ソウル(道峰区) , 三清洞・ソウル北部

道峰山(トボンサン)と水落山(スラクサン)の間に、アヤメをテーマとした特殊植物園「ソウル菖蒲園(チャンポウォン)」が登場しました。52,417㎡の敷地に造成されたこの植物園は、アヤメ園、薬用植物園、湿地園など、12のテーマに分けられています。アヤメ園には、キショウブ、ハナアヤメ、ネジアヤメ、ヒオウギなど、130種の様々なアヤメが約15,000㎡の敷地に約30万本植えられており、種類別にアヤメの美しさが観賞できるようになっています。主な植物樹木:ラクウショウ、ケヤキ、ストローブマツなど39種2,726株灌木:ネコヤナギ、ムレスズメ、マサキ、ニシキギなど18種57,035株草花:ツルヨシ、ヤブラン、シベリアノギク、オギなど43種319,292株アヤメ:ノハナショウブ、ネジアヤメ、ヒオウギなど130種218,453株


ソウル(西大門区) , 市庁・光化門

独立門(ドンニンムン)のある場所は元々使臣を迎えた迎恩門のあった場所でした。迎恩門は中国からの使臣がやって来たとき王が自ら出迎えた場所で、外交の象徴だったこの門の後に、1897年、独立門が建てられました。この門は、長い間影響を与えてきた中国や、韓国を脅かす日本やロシアに独立性を表わすためのもので、建設のための費用も国民の力によって集められました。この独立門はパリの凱旋門をモデルに作られており、御影石の煉瓦を積み上げた高さは14.28m。上部にはハングルで「独立門」と書かれ、両側には韓国の国旗「太極旗テグッキ」が描かれています。同じ敷地内にある西大門刑務所歴史館も是非見ておきたいところです。


江原道(春川市)

清平寺(チョンピョンサ)は、昭陽湖の船着場から船に乗り約10分程行ったところにある五峰山の麓にある寺です。高麗時代(918~1392)の973年(光宗在位時)に永賢禅師が建立しました。1089年、科挙に落ちてしまった李資玄は官職を捨てて、清平寺に入り、自然景観を生かした大規模庭園を造成しました。見かけは正方形に見えるように石を積み、渓谷の水を引き入れ池を作り、池に五峰山が映るようにしました。さらに、朝鮮明宗のときには普雨禅師が復元しました。また、清平寺の近くには九種類の音を出すという九声瀑布と、水が清いことで有名な清平寺渓谷があります。現在は宝物第164号の回転門と三階塔が残っています。


済州道(済州市 ) , 구 제주

特別自治道が道内中小企業の販路難を解決し、済州特産品の統合マーケティングのために済州道中小企業総合支援センター1階に設けた売り場です。済州原料で済州で生産される特産品だけを1ヶ所に展示、販売する所で、現在138社の農水畜産品、加工食品、工芸、香粧品など2,200種の商品が店頭に並ぶ全国最大の単一地域特産品売り場です。生産者との直接取引による安価格、購買客のための最高のサービス、消費者が信頼できる品質管理システムを追求して、オン-オフラインの販売場を連携させており、済州のショッピングスポットとして人気が高まりつつあります。


京畿道(華城市) , 水原

  隆陵 隆陵は朝鮮第22代正祖の父である莊祖(1735-1762)とその妃、獻敬王后(1735-1815)洪氏の合葬陵です。莊祖は朝鮮21代英祖の2番目の息子であり、1736年(英祖12年)に皇太子となりました。さまざまな方面において皇太子としての優れた面貌を備えていましたが、1762年に父・英祖の命令で米びつの中に監禁され亡くなりました。莊祖の陵は元は京畿道楊州郡拜峰山にありましたが、彼の息子・正祖が即位すると華城の華山に移し顯隆園としました。後に莊祖として追尊され現在の位置に墓を移した後、陵号(墓の名前)を隆陵としました。獻敬王后は1744年に皇太子の妻となりました。夫が非業の死を遂げた後、還暦を迎えた1795年、甥・洪守栄の願いで莊祖の惨事を中心にした自伝的回顧録「閑中錄」を残しました。資料的価値の高い「閑中錄」は「仁顯王后伝」とともに宮中文学の双へきを成しています。京畿道華城市安寧洞にある隆陵は、皇太子の墓である本来の形式に木蓮と蓮の模様を刻んだ屛風石を設置し、上界空間と下界空間に分けて空間を王陵のように作りました。上界には陵、魂遊石(魂が出てきて遊ぶようにした石という意味で、王陵の封墳の前に置かれた四角形の石)、 望柱石(墓の前の両側に造られた一対の石柱)が配置されており、下界には文人石(長明燈の左右にある文官の形をした石)、石馬(石で造った馬)が配置されています。健陵健陵は正祖(在位:1776-1800, 1752-1800)と彼の妃の孝懿王后(1753-1821)金氏の墓です。 正祖の遺言に従い父の陵である隆陵から近い場所に安葬されました。莊祖と獻敬王后(惠慶宮 洪氏)の2番目の息子であり、1959年(英祖35年)、8歳で皇太子の長男となりました。党争の渦の中王位についた正祖は、在位24年の間蕩平策(党争の弊害をなくすために各党派で人材を登用した政策)を実施して国を治め、王室の図書館である奎章閣を設置し、学問の研究に大きな業績を残しました。彼の妃である孝懿王后は金時黙の娘で1762年、10歳で皇太子の長男の妻になりました。1776年に正祖が即位し王妃となりました。一生をつつましく暮らし、1821年(純祖21年)に昌慶宮慈慶殿にて69歳でなくなりました。健陵は合葬陵で隆陵の例に従いましたが、屛風石(封墳を保護するために 封墳の下の部分を囲んだ石)を巡らせた点を除けばほとんど隆陵の構成と似ています。 健陵や隆陵とともに同一史跡に指定されました  


全羅北道(井邑市 )

內蔵山国立公園内にある金仙溪谷(クムソン・ケゴク)は、空が見えないほど森が深く、夏には暑さを凌ごうと多くの人が渓谷に訪れ、秋には紅葉を楽しもうと多くの観光客が訪れます。特に、紅葉の風景は絹に刺繍したかの如く美しく、金仙という名前で呼ばれたとされています。他の地域に比べ、紅葉期間が長く、色が濃いことでも有名です。 一柱門から內蔵寺の龍窟を通りすぎて金仙瀑布でユータンする登山コースが人気です。金仙溪谷を通りすぎるこの登山コースは2時間20分ほどかかります。


江原道(春川市) , 春川

忠州湖と並び韓国で一番大きな人工の湖である昭陽湖は東洋では一番大きく、世界では4番目に大きな砂礫ダムとして春川、洪川、陽九、麟蹄郡に接していて内陸の海と呼ばれるようになりました。1973年10月に順行されたこのダムは高さ123m、長さ530m、貯水量29億トン、発電容量20万kw/hで春川、京畿、ソウルの生活用水、農業、軽工業などに大きな役割を果たしています。


江原道(春川市) , 春川

韓国人の国民的な愛唱歌としてよく知られている『昭陽江の乙女』と、昭陽江(ソヤンガン)を広く知らせるために建てられた昭陽江乙女像(ソヤンガン・チョニョドンサン)は、2005年に春川市が建設した高さ7mの巨大な作品です。現代的な感覚の銅像ときれいな昭陽江、周囲の自然景観がすばらしい調和を成しています。アクセス方法は南春川駅から市内バスかタクシーを利用し、昭陽江ダムで下車。お問い合わせ:春川観光情報案内 +82-33-250-3322(英・日・中)


光州広域市(光山区)

1913年から光州松汀駅とともに栄えてきた松汀駅市場は100年の歴史を持つ伝統市場です。一時期は生活に必要な食材や物を買い求める人々で賑わっていましたが、1990年代以降は大型スーパーに押され、他の伝統市場と同様に徐々に衰退してきました。そこで松汀駅市場では伝統市場の特色を強化し、市場を新しくリニューアルしました。ホットク、串焼き、練り天、コロッケ、紅参ヨーグルトなど、様々なB級グルメも揃っており、人気があります。


光州広域市(西区)

1971年に忠壮路で1代目が開店したサムヒブルラクが尚武地区に移転し、現在2代目が営業しています。毎日、全羅南道務安郡から水揚げされた新鮮なテナガダコを使って調理しています。