慶尚南道(統営市 )

DPIRANG(ディピラン)は、南望山公園の散策路に沿って光とメディアファサードを活用した15のテーマ空間を楽しめる夜間デジタルテーマパークです。DPIRANGは既存の公園の夜の風景を変化させることで、多くの人々が訪れる夜間景観スポットとなりました。


忠清南道(錦山郡 )

南二自然休養林はレジャーや家族単位での宿泊や観光に最適な場所で、広葉樹種の天然林が茂り、澄んだ水や滝の流れる自然豊かなスポットです。文化財に指定された百済時代の城跡「ペク・リョン聖地」があり、韓国戦争(朝鮮戦争)による激戦の傷跡が残る「六百高地戰勝塔」など、自然と歴史が共存する場所でもあります。また、休養林を覆う仙冶峰(729m)に上る登山路を進むと大屯山の奇岩絶壁を見ることができます。


江原道(三陟市) , 三陟

清らかな水が流れる徳豊(トップン)渓谷は、KBSのバラエティ番組「1泊2日」の江原三陟編で渓谷トレッキングスポットとして紹介されたほど景色が優れたところです。徳豊村(トップンマウル)では子どもたちと一緒に4人乗り自転車に乗りながら山や渓谷の美しい景色が眺められます。


京畿道(驪州市) , 驪州

三国時代の戦略的要衝の地、婆娑城址婆娑城(パサソン)は標高250mの婆娑山頂上を中心に稜線に沿って築城された石築地の山城です。城の一部は山すその川に突出しており、上下流を一目で見られる戦略的要衝の地です。婆娑城は城壁などが比較的多く残っており、周囲は約1,800mで、城壁の高さは高いところで6.25m、低いところは1.4mとなっています。川西里に面した東門址と金沙面梨浦里に面した南門址には門楼を建てた高柱形礎石2基と平柱礎石が残っており、東門址には甕城門地も残っています。婆娑城址の由来と歴史婆娑城は新羅第5代王婆娑王のときに築城されたものと伝えられており、『東国輿地勝覧』には1592年の文禄の役のときに柳成龍の案により僧軍が城を修理したという記録が残っています。[文化財情報]指定番号:史跡第251号  指定年度:1977年7月21日時代:三国時代大きさ:35,504㎡種類:城郭遺跡


慶尚北道(星州郡 )


全羅南道(谷城郡 )

鳳頭山の麓にある泰安寺は新羅景徳王元年(742年)に神僧3人によって建立されました。その後、文聖王9年(847年)に慧徹国師によって禅宗寺院として繰り返し開山されて九山禅門のひとつである鳳頭山派を形成しました。その後、高麗太祖の時に慧徹大師が滞在しながら132間の建物を建てて大規模なお寺になりました。高麗時代初め頃には松広寺、華岩寺がすべてこの寺の末寺でした。1925年にチェ・ナムソンが訪れて「新羅以来の名前のある寺である。渤海にある最初の禅宗の寺だ。古初の神域のようだ」と評価しました。韓国戦争の時に大雄殿をはじめ、15棟の建物が焼けてしまいました。その後、修理を行って現在に至ります。 境内には慧徹国師の舎利塔(宝物273号)をはじめとした5点の宝物があり、鳳頭山渓谷の絶妙な場所に立てられた凌波閣(地方有形文化財第82号)も見所のひとつです。特に、お寺入って約2.3kmの道路の左右にある鬱蒼とした森林と渓谷はとても美しく、秋になると紅葉が見ものです。現在、泰安寺には宝物など文化財9点が保存されています。また、泰安寺までの1.8kmの渓谷は春は新緑、夏は涼しげな渓谷、秋は紅葉とが楽しめる美しい散策路が続いています。


慶尚北道(永川市 )

4つの成分で温泉合格判定を受けた名品温泉水を100%供給しています。韓国唯一の最高級ワールプール浴槽を備えたホテル式家族風呂、大衆の湯と繋がった約100坪の露天風呂などでゆったりした時間を過ごすことができます。


慶尚南道(昌原市 )

豊湖洞から行岩路に沿い約4km行くと、水治海岸が見えてきます。後ろには山、前には海が広がる小さな村は、昔は人がほんの少ししか住んでいない村でしたが、今では刺身といえば水治村と言われるほど鎮海の名所のひとつとなりました。穏やかな海と森が調和をなしている海岸線に沿い、刺身店やレストラン、宿泊施設、駐車場などが立ち並んでいます。周辺の刺身店で提供される新鮮な刺身とピリ辛のメウンタン(海鮮鍋)は観光客に人気です。また、1年を通して豊富な種類の魚が釣れることから釣りを楽しむこともできます。


慶尚南道(昌寧郡 )