江原道(三陟市)

天恩寺(チョヌンサ)は、李承休が韓民族の大敍事詩である帝王韻紀を執筆した場所です。創建の歴史は、758年にインドからやって来た3人の僧侶である頭陀三仙が白い蓮の花を携えてやって来て建てたといわれています。その後、829年に梵日国師が極楽宝殿を建立したことで寺としての基盤が築かれました。高麗の忠烈王の時代に李承休が改修し、ここで大蔵を全て読んだということで看蔵庵と呼ばれ、そして朝鮮の宣祖の時には西山大師が寺を再建し、黒岳寺と名づけました。1899年には李成桂の4代祖の墓である穆祖陵が未老面活耆里につくられ、この寺を願堂寺刹として「王からの恩恵をあずかった寺」ということで天恩寺と呼ぶようになりました。 韓国戦争(朝鮮戦争)の際に焼失してしまいましたが、1983年にムン・イルボン僧侶が再建しました。境内へと続く砂利の小道の両側には桜の木が植わっており、春になると桃色の桜の花が満開に咲き誇ります。


江原道(華川郡)

「碑木公園(ピモクコンウォン)」は、平和のダム周辺に造られた公園で、6.25戦争(朝鮮戦争)の痛みと、犠牲になった若い無名の勇士たちの魂を称える場所であると同時に、国民歌曲「碑木」誕生の地でもあります。作詞家ハン・ミョンヒは1960年代中頃、平和のダムから北に14キロメートル離れた百巌山渓谷非武装地帯で軍生活を送っていました。ある日偶然、雑草の生い茂る場所で無名の勇士のさびた鉄兜と石の墓を見つけ、その墓の主が戦争当時、自分と同じくらいの若さだっただろう想いながら作詞をし、作曲家チャン・イルナムがこの歌詞に曲を付けて「碑木」が誕生しました。この曲は1970年代中盤から知られはじめ、今でも広く愛されています。


全羅南道(谷城郡 )

道林寺は新羅時代に造られ1984年全羅南道文化財資料第22号に指定された寺院です。谷城邑から南西に約4キロ離れた月峯里、動樂山の山並みにある兄弟峰の中腹に位置しています。新羅時代、武烈王7年(660年)に元曉大師が四佛山の華嚴寺から移り住んだといわれています。現在寺院内には法堂である普光殿をはじめ應眞堂、地藏殿、藥師殿、七星閣、寮舍寨などがあり肅宗9年(1683年)に造られた道林寺掛佛が所蔵されています。


ソウル(永登浦区)

ソウル特別市創作空間・文来(ムルレ)芸術工場は、自然発生的に生まれた芸術村・文来創作村にある、国内外のアーティストのための創作支援センターで、2010年1月28日に開館しました。 文来芸術工場は文来洞鉄工所通りのひと昔前まで昔の鉄材を取り扱っていた専門街の一角に専門創作スペースとして新たに建設られました。 共同作業室、多目的発表場をはじめ、レコーディング室、セミナー室など創作発表活動のための様々な支援施設を兼ね備えています。


ソウル(陽川区) , ソウル西部

ソウルの活気あるモクドン地区に位置するモクドン射撃場は、刺激的な体験を提供するスポットです。モクドンスポーツコンプレックス内にあり、多目的スタジアム、野球場、屋内アイスアリーナ、さらには2008年に整備されたフットサルコートなど、韓国のスポーツ文化が色濃く反映された施設群の一部として、来訪者に多彩なアクティビティを楽しむ機会を提供しています。 ライブファイア体験の魅力 この最新鋭の射撃場では、エアライフルから実弾を使用した射撃まで、幅広い銃器を取り扱っています。特に、ここだけで体験できる最先端の「KRISS Vector」は注目の一品です。初心者から上級者まで、各レベルに合わせたプランが用意され、親切でプロフェッショナルなインストラクターが、安全かつエキサイティングな体験をサポートします。 安全性への徹底した配慮 韓国では個人の銃所持が禁止されているため、射撃体験は専門のスタッフによる厳重な監督下で行われます。参加前には、銃器の正しい取り扱いや安全対策に関するブリーフィングが実施されるので、安心して体験を楽しむことができます。また、実弾射撃の場合、通常14歳以上が対象となり、年齢確認のために有効な身分証明書の提示が必要です。 ご来場にあたっての基本情報 * 所在地: ソウル特別市陽川区モクドン914 * 営業時間: 平日:午前10:30 ~ 午後7:00 週末:午前9:30 ~ 午後6:00 * 休憩時間: 12:00~13:00は休憩時間となります。 * 入場について: 営業終了の30分前までにご入場いただく必要があります。 * 予約方法: オンラインまたは電話での事前予約が可能です。事前に予約を済ませることをおすすめします。 モクドン射撃場は、同じコンプレックス内にある多目的スタジアムや屋内アイスリンクなど、国際大会も開催される施設と近接しており、周辺のスポーツ施設巡りの一環としても最適です。 ソウルで唯一無二のエキサイティングな体験を求める旅行者にとって、モクドン射撃場は必訪のスポットです。ぜひTrippose.comで詳細をチェックして、韓国での忘れがたいアドベンチャーに挑戦してみてください。


釜山広域市(影島区)

近代船舶修繕業の中心地・大平洞、カンカンイ芸術村 カンカンイ芸術村は韓国初の近代式造船所が作られた近代造船産業の発祥地です。 カンカンイ芸術村造成事業は、文化芸術を通じて衰退したカンカンイ村に新しい息吹を吹き込む都市再生の役割を果たしました。 影島(ヨンド)渡船復活、公共芸術プロジェクト、マウル(村)博物館プロジェクト、文化舎廊房(サランバン)など村のコミュニティ空間を作るためのさまざまなプロジェクトがいまもなお進行中です。


仁川(中区)

虹のような形をしていることから名付けられた虹霓門(ホンイェムン)は、仁川(インチョン)の南北の行き来の不便さを解消するため、鉄道敷設の任を預かっていた日本の工兵隊が1906年に着工、1908年に完成したもので、当初は穴門と呼ばれていました。 各国の租界が作られた当時、朝鮮政府の計画に反対した日本人は、朝鮮や満州への侵略の計画、そして仁川へ集まる日本人の居住地拡大の問題が現実化し、日本人租界の拡大を目論んでいました。 当時、仁川の街の交通事情は大変劣悪なもので、日本人租界や仁川の港から、仁川の街の北側、現在の仁川駅の北にある当時の仁川の中心地・万石洞(マンソクドン)方面へ向かうためには、北西の海岸沿いにぐるっと迂回して行けねばなりませんでした。 そこで、日本人らは比較的、短距離で仁川の南から北への行くことができる、現在の松鶴洞(ソンハクトン)の丘を削り、万石洞へ通じる道を開き、その場所に花崗石造りの虹霓門を築き、測候所などがある北側への進出を企てました。 虹霓門の築造様式は花崗石と煉瓦を同時に使ったアーチ構造で、当時の日本の土木工法や建材を知ることができる比較的原型を留めている史跡として価値があります。


京畿道(漣川郡)

「新炭里(シンタンニ)駅」は京元線の大光里駅と白馬高地駅との間にある駅で、1913年7月10日から営業を開始しました。1945年から一時、北韓に所属していましたが、1951年に再び韓国側に所属が変更されました。1971年に鉄道中断点の表示板が設置されました。以前は韓国側最北端の終着駅でしたが、2012年11月20日に延長されて白馬高地駅が開通したことから大光里駅と白馬高地駅との間に位置しています。KORAIL首都圏東部本部所属で、京畿道漣川郡新西面高台山キル4(大光里169-2)にあり、近くには高台山があります。


慶尚南道(統営市 )

統営市の歴史を一目で見ることのできる郷土歴史館は延べ面積169坪で、ここには先史時代から伽倻、新羅、高麗、朝鮮、近代など時代別に祖先たちが使用した生活用品と各種文献、写真など約1,000点が展示されています。特に映像スクリーンを通して螺鈿漆器、統営カッ、扇子、石けんなどの工芸品と五広大などの無形文化財の制作および工芸過程を見ることができます。


忠清北道(丹陽郡 )

大崗面舎人岩里にある舎人岩は丹陽八景のひとつです。丹陽の南側の南朝川辺の青く深い渓流にある高さ70mの奇岩絶壁です。丹陽八景を訪問する観光客の大部分はどうろ条件により、舎人岩を一番最初に訪れる場合が多く、舎人岩の前に流れる渓谷を雲岩九曲といい、丹陽八景の中でも一番美しいと言われています。舎人岩という名称の由来は高麗時代の儒学者である易東と禹倬の行跡によって付けられた名前です。