江原道(江陵市) , 江陵

大関嶺博物館は江原道江稜市城山面に位置しています。全体的な建物の形が石支墓の形をしており韓国建設協会の選定した優秀建築賞と江原道最優秀賞を受賞するほど周辺の景観とも調和をなす優れたデザインです。大関嶺博物館には計6つの展示室があります。「青竜の部屋(東側)」では青磁や陶磁器、「白虎の部屋(西側)」では仏教美術品や木彫りの人形などが観覧できます。「朱雀の部屋(南側)」では新婦が結婚式をあげるときに乗っていくかごを始め、民画や文字、「玄武の部屋(北側)」では青銅が展示されています。その他、「土器の部屋」では先史時代の穴蔵や土器、「ウリ(私たち)の部屋」では木材で作った家具や民俗工芸品が観覧できます。また、野外展示場では石で作った塔や彫刻を始め、藁ぶきの家や水車などが展示されています。


慶尚南道(金海市 )

蔚山市を東西に横断する太和江は、迦智山サルパウィ、白雲山タプコルセムなどで発生し、蔚山市街地を過ぎ、東海の蔚山湾に向かって流れる長さ47.54㎞の川です。蔚山市民と歴史を共にし、蔚山の誇りであり、大切な河川です。 太和江は蔚山が開発される前は、1級水の川でアユやサケなどが集団で生息していた澄んだ川でしたが、産業化が進み、各種排水で汚染され、段々と市民から目をそらされるようになっていました。その後、太和江を生き返らせるプロジェクトが進められ、今の姿に戻りました。 太和江には蔚山の象徴である鯨と白鷺の形状を象徴的に表現した、非対称構造の「十里竹田橋(太和江の橋の中の一つ)」と渡り鳥や太和江の自然観察ができる「太和江展望台」があります。また、テスプ公園、芝生、散歩道、体育施設などの便利施設が設けられており、市民の憩いの空間として、多くの人々に愛されるだけでなく、美しい自然の姿を保った渡り鳥の生息地としての位置を確立しています。 この他にも、上流流域の迦智山一帯は、都立公園に指定されており、周辺に多くの文化遺産が散在しています。


京畿道(安山市)

京畿道安山市檀園区にある「京畿道美術館」は、2006年10月25日に開館した道立美術館です。京畿道美術館は、地域の芸術文化の発展と現代美術の秀作を保全、解説する役割を果たしています。


江原道(三陟市) , 三陟

海歌詞の地である臨海亭は「三国遺事 水路夫人伝」で伝えてられている「海歌」という説話を土台に復元されたので文献上、正確な位置を知ることはできませんが三陟海水浴場の北側の臥牛山の端にあると推定されています。しかし、ここは現在軍事保護施設地区として開発が不可能で周辺の景観が美しい隣接地域である甑山洞海岸に作り変えられました。「三国遺事 水路夫人伝」に伝えられている「海歌」という説話を土台に復元された臨海亭と海歌詞記念碑が建てられていて、周辺の駐車場が拡大され、水路夫人公園が作られました。2006年4月に愛の如意宝珠のドラゴンボールが設置され、ここを訪れる人達に願いや恋人達の愛の誓いを祈願している新概念観光名所として人気です。特にここには東海の日の出の名所である湫岩海水浴場を一番美しく見ることができる写真撮影地として有名です。* 説話の背景新羅時代の善徳女王の時代、純貞公が江陵太守として赴任している途中、臨海亭という所で食事をしていましたが、突然海龍が現れ、夫人を海の中に引きずり込んで行ってしまいました。夫である純貞公が海歌という歌を作って歌うと龍が水路夫人を連れて現れました。


忠清南道(唐津市)


全羅南道(海南郡 )

頭輪山(トゥリュンサン)は南道にある名山で大芚山とも呼ばれています。高さは703mで大小8つの霊峰から成っています。寺院や遺跡が多く、自然環境が素晴しく、暖帯性常緑広葉樹や温帯性落葉広葉樹が森を形成し、植物分布学上重要な価値を持っています。 大興寺入口から頂上までは約2~3時間かかり、反対側の入口にある頭輪山ケーブルカーを利用すると、頂上のすぐ下まで行くことができます。頭輪山の頂上からは多島海と平野が広がっています。ケーブルカーの長さは1,500mで、片道10分程度かかります。


京畿道(加平郡)

「チャラ島オートキャンプ場」は2008年加平世界キャンプ大会の開催地としても知られる首都圏最大かつ最高の施設を誇るエコレジャー施設です。チャラ島は1943年、韓国初の発電専用ダムである清平ダムが完工されて生じた島で西島、中島、南島という3つの島と2つの付属島から成り立っています。チャラ島キャンプ場内にはモービルホーム(トレーラーハウス)、キャラバン、キャラバンサイト、オートキャンプ場といったキャンプ施設の他、共同施設として炊事場、トイレ、シャワー室、洗濯室などがあります。すべての施設は予約制で運営されており、ホームページから事前予約可能です。チャラ島オートキャンプ場の周辺は生態公園二和園、ドラマ『IRIS -アイリス-』セット場があり、また、毎年10月にはチャラ島国際ジャズフェスティバルが開かれるなど見どころにあふれています。


慶尚南道(巨濟市 )

壬辰倭乱(1592年から1598年まで日本の侵略により起こった朝鮮と日本の戦争)の時に日本の侵略に真っ向勝負した李舜臣将軍(1545-1598)の勝利を記念するべく造られた公園です。李舜臣将軍は巨済島玉浦湾で日本の船50隻のうち26隻を撃沈しこの海戦(玉浦海戦)を勝利に導き、その後の戦いに大きな影響を与えました。玉浦海戦での勝利を記念し李舜臣将軍の愛国精神を継承しようと玉浦大捷記念公園(オッポデチョプ・キニョンコンウォン)が1996年6月に造成されました。公園には記念館、祀堂、記念塔、玉浦楼などがあります。記念館には壬辰倭乱当時の亀甲船の模型、当時の朝鮮の大砲や刀などの武器、李舜臣将軍の遺物などが展示されています。祀堂には李舜臣将軍の肖像画があり、高さ30メートルの記念塔とその隣にある玉浦楼に上がれば周辺の海岸は言うまでもなく巨大な大宇造船所の姿までを見ることができます。公園を海側に下っていくと赤と白の防波堤がありその先には大宇造船所がありますが、近年観光客が増加し安全上の配慮から現在防波堤への出入は禁止されています。


忠清南道(瑞山市 )

海美邑城(ヘミウプソン)は、朝鮮時代の代表的な邑城に挙げられています。邑城とは、邑を囲んで建てられた平地城で、海美邑城以外にも高敞邑城、楽安邑城などが有名です。海美邑城は朝鮮成宗22年、1491年に完成した石城で、周囲約1.8km、高さ5m、総面積6万余坪の大きな城で、東、南、西に3つの門楼を持っています。最近は復元作業が進められ、社稷公園が造成されました。この地は、朝鮮末期の天主教徒の殉教聖地として有名な場所です。天主教迫害当時、官庁があった海美邑城では忠清道の各地域で多くの信者たちが捕まり拷問を受けて殺されました。時に1866年の迫害の際には、千余名がこの地で処刑されたと言われています。城内の広場には、大院君報政当時に逮捕された天主教徒が監禁されていた監獄址や、木の枝にぶら下がってひどい拷問を受けた、古いエンジュの木が立っています。城門の外の道路沿いには、エンジュの木にぶら下がって拷問を受けながらも、屈しなかった信徒たちを、石の上に強く打ちつけて殺害した時に使われたという、縄で縛られた石があり、天主教徒の巡礼地となっています。城壁の周囲にはカラタチの木を植え、城を敵の兵士から守ったといわれていますが、現在はほとんどその姿を見ることができなくなりました。


全羅北道(茂朱郡 )

テコンドー公園は、世界182カ国で6千万人の競技人口を誇るテコンドーの聖地として韓国を代表する文化観光資源となるべく全羅北道茂朱郡に造成されました。世界中のテコンドーに携わる人々の交流の場となると共に、テコンドー文化芸術産業のハブとして機能することをビジョンとして掲げています。伝統と現代の建築様式が調和を成しているテコンドー公園は、世界中のテコンドーに携わる人々の心のふるさととなるでしょう。* 規模総面積:2,314,060m²(70万坪)団地造成面積:1011574.8m²(30万6千坪)建築延べ面積:261158.2m²(7万9千坪)