慶尚北道(青松郡 )

松韶古宅は、朝鮮・英祖(1694~1776 在位 1724~1776)の時代、沈琥澤(シム・ホテク)が建てた韓屋で、国指定の重要民俗資料第250号に指定されています。 松韶古宅はうっそうとした森に囲まれており、7つの棟に99の部屋があります。正門から入ると紅葉や松の木、花壇が中央にあり、大小のサランチェ(お客さんを迎える部屋)に分かれています。その後ろに典型的な「ㅁ」の形をした母屋があります。このように松韶古宅は、独立した空間が広いうえに区分されており、朝鮮時代の上流住宅の特徴をよく現しているといえます。 左側には離れが別にあり、古宅で一泊しようとする旅行客のためにきれいに補修されています。 ここでは伝統韓屋のひっそりとした雰囲気が味わえるだけでなく、チェギチャギ(羽蹴り)や投壷(トゥホ) などの5種類の民俗遊びも楽しめます。


全羅南道(珍島郡 )

望金山の頂上に位置する大橋と周辺の景観をひと目で見られる展望台で、特別な用意なく軽装で登ることができる展望台です。頂上から眺める周辺の景観は、思わず感嘆がこぼれるほどだと言います。 鹿津展望台は、鳴梁海峡と橋を見下ろすことができ、珍島大橋を一番よく眺めることができる 場所です。珍島大橋を経て、左側の山道から上ると見晴らし台の前まで行くことができ、その道は忠武公遺跡地である碧波津まで道が繋がっています。珍島郡は、第2珍島大橋竣工とともに 鳴梁海峡の鳴梁大戦の地である鹿津一帯を観光地として開発する事にしました。


忠清南道(礼山郡 )

忠清南道(チュンチョンナムド)礼山郡(イェサングン)を代表する新たな観光地のひとつ・韓国国内最長402mを誇る吊り橋・礼唐湖(イェダンホ)つり橋。 2019年4月6日にオープンしたこの礼唐湖つり橋は、同年10月に完成した全長5.4㎞の遊歩道・ゆっくり湖の道(ヌリンホスキル)や全長140mの浮桟橋とともに美しい景観の場所となっています。 また、白く雄壮なつり橋の姿は、広々とした礼堂湖の湖畔に2004年オープンした礼堂湖彫刻公園ともあいまり、大変美しい光景を醸し出しています。


忠清南道(洪城郡 )

季節の変化により鳥棲山の表情が変わるのに合わせて、境内の雰囲気もさまざまに変化する浄厳寺。 鳥棲山の名物は毎年秋になると山を白く染める葦畑です。鳥棲山の葦畑はとても広く山の中腹をほとんど覆ってしまうほどで秋には葦祭りが開かれたりします。多くの写真家たちが風に乗って揺れる葦の趣ある姿に心を奪われ、何度も何度もシャッターを押し続ける、そんな場所です。それほど鳥棲山の秋は葦と共に深くなってゆきます。 その鳥棲山の中腹に位置する浄厳寺は典型的な田舎のお寺のように規模が大きくないにもかかわらず、民間人の教化に関心の深い住職のおかげでしっかりした造りになっています。 * 歴史 浄厳寺の創建と沿革を伝える資料はほとんど残っていません。527年(百済 聖王5年)の創建説が有力ですが根拠はまだ見つかっていません。ただ、『輿地図書』の「結城県」 に収録されている短編記録、“浄厳寺は鳥棲山にある”、“鳥棲山は鴻山から白月山へ続き洪州、結城、保寧の3つの地域の境界線をつくっている”という内容から18世紀半ばに鳥棲山が存在していたことが確認できるだけです。また、18世紀後半に編纂された『伽藍考』にも“結城県の東側28里の地点に浄厳寺がある”という記録があるのですが、これが鳥棲山の浄厳寺のことなのかどうかはっきりしていません。


慶尚北道(義城郡 )


全羅北道(淳昌郡 )

回文山自然休養林は、全羅北道淳昌と井邑の境にそびえる回文山(830m)の東南側に位置する休養林で、清らかな渓谷と青々とした森が調和をなしており、散歩や休息の時間を楽しむのに適した場所です。また、滝の上に大きな吊橋が架かっており、この吊橋を渡る時はスリル満点です。回文山は、かつて熾烈な戦闘が繰り広げられた場所で、韓国戦争(朝鮮戦争)の時には司令部の拠点が置かれていた痕跡が今なお残っています。 休養林内には、散策路や体育施設、司令部跡地、展望台などの施設があります。宿泊施設には森の中の家、山林文化休養館、キャンプ場などがあります。


忠清南道(青陽郡 )

忠清南道青陽郡、樓谷に位置するチュルムドム(列墓)聖地は天主教信者の無名殉教者たちの墓です。また、この村は京畿道果川で殉教した崔京換聖人と韓国2番目の司祭である崔良業神父の誕生地でもあります。1つの場所に複数の人を埋葬しているためチュルムドム(列墓)といいます。殉教者の数と姓名、殉教経緯などは分かりませんが家族単位で埋葬され、名前の分からない殉教者たちの墓37基がここ樓谷で墓の列をつくっていて、1982年に青陽聖堂によって清められた墓地に無名の殉教者たちのための墓碑を立て史跡地として造ってから天主教信者をはじめ多くの人が訪れています。ここチュルムドムの殉教者、聖崔京換フランシスコの遺骨の一部を1986年に切頭山 殉敎紀念館に移して祀っており現在、墓の数は総36基です。


全羅南道(順天市 )

三山二水の小江南だと称される順天という地名は、百済時代後期この村の貴族だったパク・ヨンギュとキム・チュンが名づけ、順天駅はその地名から取り1930年10月25日に開通しました。2012年麗水海洋エキスポと2013年順天国際庭園博覧会が開催されるにあたり2009年12月22日新駅舎に移転をし、東部陸軍の交通要衝地としての役割を果たしています。


慶尚北道(蔚珍郡 )

近南面と西面に広がる仏影寺渓谷(プリョンサ・ケゴク)は長さ15キロメートルにも及び、奇岩怪石ときれいな水が調和し優れた景色を誇っています。仏影寺渓谷は渓谷の中間地点に展望台が2か所あり、美しい景色を眺めることができます。また新羅時代の寺刹である仏影寺をはじめ仏岩、亀石、サザエ山などの観光ポイントが散在しています。夏は避暑地として、春と秋はドライブコースとして、冬は雪景色で有名で春夏秋冬観光客が途絶えることはありません。