江原道(高城郡)

祥雲小学校(サンウンチョドゥンハッキョ) 2000年韓国で大ヒットした人気ドラマ「オータム・イン・マイ・ハート(秋の童話)」のロケ地に使われ一躍有名になり、その後観光地として多くの人が訪れるようになった小学校。ロケが行われた当時のまま保存されており、今でもドラマの舞台を一目見ようと人々が訪れています。 ドラマの中でチュンソの作業室やウンソの部屋などで使われていた場所が見られる他、名場面を撮った写真なども飾られており、人気があります。 またここは実際に陶芸工房として使われている場所でもあり、作られた陶磁器は販売もされています。


京畿道(安城市)

寺の中には大雄殿(宝物824)や観音殿、冥府殿などがあり、大雄殿前には明本国師が建てたといわれる三層石塔などが保存されています。大雄殿は高麗時代の美しい木造建築の原型をとどめる貴重な資料といえます。 青龍寺は1900年代に登場した男寺党の本拠地としてよく知られる場所です。彼らは青龍寺で冬を過ごし、春になると安城市場を始め、全国を回りながら公演を行い生活していました。現在もパウドギ(朝鮮時代唯一の男寺党の女性頭)を代表する安城男寺党風物公演が見られる男寺党村が残っています。


慶尚北道(浦項市 )


仁川(江華郡)

【歴史と文化が息づく江華ナドゥルキル】 江華ナドゥルキルは海岸に沿って1.3kmごとにある墩台と、江華山城を結ぶ道です。そして、高麗王陵を張り巡らすように造られた道を指します。また、山と野原、海と文化財を楽しみながら歩く道です。 江華島は島の全体が博物館と言えるほど多くの遺跡があります。支石墓や、青銅器、モンゴルの侵略に対抗するために江華島に移ってきた高麗の跡が見られる高麗宮址や高麗王陵が残っています。また、江華山城と海岸に設置された朝鮮時代の遺跡もたくさん残っています。そして、西海岸の美しい夕日や干潟、摩尼山、高麗山、のどかな農村の風景などを各コースで楽しめるようになっています。 江華ナドゥルキルの背景には、江華島の地域の由来と風景、人物などを歌にした江華島のソンビ(学者)である高在亨(1846-1916)が記した「沁都紀行(シムドキヘン)」という詩集があります。沁都紀行は高在亨が1906年桃の花が咲き乱れる春の日に、故郷のドゥドゥミ村(現 仏恩面 斗雲里)を出発し江華島全域の約100の村を旅行しながら書き記した紀行詩が綴られた詩集です。高在亨が大韓帝国の 暗鬱の時代に急速に消えていく風俗を嘆き、自分が生まれ育った故郷で歩いた道を約100年過ぎた今、江華郡が生態文化探訪路として新しく誕生させたのです。江華ナドゥルキルは高在亨が故郷を思い詠った詩の道であり、歴史と文化の跡が残っている道です。 【江華ナドゥルキル第5コース】 コビ峠キルは、江華バスターミナルから外浦旅客ターミナルまで20.2㎞を結ぶ区間で、昔の人たちが江華市場に行く前に通っていた道を復元した道で、森林浴も同時に楽しめます。 江華島を東西に結んでいた道で、古川里から木こり達が重い荷物を背負ってコビ峠を越え江華市場へと歩いた道と、2つの貯水池の風景、運が良ければ小ぢんまりと開かれる田舎の市場を見ることも出来ます。徳山森林浴場と外浦市場の見どころは徒歩での旅行の醍醐味が感じられるでしょう。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

栗谷路(ユルゴンノ)は、古宮の石塀と街路樹が続く道です。 元々、昌慶宮(チャンギョングン)と宗廟(チョンミョ)は地続きでしたが、1931年、日帝による民族抹殺政策の一環で昌慶宮と宗廟に敷地を分断し、その真ん中に道を通したという辛い歴史をもつ道でもあります。 古風な石塀と栗谷路に沿って立ち並ぶ街路樹によって、物静かな雰囲気を醸し出している、素晴らしい景色を誇る大通りです。 この栗谷路が通る寛勲洞(クァヌンドン)に、朝鮮時代、朝鮮王朝を代表する儒学者・李珥(イ・イ)が暮らしていたことから、李珥の号・栗谷にちなんで栗谷路を命名されました。。 栗谷路は、景福宮の敷地からすぐそばの南東方向にある東十字閣(トンシプチャガク)から大学路(テハンノ)そばの梨花洞(イファドン)交差点を経て、興仁之門(フンインジムン=東大門)に至る、幅30m、総延長およそ3km、ソウル江北地域を東西に伸びる幹線道路で、沿道が美しいことで有名な道です。


全羅南道(高興郡 )


慶尚南道(統営市 )

スカイライン リュージュは全長1.5kmの下り坂のコースを特殊製作されたカートで下るレジャースポーツです。くねくねしたコース取り、急カーブ区間、トンネルなどスリルを味わえるコース設計で爽快なライディングを体験できます。操作も簡単で安全に設計されているためお子さんも保護者同伴で楽しむことができます。


仁川(中区) , 仁川市街地

清日租界地境界階段 韓国を代表する仁川旅行を計画しているなら、清日租界地境界階段は必見の観光地です。この階段は、仁川広域市中区前洞に位置し、1884年に設置された清国租界と日本租界の境界を示す歴史的な場所です。2002年12月23日には、仁川広域市の記念物第51号に指定されました。 この場所は、1883年に日本租界が、1884年に清国租界が設定され、自由公園(旧万国公園)に繋がる階段と美しい造園が整備されています。約120年の歴史をそのままに、中央に位置する石造りの階段を境にして、左側が清租界、右側が日本租界に分かれています。階段の両側には、それぞれの国の建築様式がはっきりと見て取れる建物が立ち並び、異国情緒あふれる風景が広がっています。 この階段は、中央の石造りの階段が特徴的で、急な斜面に対応するために階段途中に休憩スペースが設けられており、仁川港の美しい景観を楽しむことができます。自由公園の南西側の急な坂に位置しているため、階段を中心に左右に分かれる異なる建築様式が、当時の歴史を物語っています。 この清日租界地境界階段は、単なる階段以上の価値を持ち、歴史的および場所的に重要な意味を持つ場所です。仁川を訪れる際には、自由公園とともにこの歴史的な場所を巡り、韓国と日本、中国の歴史を感じることをお勧めします。


慶尚北道(英陽郡 )