忠清南道(泰安郡 )

泰安郡南面に位置する磨剣浦海岸は安眠島に続く橋の前にある海水浴場で、まだ多くの人に知られておらず静かな海岸です。周辺には松林があり、キャンプをすることも出来ます。傾斜が穏やかなため、こどもの海水浴にも安全です。


全羅南道(順天市 )

「順天伝統野生茶体験館」は空、風、水、森が調和した曹渓山のふもとにある千年古刹、仙岩寺へ行く道の途中にあります。お茶の体験館であり、自然そのものの美しさを大事にしたウェルビーン空間でもあります。 韓屋(ハノク)の趣と余裕、爽やかな松の匂い、ほのかなお茶の味と香り、昔ながらの暮らしの良さを感じることができます。茶礼(お茶を飲む際の礼儀作法)やお茶の煎り方、茶菓子作り、茶道などを体験することができ、この他にもお茶の試飲、花びらの焼餅作りに加え、展示会や小さな音楽会などが開かれます。 ここではお茶の体験と一緒に韓屋体験(宿泊)もでき、家族単位での観光客が多く訪れています。


京畿道(加平郡) , 南楊州

恋人山は龍湫の滝の源泉でもあり、海抜1,068メートルの柔らかな土からなる美しい山です。この山に登ってお願いをすると、恋が叶うと言われています。 恋人山は肥沃な土でできているため、たくさんの木や花が育ち、春には様々な野生の花が咲きます。この恋人山や明智山、清渓山、鬼木峰からなる地域は、キャンプや炊事などが禁止されている場所で、汚染もなく綺麗なところです。これらすべてが1,000メートルを越える山々で、道馬峰から雲岳山までの連なりが美しいところです。その中に恋人山道立公園があります。 春前線とともに、5月の下旬頃に咲き乱れるクロフネツツジは、恋人山を代表する景観の一つです。毎年5月下旬になると、加平郡では「恋人山祭り」が開かれます。 恋人山の主な登山コースには柏屯里(地名)から登るコース、馬日里から登るコース、龍湫渓谷に沿って登るコース(12キロ)の3つがあります。春にはクロフネツツジ、秋には紅葉で色づく美しい景色の中で、静かで落ち着いた登山を楽しむことができます。


慶尚南道(昌原市 )

馬金山温泉(マグムサン・オンチョン)は馬金山(海抜200m)の岸にある55℃ 以上の弱アルカリ性温泉。馬金山温泉についての古文献上の記録は世宗実録地理志、東国輿地勝覧などに記されており、昔から温泉として利用されてきました。温泉水の主成分はナトリウム、ラジウム、マンガン、硫酸イオンなど20余りの鉱物質を含んでおり、関節炎や婦人病、神経痛、潜水病等に効果があるとされています。また温泉周辺の天馬山(370m)、馬金山、白月山(400m)は美しい山並みを誇り、特に白月山はこの地方の名山として多くの登山客が訪れています。


大邱広域市(達城郡)

琵瑟山(ピスルサン)は達城郡と清道郡の境界地域にそびえ立つ山です。最高峰は1084mの峻峰で、巨大な琵瑟山脈を成しています。見た目には高い山ではないですが、山並みが美しく、澄んだ空気にもう一度訪ねたくなるところです。 昔から琵瑟山は修道先として知られており、聖人天命が生まれるという伝説が伝わっています。名僧の一然(高麗時代の釈門・学者)が20代を過ごした修行地だでした。当時一然僧は琵瑟山ポダン庵に留まりながら、多様な信仰と経典に接しましたが、これは後に三国遺事(高麗忠烈王の時、普覚国師、一然が新羅・高句麗・百濟3国の遺事をまとめて書いた歴史書)の幅広い思想的基盤になりました。 琵瑟山でもっとも美しいのは春に咲き誇るツツジの群落です。赤く染まったツツジとこんもりとした林は補色の対比がとてもきれいです。また一年中針葉樹が生い茂っています。奇妙な岩石と闊葉樹林が調和し秋には五色の景色が楽しめます。とくに稜線頂上は数万坪のススキの群落が壮観で、秋のハイキングにもおすすめです。


京畿道(高陽市) , 一山

中南米文化院は1992年、中南米から外交官として生活をしていた李福衡大使と妻の洪甲杓理事が中南米地域の風物を集めて建てた文化の場です。中南米地域の文化と芸術についての理解を助け、青少年達にグローバル化社会教育の一環として夢と理想、健全な世界観を伝えるためという主旨のもと建設されました。文化院には博物館、美術館、彫刻公園などがあります。中南米博物館では、マヤ・インカ・アステカなど古代から現代に至るまでの中南米の各国の燦爛した古代文化遺産と歴史、生活を一度に見ることができ、アジア圏でも唯一韓国で最初の外国文化関連の博物館です。土器、石器及び木器、仮面、民俗工芸品、家具、絵画や楽器など幅広く展示されています。中南米美術館では近現代の中南米の作家達の絵画、彫刻などの作品を鑑賞することができ、周期的に展示会も開催されます。彫刻公園では中南米の12カ国(メキシコ・ベネゼエラ・ブラジル・チリ・ペルー・エルサルバドル・パラグアイ・ウルグアイ・アルゼンチン・エクアドル・コスタリカ・ポルトガル)の作家達の優秀な作品が展示されています。


全羅南道(莞島郡 )

多島海海上国立公園は1981年12月23日、韓国で14番目の国立公園として指定されました。 面積は2,344平方キロメートルという膨大な地域で、韓国最大の国立公園です。 全羅南道の麗水市の前に広がる海には紅島、黒山島、巨文島、白島など約1700の大小の島々や、様々な形の岩や石、エメラルド色の空と濃いコバルト色の海の波が、一枚の絵のように私たちの胸に焼き付きます。また、この地域は新羅時代の張保皐(ジャン・ボゴ)武将が海上王国を建設し、高麗時代には宋や元などと通商をしていた海上貿易路に当たります。朝鮮時代には、李舜臣(イ・スンシン)武将が日本軍を撃破した戦場であり、いたるところにその跡が残っています。たくさんある島の中でも紅島と黒山島が最もよく知られており、特に黒山島は国内でも有数の漁場があるところです。多島海海上国立公園は次の5つの地区に分けられます。* 黒山・紅島地区天然記念物第170号に指定された紅島は、フウラン(蘭の一種)の自生地です。紅島の入り口である南門を始めとした紅島10景は、訪れる人に美しい海と大切な思い出をくれることでしょう。また、ガンギエイの名産地としてよく知られている黒山島も、朝鮮時代後期の官吏である丁若銓(ジョン・ヤクジョン)が島流しにあい、そこでの生活もとに『玆山魚譜』(韓国最古の魚類学書)を書いた場所としても有名です。その他、黒山島は永山8景や黒山8景など大自然の美しさを誇る場所です。* 鳥島地区まるで鳥の群れのように、たくさんの島があることからここは「島鳥(チョド)」と呼ばれるようになりました。また、「観梅島(グァンメド)」は東西3キロメートルにもなる、美しい白い砂浜ときれいな海水浴場があります。3百年以上になる松林が3万坪にもわたり生い茂っており、森林浴を楽しむこともできます。その他、「空橋」を始めとする観梅8景もあります。* 飛禽・都草地区東洋最大の砂丘がある、自然の息づかい聞こえる牛耳島海水浴場と柿木海水浴場があります。国内の塩生産量70%を占める塩田と、最高の糖度を誇るホウレン草の生産地として広く知られているところです。* 所安・青山地区南海の珠島、浅黄色の美しい丸石が広がる正突里(チョンドリ:地名)にある九階燈、山林、岩、渓谷、そして映画「西便制」の撮影地でもある美しい白い砂浜が広がる海辺などその全てが調和をなしたところです。史跡第368号の尹善道(ユン・ソンド:朝鮮時代中期の文人・詩人)跡は莞島(ウァンド)南端の甫吉島に位置し、尹善道が1637年に始めて上陸し1671年、この世を去るまでを過ごした「洗然亭」というあずまやや、本を読む場所である「洞天石室」が残っている場所です。* 金鰲島地区太陽に向かう庵という意味を持つ「向日庵」は、韓国の四大観音祈祷所のうちの一つです。うっそうとしたヤブツバキと金鰲山周辺の様々な形の岩や石が調和をなしています。南海の水平線から顔を出す日の出は天下一品で、毎年「向日庵の日の出祭り」が開催され、釣り場や海水浴場の自然景観が美しい場所です。* 羅老島地区三面が海に囲まれたここは、天然記念物第362号に指定された蓬萊面(:地名)の常緑樹林や新錦里(:地名)に位置する羅老島海水浴場、道化面(:地名)の鉢浦海水浴場、萬戸城などの見所がいっぱいです。21世紀、韓国の宇宙へ向けての夢をひらく宇宙センター開発も進行中です。* 巨文・白島地区巨文・白島は多島海の最南端であり、岩石の割れ目や断層の発達、海水による風化と侵食で形成されました。言葉で言い表すことのできない絶景と、濃いコバルトブルーの海、美しい海岸線に沿って立つ柱岩や双子岩、屏風岩など様々な形の岩が、海の姿を見る人によっていくつにも変わりゆきます。そんなここの大自然の海は、大切な思い出も一緒に包み込んでくれます。 


京畿道(驪州市) , 驪州

驪州陶芸団地(ヨジュ・トイェダンジ)とは京畿道驪州郡北内面、五鶴里、五今里、峴岩里、川松里、池内里いったいの陶磁器工場密集地をさします。昔よりこの地域では質の良い粘土、白土、高嶺土など陶磁器の原料が生産されていたため陶芸家が自然に集まり陶磁器村が形成されました。ここでは、陶磁器の生産過程を直接見学できまた安価で購入できます。また毎年陶磁器フェスティバルが開かれています。


慶尚北道(鬱陵郡)

独島(トクト / 総面積187,554㎡)は鬱陵島(ウルルンド)の南東87.4㎞の海上にあります。東経131度52、北緯37度14の地点に位置する、韓国で最も東にある島です。新羅(57 B.C.-A.D. 935年)智證王13年(512年)に于山国は新羅領土に帰属し、毎年、于山国は新羅に貢物を献上していたという記録が残っています。朝鮮(1392-1910)時代の「成宗実録」には、金自周が独島の姿を描写した内容が記錄されています。朝鮮時代には独島を三峰島・可支島・于山島などと呼んでいましたが、1881年に「独島」と名前が変更されました。「独島」という名前は1906年 鬱陵郡守・沈興澤により初めて使われ、1914年行政区域改編により、慶尙北道の一部となりました。独島には東島と西島があり、約89の付属島で成り立っています。東島(海拔 98m)には噴火口がありますが、西島(168m)には噴火口はなく、火山岩からできています。東島と西島の間には兄弟洞窟があり東島には海蝕洞窟と海蝕台及び海蝕崖が発達しています。現在独島には韓国の警備隊が駐屯しており、岩の上に家を建て、水質の高い水が湧き出る泉から生活飲料水を供給しています。


江原道(高城郡)

高城の統一展望台では、韓国戦争が体験できる「6.25戦争体験展示館」を運営しています。韓国戦争の悲劇を教訓とし、民族の和合と祖国の平和統一を祈念してつくられた施設で、写真や映像、資料、遺物を通して韓国戦争当時の状況を知ることができます。