江原道(三陟市)

高さ1,353mの頭陀山(トゥタサン)は、太白山脈の主峰をなしており、美しい山勢とその山の中には文化遺産および希少動植物が散在しており、毎年多くの登山客が訪れます。頭陀山は、風の山と呼ばれるほど、風が強く吹く山で、山の名前である頭陀とは仏教用語で、俗世間の煩悩を捨てて仏道に入り修行をすることを意味します。


ソウル(城北区)

城楽園(ソンナグォン)は、元々、朝鮮王朝第25代の王・哲宗(チョルジョン=在位:1849~1863年)の時代、文官の人事などを行政機関の長・吏曹判書(イジョパンソ)を務めた沈相応(シム・サンウン)の別荘として使われ、その後、朝鮮王朝末期の王族・義親王(ウィチナン)・李堈(イ・ガン=1877~1955年)が35年間、離宮として使っていたところです。 園内の地形が織りなす水の流れる風景の違いによって、園内は前庭・中庭・外庭に分けられています。 前庭には、二つの谷の水の流れが落ち合う双流洞天(サンニュドンチョン)や、中庭の前に視界を遮るかのように造られたこじんまりとした築山で、龍の頭の形を模した龍頭仮山(ヨンドゥカサン)などがあります。 水の流れのそばにある岩にはくずし字で「雙流洞天」という文字が刻まれていますが、これは城楽園の自脈を守るという意味もあると言われています。 また、双流洞天や龍頭仮山の周囲には、樹齢200年から300年にもなるハリギリをはじめ、ケヤキ、松、クヌギ、カエデ、 サルナシ、ミズキなどが生い茂り、森をなしており、この森は中庭と城楽園の外とを分け隔てる役目を果たしています。 中庭は影碧池(ヨンビョクチ)や滝が、そして外庭には池やその池の畔にある松石(ソンソク)と刻まれた石などがあります。 園内西側の下の方には沼があり、また北側には人の手を加え水の流れを作り造園した滝もあります。 沼の西の岩に「檣氷家(チャンビンガ)」と刻まれた文字は、朝鮮時代末期の文臣で書芸家としても知られる名筆家・秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)先生の筆によるものです。 自然の風景に人の手が加えられ、その美しさが増す城楽園。その美しさを思う存分満喫できる城楽園は、ソウルにある数少ない別墅(別荘)庭園のひとつとして、大きな価値があるところです。


京畿道(安山市)

星湖記念館は安山が生んだ偉大な実学者である星湖李瀷(1681~1763)の誕生をたたえ、学問的業績を継承、発展させようと安山市が建てた記念館です。2002年5月に開館し、星湖李瀷が生前に残した実筆の著書など星湖の学問と世界に関連した遺物が展示されています。重要な展示物としては、星湖の実筆の詩稿および手紙、文集などの著書と退渓李滉、磻渓柳馨遠などの著書など複製品ではない本物が展示してあります。


慶尚南道(山清郡 )

今の鏡湖江は三清郡生草面於西里江亭から晋州の晋陽湖まで約32kmにいたる川で国道3号線沿いに流れているのでドライブをしながら美しい景色を見ることができます。また、鏡湖江は川幅が広くて大きな岩がなく、くねくねと曲がっていて砂と小石が体積していて川の流れが速いながらも、川の流れが渦巻いている場所がほとんどないのでラフティングにぴったりの場所です。


全羅南道(莞島郡 )

映画(ヨンファ)『風の丘を越えて(ソピョンジェ)』はイ・チョンジュンの原作をもとに「パンソリ」という韓国固有の伝統音楽を題材に韓国人の恨(ハン)を見事に描いたイム・グォンテク監督の作品です。韓国映画史上初めて100万人以上の動員を記録し、大鐘賞6部門を授賞、主演であるパンソリの歌い手オ・ジョンへが一躍忠武路のスターとなりました。作品性も素晴しいが、韓国固有の拍子と美しい自然が一つとなりさらなる絶賛を受けました。 『風の丘を越えて』の撮影地この映画の中では、衰退していく大衆芸術の歴史が旅芸人である主人公の生の中で表現されています。歌い手の父と娘と義理の息子の壮絶な生、娘が父とパンソリから離れてしまうのを恐れて娘を失明させてまでパンソリに固執する父親の物語です。 * 青山島 - 全羅南道莞島郡青山面ダンリマウル この場所が有名な理由は、ユボン一家が黄土道を下りながら珍島アリランを歌うという名シーンが撮影された場所だからです。すぐそばにはソンファがパンソリを学んだ家が復元されています。 ▶アクセス方法 - 莞島 - 青山島行きの船便を利用(お問い合わせ - 莞島旅客船ターミナル:82-61-552-0116) * 頭輪山/大興寺 大興寺は海南邑から東南方向に12㎞程離れた頭輪山道立公園内に位置しています。新羅の僧侶阿道和尙が創建したと言われており、その後数回修復されました。 * 遊仙館 - 韓屋(韓国古来の家屋)の旅館で、『西便制』の撮影地として有名になりました。 宿泊費は 30,000ウォン ~ 120,000ウォン程度です。 (2人部屋 30,000ウォン / 4人部屋 60,000ウォン / 6人部屋 120,000ウォン) ※ お問い合わせ: 82-61-534-2959


済州道(西帰浦市)

猊来生態村は自然景観と海岸絶景を大事に保管しているだけでなく、文化遺跡が村全体に広く分布しています。また、国内最大の観光地である中文観光団地の村や渓谷を間に置き、伝統的な農漁村の姿を大事に保管しています。住民たちの環境意識が強く、村の青年たちが中心となって環境問題に対する多様な活動と、それを後押しする幅広い知識と経験で地域の美しい環境と固有文化生活を守り、共同体意識を高めることに努めています。


仁川(中区) , 仁川市街地

仁川郵逓局(現・仁川中洞郵逓局[郵便局])は仁川広域市中区港洞(ハンドン)にある日帝強占期の建物。1982年3月2日仁川広域市有形文化財第8号に指定されました。日帝強占期の1924年、郵便業務を担当するため建てられた近代式の建物で、当時の官庁としては大きな規模です。建設当時の名称は仁川郵便局でしたが、1949年8月に仁川郵逓局と改称しました。 この当時流行した折衷主義の建築様式を単純化した建物で、総面積1,787平方メートル(約540坪)です。正面入口は建物本体から張り出される形で造られ両側に大きな柱を配置、その正面玄関上部の建物本体2階部分からは柱の上部にある屋根などの上部建造物の重さを和らげ装飾が施されている柱頭がない数本の柱で建物を支えています。 当時、行政官庁の建物は上部にドームの形をした塔屋を造るのが一般的でしたが、この建物はこの部分を省略するなど平面構造や外観の細部が基本的な形式からやや外れています。 全体的な構造は煉瓦造りですが、床はコンクリートで施工されています。外部の仕上げは外壁の下部にのみ花崗岩を二段積みにしその上の部分にはモルタルで処理し石造の模様を表現しています。 韓国戦争(1950~1953年)当時の市街戦などにより一部が破損、屋根がスラブ材からスレート葺きに改修されるなどし1957年復旧工事が完了しました。


慶尚北道(蔚珍郡 )

蔚珍郡近南面山浦里にある望洋海水浴場近くの丘に位置しています。この辺りの風景は詩や絵画で多く描かれその美しさがうかがえます。朝鮮王朝の肅宗(朝鮮第19代王)が関東八景の絵を見てここを気に入り、「関東第一楼」という文を書いて送り望洋亭に飾るように言ったといいます。高麗時代には望洋亭がここより北の望洋里にある縣鐘山にありましたが1858年に現在の場所へ移され、1958年に修繕されました。周りを松林に囲まれた丘の下には白い砂浜があり王避川という川が海に向かって流れ、望洋亭からは広い海が一望できます。昔から夕日と月が綺麗に見える場所として有名で、朝鮮王朝時代は肅宗がよくこの場所を訪れ美しい景色を観賞した他、鄭徹、金時習などの有名な文人たちもこの風景を楽しんだといいます。王避川という名前も、ここに王が避難してきたからだとも言われていますが、避暑の地として王が訪れていた場所であったからと伝えられています。望洋海水浴場は比較的水深が浅く幅も狭いですが、東海岸にある海水浴場の中では水温が高い方で、周辺には松の木が生い茂りとても静かで散歩するのに良いところです。波が穏やかな時は海の中にあるカメの岩が見えます。海水浴場周辺には天然記念物第155号に指定されている聖留窟や仏影渓谷、海岸道路などの観光名所も多く、観光を兼ねた避暑地としてその名が知られています。


釜山広域市(中区) , 南浦洞(チャガルチ市場)

釜山映画体験博物館は韓国国内初の試みとなる映画をテーマにした体験型複合文化スペースです。 釜山映画体験博物館の展示は1編の楽しい映画探検ストーリーにしたがって、映画の歴史や原理、映画のジャンル及び制作方法、映画祭などの映画コンテンツをわかりやすく、そして楽しく体験できるよう構成されています。


ソウル(永登浦区)

憲政記念館は1998年5月29日、国会開院50周年記念事業の一環で開設された記念館で、韓国国民をはじめ一般の方に公開されています。