慶尚北道(慶州市 )

感恩寺址(カムンサジ)は、三国統一(7世紀後半に新羅が百済と高句麗を滅亡させ統一国家を築いた出来事)を達成した新羅(57 BC ∼AD 935)の文武王(在位 AD 661∼681)が建てた寺。現在は高さ13.4mの大きな二基の石塔が残っているのみで、建築物は焼失してしまいました。この寺は文武王が天の力を受け日本の海賊を撃退するために建てはじめられましたが、王は完成を見ずして他界。死んだ後にも国を守ろうとした王の遺言により寺から500メートル離れた東海に水葬されました。感恩寺はその後王の息子神文王(AD 681~692)がAD 682年に完成させ、父の恩恵に感謝するという意味で感恩という名前を付けたといわれています。


全羅北道(群山市 )

群山市、錦江河口堰にある<錦江渡り鳥展望台> は、自然の恵みの宝庫です。 錦江湖を背景にした錦江河口堰一帯は、韓国3大渡り鳥の飛来地です。錦江河口堤防の周辺に形成された広い淡水湖と付近の広大な農耕地、葦原、干潟などは渡り鳥が冬を越すのにこれ以上ない素晴らしい自然条件を備えた、自然にやさしい生態公園です。また、錦江河口堰周辺には渡り鳥の展望台があります。この錦江渡り鳥展望台は、韓国最大規模で設置された探鳥専門施設であり、周辺に渡り鳥身体探検館、孵化体験館、錦江鳥類公園、植物生態館などが造成されています。探鳥客が、渡り鳥を近くで観察できる良い機会です。毎年秋になると、ここには渡り鳥展望台をはじめとした錦江湖、セマングム一帯で「郡山世界渡り鳥祭り」が開かれます。最も多くの観光客を集める人気プログラムは探鳥ツアーです。トモエガモ、マガモ、ガンなど数十万匹の渡り鳥が繰り広げる群舞は、美しく見惚れるほどです。探鳥ツアーは、祭りの期間が終わっても2月まで楽しめます。


全羅南道(海南郡 )

韓半島(朝鮮半島)の一番下にある松湖里葛頭部落は、北緯34度17分38秒の獅子峰の上にある展望台から見下ろす多島海が絶景です。特に天気が良い日は、はるかかなたに甫吉島などの南海の様々な島が見えます。展望台から韓半島の一番端であることを示す碑が立っている所まで歩いて約15分ほどです。全体を一周するには2時間程度かかります。


忠清北道(丹陽郡 )

*三国時代の戦略的な要衝の地、赤城山城* 丹陽城在山にある石を積んで造られた山城で、1979年8月1日に史跡第265号に指定されました。周囲が約900mで大部分が崩壊されてしまい、北東側の内側の一部のみ残っています。城門は南西側、東側、南東側に3ヶ所で発見されました。城内には赤城碑があります。高麗軍が占領していたものを新羅軍が奪い、北進製作の前哨基地を構築した場所です。  *赤城山城の歴史的の意義* 1978年、城内で赤城碑が発見され、これによると新羅と高句麗の勢力関係の変動を知ることができます。碑石以外に三国時代の土器の破片と瓦の破片も発見され、高麗時代の遺物もあり、高麗後期まで今日の丹陽地方を治めてきた邑城の役目をしてきたことがわかります。城内には新羅および百済の土器のかけらや高麗朝の青磁のかけらなども発見されました。築城方法がとてもしっかりしており、新羅の築城術を研究するのに貴重な資料として評価されています。


京畿道(驪州市) , 驪州

*歴史体験と休養を一度に、神勒寺観光地* 神勒寺(シンルクサ)は美しい景観と多くの遺物・遺跡が収められています。新羅真平(ジンピョン)王の時代、元曉(ウォンヒョ)大師が創建したという説があり、高麗の禑王2年(1376年)に懶翁禅師(ナオンソンサ)が入寂したことから有名な寺院となりました。神勒寺を別名「碧寺」と呼ばれる多層塼塔が静かに驪江(ヨガン)を見下ろしており、懶翁禪師の堂号を取ったあずまや「江月軒(カンウォルホン)」では、まるでかつての詩人や墨客らが詩を詠じているようです。神勒寺は南漢江辺の秀麗な自然景観と多様な遺物などが基となり、1997年に観光地として指定されました。以降、多くの人々が訪れる場所となっています。 * 神勒寺観光地の2つのコース* *金銀砂(クムンモレ)地区 樹齢30~50年のけやきの木200本あまりが林をなし、陽射しを遮り木陰を作っています。トイレや水道施設、駐車場などが完備されており、家族、団体などによるキャンプや、江辺で水遊びをすることができます。船遊びや行楽施設も備えられており、江辺で自然石採取が可能です。また、観光地を利用する観光客の好みに合わせ、リバースランドではお店、利便施設、休憩施設、娯楽場、遊園施設(バイキングの他16種)が運営されています。 神勒寺地区 神勒寺観光地が作られてから寝泊りができるようになり、世宗大王陵、木牙仏教博物館とともに観光コースとして脚光を浴びています。カップルにとっては驪州大橋から神勒寺までがデートコースにぴったりです。また、江辺を利用した天然葦原、パター練習場、駐車スペース、宿泊施設、飲食店、土産物販売施設、水飲み場、運動器具が設置された公園などが完備されており、郷土史料館、青少年修練院があります。


全羅南道(麗水市 )

興国寺という名前からもわかるように「国家が栄えればお寺も栄える」という言葉通りに国の繁栄を祈願するために建立されたお寺です。麗水国家産業団地の近くにある霊鷲山の深い森に1195年(高麗時代)に創建した興国寺境内には大雄殿をはじめとし、円通殿、捌相殿などの文化財があります。興国寺大雄殿(宝物第396号)はピッサル門をつけて全部開放することができるようにしたことが特徴で、大雄殿の後仏丁書は宝物第578号に指定されていて興国寺の入口にある虹橋の立派な姿は宝物(第563号)の価値を遺憾なく見せてくれます。それ以外にも興国寺盧舎那仏掛仏丁、水月観音図、十六羅漢図など3点の宝物があります。興国寺は壬辰倭乱の時、境内に約300名の僧兵海軍が訓練をした場所として有名です。毎年4月初め頃から1ヶ月間は、興国寺大雄殿の後ろの海抜439mの霊鷲峰と510mの進礼峰に続く尾根全体がツツジの花で真っ赤に染まります。この時期に「霊鷲山ツヅジ祭り」が開催されます。 


忠清南道(瑞山市 )

海美面から6kmほど離れた象王山(307m)にある開心寺は忠清道の4大寺院のひとつです。駐車場から境内に続く山道は静かで美しく、春になると桜が咲きます。開心寺の大雄殿は正面3間、側面3間の1階建てでこの構造形式は多包家系統と柱心包家系統の技法を合わせた折衷式です。1484年に建てられ、宝物第143号に指定されました。


江原道(平昌郡) , 平昌

「雪花村(ヌンコッマウル)」は白頭大幹の峻嶺・黄柄山ふもとにある小さな農山村で、山林が村の80%を占めます。 2008年には山林庁の補助を受け、平昌郡主管で雪花村山村生態体験場がオープンしました。乗馬、四輪バイク、平昌黄柄山狩猟民俗体験および公演などの他、春は残雪の中で咲き始めるカタクリ、オタカラコウ、チョウセンヤナギアザミ(コンドゥレ)などを使った山菜体験、夏は特殊部隊の遊撃体験やコンドゥレご飯炊き体験、秋は家族とロバに乗って散歩したり植物図鑑づくり、冬は雪ゾリなどの雪遊びなど、季節に応じたさまざまな体験プログラムが用意されています。


忠清南道()

世宗湖公園は、一山湖公園の1.1倍の大きさを誇る韓国最大の人工の湖公園です。湖公園には散策路、ムルノリ島、水上舞台島など様々な施設があり、その中でも世湖橋と水上舞台島が有名です。週末になると家族連れや恋人同士で賑わい、公演やお祭りなどのイベントも開かれます。湖公園の周辺にある国立世宗図書館と音楽噴水で有名な防築川もお勧めです。


全羅南道(珍島郡 )

珍島郡郡内面鹿津と海南郡門内面鶴洞の間にかかる長さ484m、幅11.7mの斜張橋です。1984年10月18日に竣工され観光名所として脚光を浴びており、2005年12月15日第2珍島大橋が開通してからは、さらに落潮と夜景が美しく橋の下の鳴梁海峽の水流は壮観です。鳴梁海峽は、李舜臣将軍の3大海戦のうちのひとつである鳴梁海戦の地としてよく知られている西海の海峡で、海南と珍島の間の狭い海峡を成して海の幅は、漢江の幅ほどの294mほどです。1984年、珍島大橋の開通によって韓半島の最南端地域になった珍島は、外国人を含め年間約260万名が訪れる国際的な観光の名所となりました。 美しい景観や数多くの特産物、文化芸術が息づく珍島への最初の関門となっています。