京畿道(驪州市) , 驪州

世界生活陶磁館が改名した「パンダル美術館」は、10年間京畿世界陶磁ビエンナーレが開催された陶磁専門美術館として、4つの展示ホールをもち、芸術作品としての生活陶磁の無限の領域を展示しています。* オープン 2002年3月14日


全羅南道(光陽市 )

智異山のふもとを縫うようにくねくねと流れる蟾津江(ソムジンガン)に沿って行くと梅の木が至る所に植えられている蟾津村(ソムジンマウル)があります。この村の農家では穀物の代わりに山と畑に梅ノ木が植えられ、毎年3月になると白く満開になった梅の花がまるで白雪が降りたような、白い花雲が谷に降りてきたような壮観をつくりあげます。この地域の澄んで暖かな空と風、立ち上る霧が梅の木の生育にちょうど良く、収穫量が一部落で年間100トンを超えるといいます。 ここの梅は智異山の山の背に残雪がまだところどころ残っている3月初旬頃からつぼみが芽吹きはじめ、梅の収穫は智異山のツツジが咲き誇る6月から始まります。 梅は他の花が冬の眠りから覚める前に花が咲き、夏に虫達が動き始める前に収穫されるため農薬いらずの果実です。梅の木の集団栽培を全国で一番初めに始めたチョン梅農園では1930年頃、キム・オチョン(栗山)先生という人が植えた樹齢70年の古木、数百本を含んだ梅の木畑になっており、梅を使った食品を作るのに使われる伝統甕壷2,000個が農園の後方に並んで竹林とともに雰囲気をかもし出しています。 また、農園から下ってみると蟾津江のしじみ採りの風景が見え、これも見事な景色です。蟾津村では梅の花が咲く毎年3月に梅花祭りが開かれます。


全羅南道(珍島郡 )

1929年ごろ金海金氏が済州島を訪れる際、この島がティブル(茅)で覆われていたことからティソム(茅島)と呼ばれるようになりました。茅で屋根を葺いた家が多かったことからティソムと呼ばれたという説もあり、現在では島名が漢字で表記し茅島(モド)と呼ばれています。  


全羅南道(順天市 )

順天で約30年の伝統を受け継ぐ「一億兆会館」は全羅南道固有の味を味わうことの出来る韓定食のお店です。また、「一億兆会館」は順天郷校、玉川書院の近くにあります。


京畿道(安養市)

サムウォンプラザホテル安養市内のショッピングメイン・ストリートのメッカにある新しいスタイルの一級ホテルで、ビジネスのための 最適の宿泊施設です。


全羅北道(益山市 )

益山駅は1915年1月1日、裡里駅という名前で営業をスタートし、1977年11月11日、裡里駅の爆破事故で大きく損傷しました。1978年、壊れた駅を新築で建て替え、1995年、益山駅へと改称し、現在に至ります。  


全羅南道(康津郡 )

「康津青磁祭り(カンジン・チョンジャ・チュッチェ)」が開催される康津は、10世紀から14世紀まで青磁が盛んに作られていたところです。現在は16の窯が残っており、陶磁器の制作過程を見たり陶磁器を作ったりすることができます。 関連ページ:過去、現代、未来が調和する康津青磁祭り康津青磁博物館 


仁川(江華郡) , 江華島

かつての織物工場が今、魅了の観光地「東光織物生活文化センター」として輝いています! 昔、風の音しか聞こえなかったこの場所が、今やインチョン江華郡の最も注目される観光スポットとなっています。古き良き織物工場をリノベーションして展示場やブックカフェ、体験スペース、そして駐車場を備えた新しい空間へと生まれ変わらせました。この取り組みで、旧市街に新しい息吹が吹き込まれました。       1963年、東光織物は江華郡で大きく展開し、一時期200人以上のスタッフがここで活動していた、その時代の象徴的な企業でした。そして現在、江華郡は32億ウォンを投資して、東光織物の歴史を感じることのできるスペースを創り上げています。 60~70年代、東光織物は江華島の黄金時代を共有した名門の織物工場でした。その後、織物産業の変遷とともに一時は静かになりましたが、2022年に都市再生の一環として、「東光織物生活文化センター」として再び生まれ変わりました。入場は無料、ただし、月曜日は定休日です。         朝陽紡織や江華ソチャン(小倉)体験館と並ぶ、韓国近代織物産業の歴史と文化を堪能することができる場所となっています。SNSでもこの場所の魅力を共有する人々の声が絶えません。 韓国旅行を考えている方、是非インチョンの江華島を訪れ、韓国の深い伝統と魅力を体感してみてください。心からおすすめします! 今、韓国の歴史と感動の旅へ!東光織物生活文化センターで、新たな発見をしませんか?  


慶尚北道(鬱陵郡)

道洞薬水場は、土類炭酸鉄泉であり、マグネシウム、塩素、炭酸イオンなどの成分が含まれており、貧血、生理障害、リュウマチ性疾患、湿疹、などの皮膚病に効果があることで知られています。 昔々、日本人と戦っていた将軍が亡くなった後に、将軍の冑をこの近くに埋めてその冑が土に返り、流れる鉄の水が薬水になったと伝えられており、この水でご飯を炊くと青みを帯びます。


慶尚北道(安東市 )