全羅南道(莞島郡 )

映画(ヨンファ)『風の丘を越えて(ソピョンジェ)』はイ・チョンジュンの原作をもとに「パンソリ」という韓国固有の伝統音楽を題材に韓国人の恨(ハン)を見事に描いたイム・グォンテク監督の作品です。韓国映画史上初めて100万人以上の動員を記録し、大鐘賞6部門を授賞、主演であるパンソリの歌い手オ・ジョンへが一躍忠武路のスターとなりました。作品性も素晴しいが、韓国固有の拍子と美しい自然が一つとなりさらなる絶賛を受けました。 『風の丘を越えて』の撮影地この映画の中では、衰退していく大衆芸術の歴史が旅芸人である主人公の生の中で表現されています。歌い手の父と娘と義理の息子の壮絶な生、娘が父とパンソリから離れてしまうのを恐れて娘を失明させてまでパンソリに固執する父親の物語です。 * 青山島 - 全羅南道莞島郡青山面ダンリマウル この場所が有名な理由は、ユボン一家が黄土道を下りながら珍島アリランを歌うという名シーンが撮影された場所だからです。すぐそばにはソンファがパンソリを学んだ家が復元されています。 ▶アクセス方法 - 莞島 - 青山島行きの船便を利用(お問い合わせ - 莞島旅客船ターミナル:82-61-552-0116) * 頭輪山/大興寺 大興寺は海南邑から東南方向に12㎞程離れた頭輪山道立公園内に位置しています。新羅の僧侶阿道和尙が創建したと言われており、その後数回修復されました。 * 遊仙館 - 韓屋(韓国古来の家屋)の旅館で、『西便制』の撮影地として有名になりました。 宿泊費は 30,000ウォン ~ 120,000ウォン程度です。 (2人部屋 30,000ウォン / 4人部屋 60,000ウォン / 6人部屋 120,000ウォン) ※ お問い合わせ: 82-61-534-2959


慶尚南道(梁山市 )

迦智山道立公園区域内にある海抜1,059mの霊鷲山(ヨンチュクサン)は、景観が美しいことから嶺南アルプスと呼ばれています。山の下方を流れる渓谷は、通度寺周辺の庵と繋がっており、散策を楽しむのに調度良いコースとなっています。通度寺は梁山8景のうちのひとつでもあります。


全羅南道(木浦市 )

金大中(キム・デジュン)ノーベル平和賞記念館は、民主主義、人権、平和を守るため、生涯を捧げた韓国人初のノーベル平和賞受賞者・金大中の精神を垣間見ることができる記念館です。 四つの展示室がある本記念館には、大統領として在任した「国民の政府」5年間(1998~2003年)に国家発展のため行った外交安保、経済、文化など各分野ごとの国家発展戦略やこれを実現するための施策についての展示があります。 またノーベル賞誕生の背景、選定理由、選出方法などを理解し、さまざまな分野の受賞者のエピソードを展示、将来を担う子供たちにノーベル賞受賞の夢と抱負を抱かせる記念館となっています。


ソウル(永登浦区)

憲政記念館は1998年5月29日、国会開院50周年記念事業の一環で開設された記念館で、韓国国民をはじめ一般の方に公開されています。


釜山広域市(中区) , 南浦洞(チャガルチ市場)

釜山映画体験博物館は韓国国内初の試みとなる映画をテーマにした体験型複合文化スペースです。 釜山映画体験博物館の展示は1編の楽しい映画探検ストーリーにしたがって、映画の歴史や原理、映画のジャンル及び制作方法、映画祭などの映画コンテンツをわかりやすく、そして楽しく体験できるよう構成されています。


全羅南道(新安郡 )

塩博物館の建物は、1945年の塩田設立初期に建築された石造塩倉庫を利用して建てられました。この石造倉庫は現在使用されている木造の塩倉庫より前に建てられたもので、資材倉庫として使われていたものを改装し、2007年に塩博物館としてオープンしました。建物が昔のままに残されているため、塩田の歴史の貴重な資料となっており、近代の石造建築の姿を窺い知ることができます。博物館では塩の歴史、文化、ミネラル、天日塩田など、塩に関する有益な情報を提供しています。その他、塩の経済史、技術史、神話、芸術史などについても知ることができます。太平塩田の人々の日常や、天日塩が作られる過程が一目で見られるように構成されており、最近注目されているアッケシソウに関する情報も得ることができます。オープン日:2007年7月14日指定現況:大韓民国近代文化遺産第361号


釜山広域市(西区)

* 夜景が綺麗な場所、中央公園(大庁公園)* 中央公園(チュンアンコンウォン)は旧・大庁公園(テチョンコンウォン)と旧・大新(テシン)公園を含む亀峰山(クボンサン)一帯の名称で、国家や民族のため犠牲となった英霊の崇高な志を後世まで広く伝えるため忠魂塔、4.19慰霊塔、光復記念館、各種記念碑などがある釜山を代表する史蹟公園です。 6.25動乱(韓国戦争/1950-53)時、バラック村となった大庁山を公園に造成した中央公園ですが、釜山港が一望できる夜景の美しい名所として有名なところでもあります。 公園内には釜山・慶尚南道出身戦没将兵の英霊9,279柱を祀る高さ70mの忠魂塔や海軍戦勝碑、市民憲章碑、中央公園碑及び大韓民国臨時政府の国務委員であった張建相(チャン・ゴンサン)銅像があります。 中央(大庁)公園には一年を通じていつでも花を観賞できる花の丘があり、またさまざまな彫刻が野外展示され、彫刻公園としても市民に知られています。 この他、中央公園の敷地内にはゲートボール場、バドミントン場などがあり、誰でも簡単にスポーツが楽しめます。早朝には主に中高年層を対象にした気功やエアロビクスなども行われ、市民の生活の中に息づいた公園となっています。釜山市都市計画公園造成の変更決定により、1986年12月2日付で名称が中央公園に変更されました。


大邱広域市(中区)

チンコルモクは「長い路地」という意味の慶尚道方言で、「長い」を意味する「チルダ」という単語に由来します。 大邱の中心部を囲むように作られた城郭・大邱邑城(テグウプソン)の南門があった旧・大南韓医院交差点を過ぎて鍾路(チョンノ)方面へ50mほど入ると、右手に長く伸びる路地があります。慶尚監営時代から1945年の解放前までこの路地は大邱の土着勢力であった達城徐氏(タルソン・ソシ)の集姓村であったところです。 この路地を通っていけば、当時、軍事・行政の中心であった鍾路を通らなくても慶尚監営、中営まで行くことができました。 チンコルモク沿いの街は日帝強占期、京町(現・鍾路) 、南町(現・南一洞) 、上町(現・布政洞)と呼ばれていました。植民地支配から解放された1945年以降にも資産家や企業家の居住地として脚光を浴びた場所です。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

※ 2019~2020 韓国観光100選 ※ 慶熙宮(キョンヒグン)興化門(フンファムン)は朝鮮時代の光海君8(1616)年に建立された慶熙宮の正門です。 慶熙宮は建立当初、慶徳宮(キョンドックン)と呼ばれ、景福宮(キョンボックン)を北闕(プックォル=北の王宮の意)、昌徳宮(チャンドックン)を東闕(トングォル)と別名呼んでいたことから、西闕(ソグォル)とも呼ばれていました。 元々この場所には朝鮮時代の第16代の王・仁祖(インジョ・1595~1649年)の実父で第14代の王・元宗(ウォンジョン・1580~1619年)が王位に就く前に暮らしていた潜邸がありましたが、第15代の王・光海君(クァンヘグン・1575~1641年)がこの潜邸の場所が風水地理でいう王を誕生させる王気が集まる土地と信じ、この家を奪い、新たに慶徳宮を建立するに至りました。 日帝強占期の1910年には慶熙宮を取り壊し、京城中学校(現在のソウル高等学校の前身)を設立しました。この時、興化門は残されましたが、1932年、安重根(アン・ジュングン)義士が暗殺した伊藤博文の祠堂・博文寺の正門として移築されました。 1979年、新羅ホテルが博文寺があったソウル特別市中区(チュング)奨忠洞(チャンチュンドン)にオープンし、一時、新羅ホテルの正門として使われましたが、1988年再び現在の地に移築されました。 なお慶熙宮は1986年にソウル市により公園として開放されています。