全羅南道(康津郡 )

全羅兵営城は全羅南道康津郡兵栄面城東里にあります。朝鮮時代の地方軍事組織で、壬辰倭乱と丁酉再乱当時、西南部地域の軍事本部として大きな役割を果たした場所です。1417年に造られた長さ約1,060mの城で南海地域に残っている兵営施設の中で一番保存状態が良いです。


江原道(麟蹄郡) , 束草・雪岳山

芳東薬水は麒麟面芳洞里に位置しています。「韓国の有名な薬水(韓国の名水)」に指定されるほど有名な薬水で、その味は独特です。炭酸成分が多く含まれており、砂糖を入れるとサイダー味になるのが特徴です。炭酸以外にも鉄やマンガン、フッ素などの成分が含まれており、胃腸病に効果があり、消化を助ける神秘の水として知られています。


慶尚北道(星州郡 )


慶尚南道(陜川郡 )

陜川八景のうち第五景である涵碧楼は高麗忠粛王8年(1321年)に陜州支軍金某(キム・モ)が創建し、数回にわたって修造されました。吹笛峰のふもとにあり、黄川と正陽湖を眺めることのできる美しい風景で多くの文人墨客が風流を楽しんだ場所で、退渓李滉(イ・ファン)、南冥曺植(チョ・シク)、尤庵宋時烈(ソン・シヨル)などの文字刻まれた扁額が楼閣内部のかけられています。岩壁に刻まれた「涵碧楼」の文字は宋時烈によるものです。


全羅北道(益山市 )

新羅の景徳王(742∼765)の時代に建てられた寺で、代表的な建物である普光殿を含め合計6つの建物があります。この中で宝物第825号に指定された崇林寺の普光殿は、内部に毘盧遮那仏、阿弥陀仏、観世音菩薩と同様の三尊仏と、仏像を奉る上段の後ろに掛けられた仏教式の絵である後仏幀画が奉られています。崇林寺の入口は、木々や鳥の鳴き声、細道にかかる小さな渓谷などが見え、寺に行く前にすでに心身が晴れるような気分を感じられます。


忠清南道(天安市 )

広徳寺(クァンドクサ)は新羅の善徳女王の時代(637年)に慈蔵律師が創建し、興徳王の時(832年)に珍山和尚により再建されました。牙山市と天安市の境界になっている広徳山(699.3メートル)の東南方向、太華山(455.5メートル)の西南側の山裾にあります。一柱門の表側には「太華山広徳寺」、裏側には「湖西第一禅院」と書かれた扁額がかかっていて僧の禅の修行道場であることを示していますが、それはひっそりとした雰囲気からも感じられることでしょう。朝鮮時代初期に第7代の王である世祖が病を治すべく通ったとも伝えられていて、壬辰倭乱以前は忠清、京畿地域で最も大きな寺の1つとして数えられるほどの勢力を誇っていました。しかし壬辰倭乱で寺は焼失してしまい、現在かつての栄華を直接確認することはできません。大雄殿、冥府殿、千仏殿など大部分の建物は近年になって再建されたものです。大雄殿の近くにある宝華楼の前には樹齢数百年になるクルミの木が、また尞舎の隣にも大きなクルミの木があることから、広徳寺には古くからクルミの木が自生していたことがうかがわれます。境内は品良く整備されています。特に参道横を流れる渓流のそばには高名な僧である法頂の手による「無所有」ということば書かれた立札が立っています。「私たちの目標は豊に所有することではなく、豊に存在することである。生の量が問題なのではなく、生の質こそを問わねばならない」という一節が広徳寺を訪ねる人びとの心をきれいにしてくれます。周辺の見どころ:独立記念館、柳寛順烈士史跡、天安慰霊城跡、牙山顕忠祠、孟氏杏檀


忠清南道(礼山郡 )

忠清南道(チュンチョンナムド)礼山郡(イェサングン)を代表する新たな観光地のひとつ・韓国国内最長402mを誇る吊り橋・礼唐湖(イェダンホ)つり橋。 2019年4月6日にオープンしたこの礼唐湖つり橋は、同年10月に完成した全長5.4㎞の遊歩道・ゆっくり湖の道(ヌリンホスキル)や全長140mの浮桟橋とともに美しい景観の場所となっています。 また、白く雄壮なつり橋の姿は、広々とした礼堂湖の湖畔に2004年オープンした礼堂湖彫刻公園ともあいまり、大変美しい光景を醸し出しています。


()

嶺南アルプスの神仏山(1,157メートル)の裾にある「神仏山瀑布自然休養林(シンブルサンポッポジャヨンヒュヤンリム)」の渓谷は、奇岩怪石と様々な樹種の天然林が調和し、原始林の美しい姿が保たれています。清らかな水が流れる渓谷の途中にはパレソの滝があり、滝の真ん中に絹糸一玉を垂らしても底に届かないという伝説があるほど深く、青色を帯びています。また、神仏山の頂上から肝月山、霊鷲山へと続く広大な稜線で結ばれたススキ平原は、秋になると銀色に輝く素晴らしい景観を演出し、登山客は目を奪われずにはいられません。