慶尚北道(奉化郡 )


忠清南道(礼山郡 )

徳山道立公園は徳山面の柿梁里、斜川里、屯里、上加里、光川里などを含み、1973年に道立公園に指定されました。公園内には元暁峰、石門峰、韓国・湖西地方の小金剛と呼ばれる徳崇山、ヘテ岩など美しい渓谷や滝や修徳寺があります。 修徳寺の大雄殿は浮石寺の無量寿殿、安東市の鳳停寺の極楽殿とともに、現存する高麗時代の木造建築です。大雄殿は1936年から4年間、寺を修復し大きな梁から出てきた墨書で、高麗時代の忠烈王朝34年(1308年)に建立されたということが分かりました。 国宝49号である大雄殿は、現存している高麗時代の建築物の中でも特異なもので、百済の様式のような曲線が建物にみられます。また間口3間、奥行4間の平屋の切妻造りで荘重な趣があります。 なお徳山道立公園は1990年11月1日から、炊事行為が全面禁止されました。 * 徳崇山地区-修徳山、歓喜台、見性庵、金剛岩、定恵寺、小林草堂、萬恭塔、一柱門、尼寺など *伽耶山地区-伽耶寺址、玉渓貯水、南延君の墓、サンファン寺址、報徳寺、五十道岩、オギャンの滝、亀岩、高麗チャギ墓地 ※ 主要文化財 修徳寺の大雄殿(国宝49号)、修徳寺の大仏、三重の石塔、七重の石塔、六槐亭、 満空禅師の舎利塔、ファンハ楼、聖宝博物館


全羅北道(高敞郡 )

未堂詩文学館(ミダンシムンハククァン)は韓国を代表する詩人、未堂・徐廷柱(ミダンソジョンジュ)の故郷であり、終焉の地でもある全羅北道高敞郡富安面仙雲里村に設けられた記念館で、近くには徐廷柱の生家とお墓があります。チルマジェ村にある廃校となった仙雲小学校鳳岩分校を記念館とし、2つの展示棟、書斎再現室、セミナー室、多用途室、展望台などで構成されています。パイプ、杖、手紙、自筆の詩など、未堂・徐廷柱の遺品約5000点が展示されている他、毎年11月未には「堂文学祭」を開催し、未堂文学賞授賞式、未堂白日場(詩文競作大会)、詩朗読および各種記念公演、学術会議などを行っています。


江原道(高城郡)

高城の統一展望台では、韓国戦争が体験できる「6.25戦争体験展示館」を運営しています。韓国戦争の悲劇を教訓とし、民族の和合と祖国の平和統一を祈念してつくられた施設で、写真や映像、資料、遺物を通して韓国戦争当時の状況を知ることができます。


江原道(東海市)

墨湖駅は東海市発翰洞に位置し、1941年に開港した墨湖港(2.3km)および1.4kmにおよび砂浜が続く望祥海水浴場(6km)に隣接した駅です。海岸道路沿いには刺身タウンがあり、新鮮なお刺身を楽しむことができます。墨湖駅は1961年に運営を開始し、1988年12月15日に現在の駅舎が竣工しました。


慶尚南道(南海郡 )

遠く広がる美しい南海と、空へ向けてそびえ立つ扁柏の森に囲まれた南海扁柏自然休養林は、家族連れの利用客が多く、生い茂る扁柏林の中で森林浴を楽しむことができます。扁柏の森は、強いフィトンチッドにより蚊やハエなどの害虫がいないのが特徴です。休養林の入口から1時間ほどの所にある展望台からは、閑麗海上国立公園の島々と錦山が調和する美しい風景が堪能できます。


江原道(楊口郡)

楊口先史博物館は楊口邑上無龍里で出土されて新石器、青銅器時代の遺物を中心に展示してある韓国発の先史博物館です。


全羅北道(茂朱郡 )

寺院としては赤裳山城に唯一残っている安国寺(アングッサ)は1995年のヤンス発電所建設を機にこの地に移ってきました。海抜1,000地点に15の建物があります。山の頂上には山頂湖が形成されており、景色が美しいことで知られ多くの仏教信者や観光客の脚が途絶えることがありません。特に秋の紅葉シーズンは見所がいっぱいです。安国寺には1997年に宝物1267号として指定された“霊山会掛仏幀”をはじめ、有形文化財第42号の極楽殿、第85号の護国寺碑、史跡第146号の赤裳山城、世界の仏像を収集している聖宝博物館があります。


忠清南道(瑞山市 )

忠清南道瑞山市浮石面看月島里にある「 看月庵(カンウォルアム)」は、 看月島という小さな島にある庵です。 朝鮮の太祖である李成桂の王師であった無学大師が建てた庵で、無学がここで月を眺めていた際に悟りを開いたといわれていることから看月庵と名づけられたといわれています。看月庵は、引き潮の時は陸地に、満ち潮の時は島に変わるという珍しい位置に建っており、周辺の島々と調和を成す日没の時間と、月が海の上に輝く時間が特に景観が美しいです。


京畿道(楊州市) , 坡州(ヘイリ村)

紺岳山は古くから岩の間から黒い光と青い光が同時にあふれ出ると言い伝えられ紺色岩山と呼ばれるようになりました。紺岳山はソウルと開城の中間地点に位置し、晴れた日には開城の松岳山とソウルの北漢山、東豆川の逍遥山が見えます。頂上には郷土遺跡8号に指定された三国時代の古碑が立っています。碑石の字は摩滅していますが、形が北漢山の真興王巡狩碑と似ていることから真興王巡狩の碑、または唐の国の薛仁貴がここの出身であることから薛仁貴の碑ではないかといわれています。またここは韓国戦争(朝鮮戦争)時代の激しい激戦地として、雪馬渓谷入口に英国軍参戦記念碑が立っているほど戦争の深い傷跡を残すところで、1980年代初めまで入山が禁止されていました。