江原道(江陵市) , 江陵

船橋荘は江原道地域で最もきれいに残されている品位ある上流階級の家屋です。江陵市から鏡浦方面に4km程離れたところにある船橋荘は朝鮮時代の上流階級の邸宅を代表する場所として重要民俗資料第5号に指定されました。船橋荘という名前は、鏡浦湖が現在よりも広かった時代、出入りするのに船を利用していたためこの地域を船橋の村(船橋里)と呼んでいたことに由来しています。船橋荘は朝鮮後期、孝寧大君の子孫であるイ・ネボン(李乃蕃/1703-1781)がイタチの群れを追いかけて偶然見つけた土地に建てた邸宅で、彼の子孫が現在も住んでいます。総建坪1,051.24㎡(318坪)で長いヘンナン(伝統的な屋敷で表門の両側にある、仕える者が居住する部屋)に囲まれた母屋や離れ、東別堂という家族が集まる部屋や祖先を祀る部屋などがそのまま残っています。門の外には数百坪の蓮池の上に造られた活來亭という東屋があり、また庭園までも備えています。船橋荘は建物だけでなく朝鮮後期の住居生活や生活用具を研究する際の貴重な資料になっており、周辺の景観とうまく調和しています。船橋荘の離れは「悦話堂」と呼ばれ李朝建国の歴史を記した「龍飛御天歌」という歌や高麗史など数千冊の本や絵が収められています。*母屋イ・ネボンによって1700年前建立された建物で、船橋荘の建物の中で最も庶民的な性格をもっており居間の向かいには広い板の間があり台所が居間と隣りあっています。*悦話堂(ヨルヮダン)主人専用の離れとして1815年に建てられ、悦話堂という名前は中国の詩人である陶淵明の悅親戚之情話という作品からとって名づけたと言われています。悦話堂は3段の石の上に建てられた楼閣形式の建物で、非常に風情のある姿を見せています。* 東別堂(トンビョルダン)母屋に連結し主人専用に建てられたㄱ字型の建物です。東側に2つ、西側に1つのオンドル部屋をつくり前には広い板の間が、後ろと東側には小さな縁側があります。*活來亭(ファルレジョン)船橋荘の庭園内にある人工池の上に建てられた東屋で1816年、悦話堂の次に建てられました。活來亭という名前は朱子の詩(觀書有感)中の「爲有頭源活水來」からとったと言われています。石柱で支えられ蓮池の上に浮いているように造られた活來亭は、楼閣形式をとりㄱ字型をしています。活來亭は側面全体が4枚続きの格子窓になっており部屋と板の間をつなぐ廊下の隣には客をもてなすための茶室もあります。*その他母屋と悦話堂の間にある書斎兼書庫として使われていた西別堂(ソビョルダン)は、一度焼失しましたが1996年に復元されました。建物の前にはヘンナンがあり、また横は元々倉庫でしたが開化期になって西洋から入ってきた新しい学問を教えていた東進学校跡があります。


江原道(束草市) , 束草・雪岳山

雪岳山(ソラクサン)国立公園・探訪案内所(タンバンアンネソ)は、2006年3月24日に文化と情報を提供する場としてオープンしました。映像室、テーマ別展示室、電子訪問記録、ゲームコーナーなどでは、雪岳山の動植物を始めとする生態系全般にわたる理解と保護の重要性について説明しています。


済州道(済州市 ) , 구 제주

沙羅峰は、済州港東に海辺に位置している済州市を代表する峰です。この峰に上がると、北には広大な海が、南には雄大な漢拏山が見え、下には済州市の町並みと周辺の様々な村が並びその姿はまるでひとつの絵のように美しく、特に夕方の赤い夕焼けが海を染める光景は、沙峰落照と呼ばれ、瀛州十景の一つとして数えられています。峰の形態は、北西方に広がる馬の蹄のような形をした火口で、scoriaで構成された寄生火山帯で、全体的に五葉松が植えられ森を成しています。特に峰全体が済州市民のための体育公園(沙羅峰公園)として造成されており、各種野外施設が設置されているなど森林浴コースとしても多く利用されています。頂上には、望洋亭という八角亭が建っており、北には済州島記念物第23号に指定されている烽燧台が原型に近い形で保護されています。烽燧台北山腹の循環道路周辺には、紗羅寺(太古宗)というお寺が海側に建てられており、 紗羅寺の北側の海辺絶壁の上には、済州初の誘引燈台である山地燈台があります。


大邱広域市(東区)

慶尚道の中心部にある大邱国際空港(テググッチェゴンハン)は立地的、機能的に全国を簡単に連携することができる大邱、慶尚北道の唯一の国際交流の中心的機能を遂行しています。慶山、永川など大邱の近郊地域には30分以内に、慶州、安東、浦項など慶尚北道の観光名所には90分以内に行くことができ、領南地域の拠点空港として活躍しています。鶴が飛翔する姿と尹善道の五友歌(水、岩、松、大、月)を象徴する配置概念を導入して安らかで快適な環境に作られています。 参考ページ:大邱国際空港  


忠清南道(扶余郡 )

*大王国の意味が込められたクドゥレ彫刻公園*扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。*なぜ「クドゥレ」というのか* 百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。 クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀(世紀720年編纂)に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたと見ることができます。


京畿道(水原市) , 水原

華城の西門で宝物第403号です。石垣で出来た門の上に断層門楼が建てられており、八達門の甕城とは違って、半円形の片側が開かれた形になっています。水原市のマークはこの華西門(ファソムン)をモチーフにデザインされています。


ソウル(鍾路区) , 三清洞・ソウル北部

本来、清渓川と鍾路北側の地域が北村(プクチョン)で、現在南山のある場所が南村(ナムチョン)といわれていました。最近では景福宮と昌徳宮の間にある韓屋村が北村と呼ばれています。北村は朝鮮時代に王族や官僚が住んでいたところで、南村には下級の官吏が住んでいました。 北村韓屋村には北村八景と呼ばれるビューポイントがあります。 [北村八景] • 北村一景(昌徳宮全景) • 北村二景(苑西洞工房通り) • 北村三景(嘉会洞11番地一帯) • 北村四景(嘉会洞31番地の丘) • 北村五景(嘉会洞の下り坂) • 北村六景(嘉会洞の上り坂) • 北村七景(嘉会洞31番地) • 北村八景(三清洞の石段)


大邱広域市(達西区)

E-WORLD(旧友邦ランド)ソリゲレンデ(ヌンソルメジャン) 各種ソリゲレンデ、ジェット・ソリゲレンデ、幼児用ソリゲレンデがあります。各種ソリゲレンデはスロープの長さが150m、幅20mの規模で約30人が同時に滑ることができます。また、国内初のジェット・ソリゲレンデは、スロープの長さが120m、幅20mあり、最高のスリルを満喫することができます。 安全性を特別考慮して幼児用ソリゲレンデを別途に造りました。最新製雪機、整雪機を稼動し、スロープの雪の状態を最上に維持しています。


大邱広域市(中区)

大邱薬令市で3代、約90年にわたって韓薬一筋で祖父の時代から受け継いで使っている秤、鉢、医学書の模本、処方箋などを展示していて、訪問客に中央韓薬房(韓方薬局)で直接製造した健康に良い韓方薬のお茶をプレゼントしています。国内外の訪問客にとって、韓薬の歴史、家系の由来、韓方に対する精神などをのぞくことができる場所です。また、2代目院長に無料で健康相談を受けることができます。 * オープン日 2011年4月25日


大邱広域市(中区)

「近代文化体験館 桂山芸家(クンデムナチェホムグァン ケサンイェガ)」は、都心観光の中心地である李相和古家や徐相敦古宅といった、都心の近代歴史文化施設や歴史について、視聴覚資料により知ることのできる映像館(映像室・展示館)、韓屋展示室および便益施設を設け、中区の都心路地ツアー訪問者らに情報と休息の場を提供しています。