慶尚南道(密陽市 )

1905年1月1日に慶釜線開通とともに営業を開始、1982年12月28日に瓦葺の韓屋の構造をしている駅舎が築造されました。駅舎の屋根は伝統家屋の形式である瓦葺を利用し、地上2階地下1階建ての建物で忠と孝を重要視した密陽市のイメージにぴったりです。また、駅舎まえの広場は密陽市民だけではなく観光客達が楽に休むことが出来る美しく快適な空間です。密陽駅は釜山を除外した慶尚南道唯一のKTXの停車駅で馬山、昌原、などの旅客の長距離旅行の起点にもなっています。


忠清南道()

「永平寺(ヨンピョンサ)」は、大韓仏教曹渓宗第6教区・麻谷寺の末寺です。朝鮮中期に創建されたと伝えられていますが、正確な時期は不明です。1987年に幻惺和尚が仏事を始め、1990年大雄宝殿、1996年三星閣、1998年說禪堂、1999年寂黙堂、2001年一柱門などを建立しました。阿弥陀大仏、釈迦牟尼仏、薬師如来仏、阿弥陀如来仏、観世音菩薩像、地蔵菩薩像などの仏像と後仏幀画、神衆幀画、七星幀画、独聖幀画、山神幀画などの仏画が奉安されています。布教院開設し、仏教教養大学を運営している他、信徒相談のための幸せ修練院、テンプルステイなども運営しています。


京畿道(利川市)

山茱萸群落地が利川の新しいお花見スポットとして脚光を浴びています。利川市内から驪州方面の梨浦大橋に向かう途中の左手に霊源寺の標識があります。利川で最も高い圓寂山(標高563.5m)の麓にある霊源寺への道は、松末里から道立里を経て京沙里に至るまで大規模な山茱萸の群落地が広がっています。 毎年3月末から花が咲き始め、4月10日前後に満開しますが、利川市ではこれに合わせて山茱萸祭りを開催しています。 お祭りの期間を前後して、写真家や画家がこの場所を大勢訪れ、美しい景色をカメラやスケッチブックに収めていきます。村の住民は、この場所の山茱萸の樹齢が100年を軽く越えているといいます。特に道立里は村全体に山茱萸群落地が広がっており、絶景を演出することで知られています。秋になると山茱萸は赤色の実を付け、華やかな景色を作り上げます。道立里から霊源寺へ登る山道にも山茱萸が立ち並んでおり、春になると黄色い花を咲かせます。


慶尚北道(慶州市 )

韓国文化芸術の故郷、慶州。そんな慶州に2010年オープンした「慶州芸術の殿堂」は、千年の伝統と現代の多彩な芸術が調和する文化芸術の求心的な役目を果たしています。音響の良い大ホール(1,100席)、スラストステージ形式の小ホール(355席)、公園と調和した野外公演場(800席)など、3つの公演施設とさまざまな展示が可能な大展示室(889平方メートル)、365日善德女王に会える小展示室(335平方メートル)、地下のアルチョンギャラリーで構成されています。その他、講義室、セミナー室、約100人収容可能な会議室、映像資料室、おもちゃ図書館、カフェなどがあります。


全羅南道(長興郡 )

 ソウルの光化門を中心に、真東には「正東津」があり、韓半島(朝鮮半島)北部の最も寒いところである中江鎮を一直線上に結んだ、真南の最も温かいところに「正南津」はあります。  全羅道の5大名山である天冠山やバンチョン文化村、東洋三大宝林寺、帝岩山のツツジ群、長興ダムのブルーベルトなど、長興の山、丘、海、河、湖が織りなす自然の景観は、私たちの心をほっと和ませてくれます。  正南津の近くの海岸周辺には三山里防波堤をはじめ、道立公園の天冠山や文学公園、映画「祭り」の撮影地でもある美しい日の出が昇るソドゥン島、海水温泉など見どころいっぱいです。  また、帝岩山のツツジ祭りやタイラギ(二枚貝)祭り、ハモ祭り、水祭り、ケメギ(魚捕り)体験行事、天冠山のススキ祭りなど、旅行を彩る祭りもたくさん催されています。 * 面積: 618㎢(農業地23%、林野66.5%、その他0.5%) * 行政区域: 3邑7面295里


慶尚北道(永川市 )


慶尚南道(居昌郡 )

処容岩(チョヨンアム)は、6坪ほどのとても小さな岩の島で、化け物を退治する効力があるという処容符籍(お守り)と関連する説話が伝わっています。また、「三国遺事」に記録されている処容郎の説話とも関係がある由緒深い岩です。 新羅第49代王の憲康王がこの地に遊びにやって来て水辺で休んでいたところ、昼間であるにも関わらず突然雲と濃い霧に覆われてしまい、道を見失ってしまいました。日官が東海の龍が不思議な変化をもたらしているため、良い行いをしてそれを解かなければならないと言いました。そこで王は、この近くに龍のための寺を建てるように命じると、雲と霧が晴れました。この寺というのが現在、蔚州郡青良面に址がある望海寺です。また、雲と霧に覆われた王が休んでいた水辺とされる場所は現在、開雲浦と呼ばれています。東海の龍の王は非常に喜び、王子7人を引き連れてやって来て踊りを踊り、音楽の演奏をしました。そのうちの1人の王子は王様について新羅の首都である慶州まで行き、国の政を助けたとされています。それが処容郎です。 王は処容に美しい女性を妻としてあてがい、級干という官職まで与え、王の側に置いておいた。しかし、美しい処容の妻を慕っていた疫神が人に化け、夜に忍び込み処容の妻の横で横になった。そんな様子を見ても処容は怒ることなく、歌を歌い、踊りを踊りながらその場を去った。そうするや疫神は処容の心の広さに感激し、今後は絶対に近づかないと誓ったとされています。この時、処容が歌った歌が有名な新羅郷歌の「処容歌」で、処容岩にもその歌詞が刻まれた碑石があります。 また、処容が踊った舞は重要無形文化財第39号に指定されています。 処容岩は、東海龍が7人の息子を引き連れて出てきた開雲浦聖地の岩であり、地方記念物第4号に指定されており、処容の説話と共に人々に知られています。


江原道(三陟市) , 三陟

清らかな水が流れる徳豊(トップン)渓谷は、KBSのバラエティ番組「1泊2日」の江原三陟編で渓谷トレッキングスポットとして紹介されたほど景色が優れたところです。徳豊村(トップンマウル)では子どもたちと一緒に4人乗り自転車に乗りながら山や渓谷の美しい景色が眺められます。