慶尚南道(南海郡 )

秀麗な山と渓谷、そして奇岩怪石が調和を成しており、その姿がまるで1匹の亀が腹ばいになっているように見えることから「盤亀台(パングデ)」と呼ばれており、その近くには先史時代の遺跡である国宝第285号の盤亀台岩刻画があり、美しい自然景観と共に歴史を感じられる場所です。  


全羅北道(完州郡)

「参礼文化芸術村(サムネムナイェスルチョン)」は元々、日帝強占期に穀物倉庫や官舍として収奪の道具に使われた所でしたが、今では芸術村として生まれ変わりました。 デザインミュージアム、ビジュアルメディアアート美術館、金相林木工所、本博物館と本工房で構成され、企画展示、芸術祭といったイベントも開かれます。


慶尚南道(密陽市 )

1905年1月1日に慶釜線開通とともに営業を開始、1982年12月28日に瓦葺の韓屋の構造をしている駅舎が築造されました。駅舎の屋根は伝統家屋の形式である瓦葺を利用し、地上2階地下1階建ての建物で忠と孝を重要視した密陽市のイメージにぴったりです。また、駅舎まえの広場は密陽市民だけではなく観光客達が楽に休むことが出来る美しく快適な空間です。密陽駅は釜山を除外した慶尚南道唯一のKTXの停車駅で馬山、昌原、などの旅客の長距離旅行の起点にもなっています。


忠清南道(瑞山市 )

忠清南道瑞山島飛山の麓にある浮石寺は、忠清南道文化財資料第195号に指定されている新羅時代の寺院です。 瑞山浮石寺は、 慶尚北道栄州にある同じ寺名の浮石寺ほど有名ではありません。規模が小さく、歴史的記録は多くありません。新羅文武王17年(677年)義湘大師によって建てられ、その後、朝鮮時代に無学大師が立て直しました。 1330年に浮石寺で造成された美しい金銅観音菩薩坐像が、現在日本の対馬島観音寺にまつられています。 現在、浮石寺に現存する建物で大きい法堂である極楽殿を中心に、寮舍寨(僧侶が生活する建物)である牧竜荘と尋剣堂が並んでおり、向かいには安養樓があります。また、法堂の左側に行くと山神閣があり、浮石寺の庭先から島飛山の登山路入口付近に石塔が立っています。 島飛山頂上まで上がると、看月島と安眠島を越えて広がる西海と内陸の伽揶山が眺められる美しい景色を楽しむことができるため、多くの観光客たちから脚光を浴びています。


江原道(洪川郡)

江原道洪川郡瑞石面笙谷里を水源地とし、清平に流れ込む洪川江は、水深が浅く比較的温かい水温と広い川岸により、首都圏でも最高の水遊び場に数えられています。143kmに達する洪川江のあちこちには、名所が散在し、上流の屈只里から八峰山、パムコル、盤曲、トンゴッ、開野、スサン、牟谷、馬谷など、有名な川岸だけでも10カ所余り、全てオートキャンピングが可能になっています。 洪川江で最も有名な場所は西面牟谷のパムボルで、約1kmに渡る川岸が栗の実ほどの小さな砂利と砂で覆われています。牟谷から6km離れた馬谷は静かな場所で、洪川江の下流の端にあり、下流は清平湖につながっています。川のまん中は比較的水深が深く、水上スキーとジェットスキーを楽しむレジャースポーツファンたちが主に訪れます。下流側は砂浜と森が一つに繋がっています。以前は川の上流側まできれいな砂場が続いていましたが、川の下流側で砂を採取していったため、それが水流に流れ込み、今は砂利の多い場所になってしまったそうです。 牟谷から川に沿って上流に上って行くと、スサンや開野里などの川岸があり、上流にさらに上ると8つの峰がそびえ立っています。これが洪川江とともに名山と呼ばれている八峰山です。八峰山観光地は水深が浅く水が澄んでおり、2時間ほどの山歩きを楽しむことができます。パムコルは栗林が茂っているので、テントを張ってキャンプを楽しむのに適しています。人影が少ない場所は、最上流の屈只里と江原道獐項里。のんびりと静かなひと時をすごしたい人におすすめです。 洪川江の川沿いには、渓谷や遺跡も多くあり、西面牟谷里には翰西南宮檍(ハンソ・ナムグン・オク)氏の墓地と記念館があり、洪川邑を過ぎると寿陀渓谷やヨンソ渓谷、姜在求公園、豊岩里東学革命戦跡地、洪川郷校、物傑里三段石塔などがあります。寿陀渓谷は春のツツジと秋の紅葉がきれいなことで知られています。


京畿道(東豆川市)

東豆川駅は1912年7月25日開通しました。1984年2月10日駅名が東豆川駅から東安駅に変更になりましたが2006年7月31日新駅舎に移転し、再度駅名が東安から東豆川に変わりました。 東豆川駅は京元線保山駅と逍遥山駅の間に位置し電動列車の一部と京元線通勤列車の始発終着駅です。主な利用客は漣川郡地域から東豆川と議政府地域に通勤する人たちで、それ以外にも1日平均1,000トンの無煙炭を運送しています。また保山駅から新炭里駅まで全10駅を管理する統括駅でもあります。周辺観光地には磨叉山や旺方山などがあります。


京畿道(高陽市) , 一山


忠清南道(舒川郡 )

夕暮れ時、空が段々暗くなり月が徐々に明るくなってくると、なぜ、ここが「タルゴゲ(月の峠)カラムシ村」といわれるのかがわかってきます。何も遮るもののない平らな大地に立ち、全身に月の光を浴び、月明りに酔いしれていると、遠くからマガモの群れの飛び立つ音が聞こえてきます。 カラムシは千年という非常に長い歴史を誇り、その由来も実に神秘的です。百済時代、ある老人が夢枕に立ったことで乾芝山のふもとにカラムシが発見され、その歴史は始まりました。三国時代から発達してきた天然繊維であるカラムシは「トンボの羽」と表現されるほど細く、纎細な織物です。高麗時代には中国・明への貢物、朝鮮時代には献上品とされたほどの逸品です。 韓山カラムシの伝統をいまに受け継ぐこの村には、多くの「カラムシ織技能保有者」がいます。3ヶ所設けられた体験場では、カラムシを採り、紡ぎ、織るといった製作過程を体験することができます。名人の作ったカラムシ織りの服を着てみることもでき、大量生産品との違いを感じることができるでしょう。その他、天然染料を使った染色体験、カラムシを使ったお餅やカルシウム満点のカラムシ茶、カラムシチヂミ、カラムシパン、韓菓などを作るプログラムもあり、子どもから大人まで楽しめます。特に韓菓は、村特産の穀物が使われるため、それだけ手間隙がかかっています。さっと揚げた雑穀をハチミツとからめ、適度な固さになるまで麺棒で平らにのばしカットします。作る楽しさと食べる楽しさ、両方味わうことができるプログラムとなっています。


全羅南道(木浦市 )

* 南農・許楗先生が設立した美術館、南農記念館 * 南農(ナムノン)記念館は山水画の一派・南宗画の韓国における巨匠で、書を嗜む画室・雲林山房(ウルリムサンバン)の3代目主人、南農・許楗(ホ・ゴン=1908~1987)先生が、1985年5月に先代の遺作所蔵及び韓国・南画(山水画の一派)の伝統継承・発展のために設立した美術館です。 南農記念館は、朝鮮末期の詩・書・画で名声を馳せた秋史・金正喜(キム・ジョンヒ)が海東(古の韓国)における第一人者とまで激 賛した許錬(ホ・リョン)の作品をはじめ、米山(ミサン)許瀅(ホ・ヒョン)、南農・許楗、林田(イムジョン)許文(ホ・ムン)、五堂(オダン)許塡(ホ・ジン)に至るまでの雲林山房で描かれた許氏一族5世代に渡る作品が展示されており、その他朝鮮時代の名画から現 代の大家・重鎮に至るまで南宗画の大家らの作品およそ300点も展示され、韓国における南宗画派の山水画を脈々と受け継いでいる美術館です。。 この他、伽倻や新羅時代から朝鮮時代に至るまでの土器・陶磁器など約200点をはじめ、日本や中国の陶磁器も展示され、毎年多くの人々が訪れる芸術の故郷・木浦の観光名所となっています。南農記念館を訪問されれば、美術史的観点から見た南農・許楗先生と地元・木浦との関係がよく理解できます。nbsp; * 南宗画の巨匠、南農・許楗先生とは * 南農・許楗先生は朝鮮時代末期、南画の大家であった小痴(ソチ)許錬(ホ・リョン=1808~1893)の孫で、こちらも有名な画家であった米山・許瀅(1862~1938)の四男として全羅南道珍島(チンド)で生まれました。許楗先生は生涯、木浦で暮らし、韓国画壇の中心で多くの創作活動を行い、同時に数多くの弟子を育て後進の育成にも尽力しました。 1981年には生涯にわたり収集した水石・磁器・木物とともに雲林山房で創作活動を行った一族3代に渡る作品を木浦市に寄贈し、郷土文化発展に大きな貢献を残しました。1987年には珍島雲林山房を私財を提供し復元、珍島郡に寄付し韓国の芸術界において文化遺産を社会に還元するなど模範となりました。 大韓民国文化芸術賞・文化勲章など数多くの賞を受賞し、1983年には大韓民国芸術院元老会員に推挙されました。