京畿道(始興市)

烏耳島(オイド)遺跡は、韓国中部の西海(ソヘ)沿岸を代表する貝塚で、韓国・先史時代の海辺での暮らしや文化を研究する上で貴重な資料となっている遺跡です。 烏耳島遺跡は2002年には国家史跡第441号に指定され、文化財の保存及び活用を目的に烏耳島先史遺跡公園の造成を開始、2018年4月10日正式に烏耳島先史遺跡公園が開園しました。 烏耳島先史遺跡公園には、さまざまな先史文化や当時の暮らしぶりを垣間見ることができる先史体験村や、竪穴式住居の体験ができる野営村、発掘址、狩場などがあります。 その他にも新石器時代烏耳島にあった貝塚について展示・解説する貝塚展示館、烏耳島の夕陽を眺めることができる展望台、散策にぴったりのススキの道などさまざまな見どころがある公園です。


江原道(原州市)

原州レールパークは新線建設で廃止となった中央線のレールを再利用してレールバイクを運行し始めたところで、旧・艮峴(カンヒョン)駅から風景列車に乗って旧・判垈(パンデ)駅まで行った後、折り返しでレールバイクに乗って再び旧・艮峴駅に戻ってくる全長7.8kmのコースをレールバイクで走ります。 周辺観光地としては艮峴遊園地や艮峴キャンピング場もあり、旅行コースとしても楽しいところです。 艮峴遊園地を流れる川幅の広い蟾江(ソムガン)はこころのやすらぎを取り戻す素晴らしい風景のところで、周辺の景観も全く手がつけておらず四季を通じて独特の景観をレールバイクをこぎながら見ることができます。 6つのイベントトンネルには愛を告白したり、大声を上げたりするエリアがあったり、トンネルの中は美しいLEDライトで照らされ素晴らしくライトアップされるなど日常とは違った思い出を作ることができます。 ※開始日:2013年6月8日


全羅南道(長城郡 )

筆岩書院(ピラムソウォン)は1590年に河西・金麟厚先生の後学と湖南の儒学者が中心となって建てたもので、1659年に王より「筆岩」の扁額が下賜されました。金麟厚先生は湖南で唯一、文廟に位牌が祀られています。筆岩書院には宝物第587号に指定されている古文書(奴婢譜、院長先生案、執綱案、院籍、奉審錄、書院成冊など)や朝鮮の第12代国王・仁宗が金麟厚先生に下賜したという墨竹圖、河西遺墨など、60点余りの資料が残されています。筆岩書院は興宣大院君の書院撤廃を免れた47の重要書院のひとつで、日帝強占期や韓国戦争時にも被害を免れました。


全羅北道(茂朱郡 )

ペンション「茂朱(ムジュ)ネバーランド」は、手付かずの自然が残る茂朱九千洞に位置しています。ペンションの裏側には鬱蒼とした森があり、前には渓谷があります。ペンションは丸太を使って建てられたログハウスで、自然に溶け込んでいます。各客室のドアの前にはバーベキュー道具が備えられており、バーベキューを楽しむことができます。茂朱では毎年茂朱ホタル祭りが開かれ、冬は南大川で氷祭りも行われます。気候が温暖な全羅道では珍しいスキー場も近くにあります。


釜山広域市(釜山鎮区) , 西面・凡一洞

テナガダコ炒め専門で、ナッコプセがおいしい店です。おすすめはテナガダコとコプチャンと海老の炒めです。釜山広域市のブサンジン区に位置した韓食専門店です。


江原道(原州市)

* 原州市にある国民観光地・艮峴観光地 * 江原道原州市(ウォンジュシ)中心部から西に約18kmの所にある艮峴(カンヒョン)観光地は南漢江(ナマンガン/ナムハンガン)の支流である蟾江(ソムガン)と三山川(サムサンチョン)が落ち合う地点にある自然の中の観光スポットです。 川の両岸には40~50mの高さに及ぶ岩の絶壁、鬱蒼とした古木、そして深緑色の水面が調和をなし、河原には広い砂地が広がり辺り一面素晴らしい風景となっています。 また澄んだ水が流れ砂地の河原が広いことから、夏になると河原で水遊びをしに避暑に訪れる観光客でいっぱいになります。 * 艮峴観光地の楽しみ方 * 艮峴観光地の向かい側には艮峴岩など複数のロッククライミング場があります。また近くには小金山つり橋や小金山(ソグムサン)の登山路がありハイキングも可能です。


蔚山広域市(南区)

蔚山企業顧客満足度第1位に選ばれた「景福宮(キョンボックン)」は、炭火焼きにコース料理を合わせたメニューを提供しています。室内は洗練されたインテリアで、上質なサービスを心がけており、ビジネスのための会合や家族での外食に適しています。


釜山広域市(影島区)

太宗台(テジョンデ)沖のはるか向こうの水平線がかすかに見える循環道路の西南の端近くにある太宗台展望台があります。 1999年8月再建された現在の建物はおよそ1,700平方メートル(地上3階・地下1階)の規模を誇る展望台やレストラン、売店などの各種施設があります。天気のよい日には対馬の島影を見ることもできます。


慶尚南道(咸陽郡 )

灆渓書院(ナンゲソウォン)は鄭汝昌の学問と人格を称えるとともに、地方の人々の儒学教育を目的として1552年に建てられました。1566年に国より「灆渓」の扁額が下賜され、経済的支援が受けられるようになりました。1597年の丁酉再乱(慶長の役)で焼失したものを1603年に羅村に移して再建し、1612年に元の位置(現在の位置)にまた移しました。鄭汝昌を祀った書院は全国に9ヶ所あり、その中で中心的な存在となっているのがこの灆渓書院です。紹修書院に次いで2番目に建てられた灆渓書院は、興宣大院君の書院撤廃を免れた47の重要書院のひとつです。2009年に史跡第499号に指定されました。


全羅南道(麗水市 )

夜の帳が下りると、およそ50パターンの光できらびやかな姿に変身する斜張橋・突山大橋(トルサンテギョ)は、麗水(ヨス)の市街地の目の前の海に浮かぶ突山島(トルサンド)と市内中心部の陸地を結ぶ、地元・突山を象徴する連陸橋(離島架橋)です。 麗水の港と突山島の間に浮かぶ小島で国内唯一の水中の城と呼ばれる将軍島(チャングンド)は、その昔、倭寇の侵略に備え、1497年、全羅左道(チョルラチャド=現在の全羅南道[チョルラナムド])の水軍のトップ・節度使に任命された李良(イ・ヤン)が波の強いこの島に石を積み城郭を築きました。 倭敵、盗賊は強固な城郭が築かれたこの島に敢えて手を出すことがなかったことから、将軍島と呼ばれるようになりました。 突山島と将軍島の間は干満の差が激しい大潮の時期には、歩いて対岸に渡ることができ、現在はあまり多く残っていませんが、人が加工したと思われる痕跡が大きな石に残っており、古の将軍島の姿を思い描くことができます。 いまでは、美しい光があふれ、麗水港(ヨスハン)の海原とあいまり異国情緒あふれる光景となっており、数多くの観光客が訪れる場所となっています。 突山島の高台となった突山公園から眺める突山大橋や将軍島の夜景は、光のページェントと美しい海原があいまり最高の景色となっています。 およそ1万5000人の住民が住む突山島(トルサンド)は、麗水市内と目と鼻の先ほどの距離にありますが、海に阻まれた島という地理的条件のため、長らく日常の生活や通学には毎日船を使わざるを得ない不便さがありました。 このような状況を解消するため、突山島と陸地を結ぶ橋を建設することに至り、1980年に橋の建設工事を開始、1984年12月15日に突山大橋が完成しました。 1984年の竣工時に行われた突山大橋竣工記念式は、現職の大統領まで参加する大きな行事となりました。 突山大橋の完成とともに、突山島側の橋の近くには突山公園が造られ、突山島にあるムスルモク海水浴場、冬柏(トンベク)海水浴場をはじめ、日の出・参拝の名所で落ち着いた雰囲気のある寺・向日庵(ヒャンイルアム)などもあり、麗水を代表する観光コースとなっています。 道路が陸地とつながり、地元・突山地域で栽培される農産物の流通も活発となり、突山名物のからし菜・突山カッは、からし菜キムチ・カッキムチの代名詞にもなっています。 突山大橋には2000年10月、八つのプログラムで繰り広げられるおよそ50パターンの色とりどりの光の演出が可能なライトアップ施設を設置、訪れる人々にきれいな夜景をプレゼントしています。