京畿道(高陽市) , 一山

FLOW HOUSE SEOUL(フロウハウスソウル)は韓国で唯一、室内サーフィンを楽しめる施設で、フローボーディング(Flowboarding)時に必要なボード(無料)とスーツ(有料)は現地でレンタルできます。初心者は専門講師から手ほどきを受け、楽しくサーフィンを学ぶことができ、上級者は海に行かなくても人工波でサーフィンを楽しめるため、初心者にも、上級者にも魅力的な場所といえます。


江原道(鉄原郡)

鉄の三角地(チョレ サムガクジ)は金化、平康、鉄原を結ぶ地域。この地域は韓国戦争当時の激戦地で多くの死傷者が出たところで、韓国戦争以外にも白馬高地戦闘、五聖山戦闘などがこの三角地帯で起きました。1953年の休戦以後は一般人の出入りが統制されていましたが、韓国戦争の惨状を見せる生きた教育の場として1989年11月から公開されています。北韓(北朝鮮)軍が南侵のための中部戦線の本拠地にしたこの場所は、韓国軍が攻撃するには不利で、敵が防御するには良いという地形的特色を持っています。戦跡地には「鉄馬は走りたい」という看板と汽車の残骸、労働党社、第2トンネルがあります。地域住民の強制募金と労働力動員で作られた地上3階のソ連式建物である労働党社では反共活動をした多くの人々が拷問され虐殺されました。党社裏側に設置された防空壕では現在も遺骨と実弾、針金などが見つかっています。またソウル北方108km地点では北韓(北朝鮮)の南侵用第2トンネルが見つかっています。ここは安保の教育場の役割とともに、渡り鳥の渡来地としても知られています。


慶尚南道(統営市 )

南望山(ナムマンサン)は統営市内が一目で見渡せる市民公園。頂上には1953年、市民たちの寄付金により建てられた忠武公・李舜臣将軍(1545~1598)の銅像があり、美しい閑麗水道が眺望できる水鄕亭もあります。水鄕亭の下には文化芸術の殿堂である市民文化会館、その下に南望山野外彫刻公園があります。この彫刻公園(チョガッコンウォン)は1997年、統営国際野外彫刻シンポジウムに参加した日本、中国、フランス、イスラエル、ベネズエラ等、世界10ヶ国の有名彫刻家15人の作品を永久展示するために造成されたもの。5,000坪余りの広い敷地に、美しい自然の景観とともに個性あふれる彫刻品を鑑賞することができ、デートコースとしても人気があります。


慶尚南道(統営市 )

慶尚南道統営の洗兵館はイ・ギョンジュン第6代統制使(水軍を総指揮する朝鮮時代の官職)により1605年に建てられた統制営(李舜臣が閑山島に設置した軍営)の客舎です。洗兵館は景福宮の慶会楼や麗水の鎮南館とともに現存する最も広い面積をもつ朝鮮時代の建物として知られています。正面9間・側面5間の一階の合掌造りからなる美しく雄壮な建物で、長台石に基壇に50の柱があり柱と柱の間は全て開放されています。ヨファン山の麓にある洗兵館は、統営の見下ろせるこぢんまりした景観が素敵な場所でもあります。すぐ横には運寿堂など統制営の遺跡も残っています。ここで洗兵は、兵器を磨くという意味で戦争を終えるという意味を含んでいます。


全羅北道(茂朱郡 )

九千洞渓谷(クチョンドン・ケゴク)は、全羅北道の徳裕山(トギュサン)にある渓谷で、俗に茂朱九千洞と呼ばれます。茂朱九千洞は羅済通門(ナジェトンムン)から徳裕山頂上の白蓮寺(ペクリョンサ)に至る全長25kmの小川と谷を指しています。九千洞渓谷は深い谷ではありませんが、景色の美しいところです。岩の間から扇のように広がる水の流れが非常に雄壮です。九千洞渓谷の中でも美しい所を九千洞33景と呼び、その中でも羅済通門と水心台(スシムデ)がよく知られています。第1景の羅済通門は、大きな岩の中央にトンネルのような穴があり、三国時代、新羅と百済の国境となっていた所です。ここが韓半島を東西を分ける境界となっており、現在も両地域の言語と風習は異なっています。大きな岩にどのように穴ができたのかはわかりませんが、トンネルは非常に珍しいものです。一方、水心台は九千洞渓谷33景の第12景の谷で、約400メートルほど続いています。水心台を絶壁が囲んでおり、金剛山(クムガンサン)に似ているため小金剛(ソグムガン)とも呼ばれます。澄んだ水と周辺の景色が非常に美しいところです。また、九千洞渓谷は山道ですが激しい高低はなく、トレッキングを楽しむにも良いところです。徳裕山国立公園の入口から始まるトレッキングコースは白蓮寺まで繋がっています。約6kmの行程で、往復で約3時間かかります。


全羅北道(長水郡 )

義岩祠は、朱論介の忠節を称え1846年に論介生長郷竪名碑が立てられた後、1955年に長水郡民たちの寄付により祠堂が建立され、1974年に現在の位置に移されました。境内には「直石義妓論介生長郷竪名碑」があり、「義岩祠」と書かれた板が掛けられている祠堂には、論介の姿が描かれた掛け軸があります。また、記念館には論介の遺品や論介の夫である崔慶会将軍の遺品が展示されています。 1953年、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。この時、論介は19歳でした。論介を追慕するために1955年に長水に祠堂が建立され、「義岩祠」と名づけられ、論介の姿が描かれた掛け軸が安置されています。毎年旧暦9月3日に開かれる朱論介祭では様々な文化行事が催されます。


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蔚山市北区に位置する蔚山空港(ウルサンゴンハン)は、1970年11月に蔚山飛行場として開港し、大韓航空の蔚山⇔ソウル定期路線が開設されました。1973年に休航し、1974年に飛行場は閉港となりましたが、1984年に大韓航空により再び蔚山⇔ソウル定期路線が開設されました。1992年3月にアシアナ航空が蔚山⇔ソウル路線を開設し、1993年2月に大韓航空が蔚山⇔済州路線を開設、1993年5月にはアシアナ航空の蔚山⇔済州線が就航しました。1997年12月にターミナルビルを増築、年間6万本の航空機運航が可能であり、旅客処理規模は年間240万人、駐車場は約500台収容できます。  


大邱広域市(達城郡)

南平文氏の中始祖として知られる三憂堂文益漸の子孫が大邱に入郷したのは500年前と伝えられており、ここ仁興に定着したのは彼の18代目にあたる仁山斎文敬鎬(1812~1874)の時です。彼は文一族の村を作る計画を立て、元来高麗の大刹である仁興寺があった場所に敷地を構え、今日の仁興村を新たに形成したと言われています。先祖代々からの居住地に最初に建てた建物は1820年前後に建てられた斎室、龍湖斎(ヨンホジェ)であり、現在の広居堂のある場所にあたります。邸宅として使用し始めたのは1800年代後半であり、最初は藁ぶき屋根でしたが、その後100年の年月をかけて今の居住地が形成されました。現在70軒あまりの瓦屋根の家が一ヶ所に整然と並ぶこの村は、建築年代は200年未満でありながら、伝統的な嶺南地方の両班家屋の型を守っており、世居地の構成や周囲の景観との調和は、他では見ることのできない村であると言えます。


慶尚北道(慶州市 )

慶州南山の麓にある慶尚北道山林環境研究院では郷土の珍しい樹木や天然記念物、野花が美しい景観をつくり、道民の憩いの空間、自然学習の名所となっています。


江原道(東海市)

望祥海水浴場(マンサン・ヘスヨクチャン)は美しい砂浜と充実した施設で家族の行楽に人気のビーチ。この周辺には他にも玉渓(オッケ)、鏡浦(キョンポ)海水浴場などがあり、望祥と共に東海岸を代表する海水浴場となっています。特にこの望祥海水浴場は1.4kmの白い砂浜や鬱蒼と茂る松林、浅い海水をはじめ便宜施設も充実しており一年を通じて観光客が絶えません。またワタリガニ、さざえ、ナマコ、ホヤ、ヒラメなど、豊富な海産物も特産物として有名です。