎古宅があり、これらの他にも 金圭鎮家屋や金渭鎮家屋など9つの文化財が慶尚北道文化財資料と民俗資料に指定されています。 海遇堂古宅は、慶尚北道民俗資料第92号に指定されており、ムソム村に入る水道橋を渡ってすぐ左側に見える家屋です。海遇堂は19世紀末に義禁府都事を務めた金楽豊が建てた家です。ムソム村でもう一つ見逃せない家屋は、慶尚北道民俗資料第93号に指定されている 晩竹斎古宅です。潘南朴氏の入郷祖である朴檖が1666年に建てた家で、ムソム村で最も古い韓屋です。ムソム村でもう一つ見逃せないものは、約350年間に渡りムソム村と川の向こう側を結んでいる丸木橋です。1979年に水道橋が架けられる前までムソム村唯一の通路としての役割を果たしていた丸木橋は長さ150m、幅30㎝の橋です。水道橋が架けらたことにより姿を消した丸木橋ですが、最近昔の姿そのままに復元され、毎年10月に開かれる「丸木橋祭り」のシンボルとなっています。もともと丸木橋は、農作業をしに行く際に利用する橋、買い物に出かける際に利用する橋、学生たちが学校へ行く際に利用する橋の3つ架けられていたといいます。しかし今は、農作業をしに行く際に利用する橋の1つだけが丸木橋の伝統を伝えています。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

思陵(サルン)は朝鮮王朝時代最も悲運の女性、端宗の妃・定順王后(1440-1521)宋氏の陵です。 定順王后は1453年王妃に揀擇(多くの候補者を宮殿の中に集め、王、王子、王女の配偶者を選ぶ行事で選ばれること)され、翌年王妃になりました。 端宗が首陽大君(世宗)に王位を奪われ寧越に流されると定順王后も格下げになりました。その後端宗が亡くなると東大門の外にわら葺の家を建て一生夫を思いながら暮らしました。よって墓の名前も「思陵」になったとされています。思陵は王妃の陵で、他の陵に比べこぢんまりしていて簡素です。陵の規模も非常に小さく、屛風石(陵を保護するために陵の上の周囲を屏風のように立てた四角形の平たくて大きい石)を置かずに文人石(陵の前にたてる文官の形に造った石)や石馬(陵の前に石でつくった馬)のみがあります。


慶尚南道(金海市 )

銀河寺は慶尚南道金海市三芳洞の神魚山にあります。1900年ほど前、長遊和尙がインドから仏教を伝承してきた後に銀河寺を建てたと伝えられており、規模は大きくありませんが新羅と高麗の多くの僧侶がいた由緒深い寺院です。この寺院は映画『達磨よ、遊ぼう!』のロケ地としてよく知られています。


江原道(麟蹄郡)

北面所在地から束草側へ行く国道46号線の右側、外加平停留場の百潭寺から永矢庵を経て6キロメートルほど行くと、五歳庵(オセアム)があります。このお寺は、五歳庵は新羅時代に雪岳山に仏院を開拓した慈蔵律師が長経を伝え、九雲の大道を求めて善徳女王13年(644)に創建したお寺です。朝鮮仁祖(1643)時代、名僧であった雪浄大使が重建し改称しました。韓国戦争(朝鮮戦争)の際に焼失した後、改築され、今日に至っています。五歳庵は座禅道場、そして祈祷道場として広く知られており、多くの僧侶が修行を積んできました。 金時習が一時留まっていたほか、朝鮮中期に仏教復興を試みた普雨も身を寄せていた他、近代では詩人であり僧侶である韓龍雲も滞在していました。