全羅南道(咸平郡 )

全羅南道咸平郡に位置する牟平村は咸平牟氏による開拓村であると伝えられており、その後坡平尹氏の同族村となりました。牟平軒は坡平尹氏の子孫の家で、100年前に建てられました。建材である松の木を海水に7年間浸し、15年間乾燥させ、3年かけて建てられた堅牢な建物です。 牟平軒はキッチンやトイレを備えており、テレビ、布団、パソコン、鏡、茶器などが置いてあります。裏庭には室内バーベキュー場があり、その横の畑に植えられている唐辛子やチシャは自由に食べることができます。


江原道(鉄原郡)

鉄原(チョロン)駅は1912年10月21日に開業したソウルと元山(ウォンサン)を結ぶ鉄道・京元線の主要駅で、金剛山(クムガンサン)電気鉄道の始発駅でもあった駅です。 駅が旧・鉄原市街地にあったため、日帝強占期(1910~1945年)には同じ江原道(カンウォンド)にある春川(チュンチョン)に匹敵するほど人の往来が多く活気に満ちていたといいます。 またこの鉄原駅から韓半島の景勝地・金剛山に向かう金剛山電気鉄道が走っていたこともあり、通常の鉄道施設のほかにも金剛山電気鉄道の操車場、事務室、電気施設、旅館などが軒を連ね、当時はソウル駅と比較されるほどの大きな駅で、京元線沿線でも有数の駅に数えられていました。 残っている記録によれば、1928年には駅舎が新築され、1934年6月9日には駅構内の跨線橋やプラットホームの屋根も新設されました。 京元線は韓日強制併合(1910年)以降、日帝による住民の強制動員やロシアで起きた十月革命により追放されたロシア人らを雇用し敷設され、1914年9月16日には元山で京元線全線開通式が行われました。 京元線の総延長223.7kmのうち、鉄原駅からソウルの龍山(ヨンサン)駅までは98.1kmあり列車で約2時間、鉄原から元山までは125.6km、約3時間かかりました。鉄原駅から内金剛(ネクムガン)まで運転していた金剛山電気鉄道は、全線で116.6kmあり、終点・内金剛駅まで4時間半かかりました。 江原道(カンウォンド)鉄原郡鉄原邑外村里(ウェチョルリ)の鉄原平野の真ん中に位置する鉄原駅の敷地はおよそ5万坪にも及び、1930年ごろには駅長を含めておよそ80人の駅員が勤務していたといいます。 1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争・1950~1953年・休戦)中には、プラットホームが被害を受けたほか、給水塔が破壊され、レールも大部分がその痕跡だけを残し無くなってしまい、廃駅となってしまいました。 廃駅後は放置状態となっていましたが、駅構内の土地は、駅の復旧に備え、保全管理地域に指定されました。 2006年5月3日には駅構内に統一念願の枕木というモニュメントが建てられました。


京畿道(高陽市) , 一山

テーマ動物園ジュジュ(ZooZoo)は韓国国内初の生きている動物専門の博物館として2002年7月開館して以来、コンクリートジャングルの中で暮らす子どもたちに、動物や自然を通じて最高の体験学習ができる場としてよく知られているところです。 既存の動物園では檻の中の動物を遠目に観ることが常ですが、このZooZoo動物園では動物が檻の外へ出てくるので来場者が直接動物に触ったりすることができます。 嫌がる人も少なくない全長5メートルを超えるミャンマーニシキヘビや爬虫類なども約60種・500匹あまり展示されており、直接触ったり、首にかけてみたりすることが出来るなどほかでは味わえない体験ができます。 また韓国原産の淡水魚が展示されている淡水魚研究館では淡水魚の生態や成長を観ることができる学習の場としてもご利用いただけます。 鳥類館には言葉をしゃべる九官鳥が「アンニョンハセヨ」「ハイ」「グッドモーニング」と訪れた人にしゃべりかけ出迎えてくれます。またタイハクオウムを直接肩に乗せてくれる体験もできます。 これ以外にもテーマ動物園自慢の特別な体験が出来るプログラムとして猿、子馬、ロバ、ヤギなどへの餌やり体験もできます。 動物園からちょっと離れるとストレス解消に向いた松林があり、そこには放し飼いになっているウサギがいて一緒に昼食をとることもできます。また涼しい噴水の水しぶきや水鳥たちがたわむれるかわいい姿が観られる水中生態公園で一休みするのもおすすめです。


忠清南道(瑞山市 )

瑞山(ソサン)アリアホテルは忠清南道瑞山市の中央湖公園近くに位置しています。8階建ての本館、6階建ての新館、4階建て別館・デラックス館で構成されており、客室は全部で80室、約160人を収容することができます。本館最上階の8階には庭園ルームがあり、客室と屋上庭園を使用することができます。また82平方メートルのスタジオルームには最大4人まで泊まることができ、ホームシアターが設置されています。ロフトタイプの客室もあり、好きな部屋が選べます。瑞山アリアホテルは公共交通機関を利用して移動するのに便利な場所にあり、周辺には店も多く集まっています。


京畿道(加平郡)

京畿道加平郡北面にある「加平ヒョナム農耕遺物博物館」は、加速化する都市化や産業化により、徐々にその姿を消している農業の文化や遺産を保存することを目的に設立されました。加平教育庁が加平北中学校の校内に設立し、誰でも気軽に訪問できるようにしています。先祖の知恵を学び、伝統文化の伝承に貢献していくことに力を入れています。


京畿道(坡州市 )

都羅山(トラサン)平和公園はDMZ(非武装地帯)ツアーで欠かすことのできない場所です。 都羅山平和公園は2002年の都羅山駅の一般開放が始まったころから計画され、4年後の2006年5月12日に着工、2008年6月13日には完工し、同年9月10日より正式オープンしました。 特に「統一の森」は、平和を愛する地元・京畿(キョンギ)道民の寄付金や樹木の寄付で作られました。今後、都羅山平和公園は、青少年向けにDMZの歴史を通じ平和や生態の大切さを教える教育の場として利用していくほか、「平和を愛する出会いの場」としても活用していく予定です。 平和公園には7,246平方メートルの韓半島の形をした生態池や627平方メートルの観察デッキがあり、DMZの自然生態を体験できます。 園内にある352平方メートルの規模を誇る展示館では、都羅山の歴史やDMZ自然生態資料など最新の立体映像と通じて垣間見ることができます。


大田広域市(東区)

* 韓国中部圏最大の舞台をもつ又松芸術会館 *又松(ウソン)芸術会館は学校法人又松学園傘下の各学校及び学生の健全な文化芸術創作活動の支援、そして地域社会の文化芸術振興に寄与する目的で1992年10月15日開館しました。大田広域市東区紫陽洞(チャヤンドン)大学キャンパスタウンにある又松芸術会館は大学生らの情緒教育や地域社会の文化発展に貢献し、大田文化芸術の中核として牽引することを目標に、1・2・3階席と分かれた中部圏最大の舞台があります。このような舞台施設を基盤に又松芸術会館は多彩な企画公演や貸館業務を主に行っています。 * 開かれた空間としての又松芸術会館*又松芸術会館はどなたでも利用できる開かれた空間で、特定の人々に限定された芸術公演の場ではありません。人気歌手のコンサートをはじめ、映画、演劇、人形劇、サーカス、マジック、舞踊、招へい共同演奏会など多目的公演場としての機能を持ち合わせ、さまざまなジャンルの舞台を開催できるプロセニアム・ステージと最高の音響システムを兼ね備えてた施設です。


釜山広域市(南区)

韓中日三カ国間の「東アジア意識、文化交流と融合、相手国文化の理解の精神」を実践すべく毎年、韓中日の都市を東アジア文化都市として選定、様々な文化交流を推進しています。 今年2018年の東アジア文化都市は韓国・釜山、日本・金沢、中国ハルビン市に選ばれました。 釜山では1年間、3カ国の文化交流のため様々な行事が開催される予定です。


慶尚南道(宜寧郡 )

湖巌(ホアム)生家は、三星(サムスン)グループ創業者で韓国の経済発展を牽引した代表的な起業家である湖巌・李秉喆(イ・ビョンチョル)先生が生まれた家です。 1851年、湖巌先生の祖父が1,907平方メートルの敷地に伝統韓屋様式で自ら建てたもので、湖巌先生は幼年期を経て結婚し分家するまでの間、この家で暮らしました。一文字型の平屋の形態で建てられた生家は、南西向きの平らな土地の上に建てられており、これまで何度も増改築が行われ、素朴で孤高な趣が漂う今日の姿に生まれ変わりました。 現在の生家には、母屋、舎廊(サラン)チェ、大門(テムン)チェ、納屋の建物があり、こじんまりとした土塀や岩壁に囲まれ、敷地の外と隔たれ、周囲には鬱蒼とした竹林が生い茂り、素晴らしい風景となっています。 また風水地理的にもこの生家のある土地は素晴らしい土地と言われています。穀物の俵を高く積み上げたような露積峰の形をしている周辺の山の気運が、山の麓に位置する生家のある土地へと続きそこから湧き出るような形となっていることから、生家のある土地はその気運を受け隆盛をなす素晴らしい土地となっています。 また、遠く流れる南江(ナムガン)の川の流れが河口へと一直線に流れず、この生家の周りを経てゆっくり流れる逆水といわれる地形となっていることも、この地が風水地理的に素晴らしい土地となっている証拠で、この地は風水地理的に一番よいとされる土地・明堂(ミョンダン)の中の明堂と言われています。 *湖巌・李秉喆先生について* 湖巌・李秉喆先生は1910年、慶尚南道(キョンサンナムド)宜寧(ウィリョン)で生まれました。 1938年大邱(テグ)で三星商会を設立、以降、三星電子をはじめとした多くの企業を興し、韓国経済発展に大きな貢献をしました。1961年には韓国経済人協会(全経連= 全国経済人連合会=の前身)の発足に参加し、初代会長に就任しました。 1965年には企業の社会的責任や使命に対する確固とした信念を礎に三星文化財団を設立、韓国の精神的財産を豊かにする様々な事業を展開しました。 また、1980年代には独自の洞察力と先見性により、半導体産業に進出、韓国の最先端産業発展の基礎を作り上げました。 湖巌先生は事業報国、人材第一、合理追求の経営哲学の下、当時発展から取り残されていた韓国経済を今日まで牽引、韓国の経済発展をリードしてきました。 また先生は成均館(ソンギュングァン)大学校の経営を通じた人材育成をはじめ、文化・芸術・マスコミなど社会各分野の発展に大きな業績と教訓を残しました。