全羅南道(求礼郡 )

2015智異山ピア谷紅葉祭りは「三紅と共に五色忠誠旅行」というテーマで紅葉公園とピア谷一帯で実施されます。また、イベント期間中は燕谷寺の観覧料が免除されます。


京畿道(高陽市)

高陽市徳陽区に位置しているラムセス・ホテルはキンテックス展示場をはじめ湖公園や各種の文化遺跡地から近い。 湖公園での散歩は都心の中での余裕が満喫でき、よい思い出になれると思う。 また、客室は旅行の疲れた体とビジネス業務に安らかな憩いの場になる。 高級なアンティークインテリアとモダンなイメージが複合的に構成されている客室は旅行客に新しい憩いの場を提供する。


釜山広域市(西区)

豚骨で出汁を取った深くて濃い味が一品のテジクッパです。


ソウル(冠岳区)

1905年に竣工したこの建物は、日本の北陸土木会社が施工、小玉氏が設計し、西島氏が監督したとされています。李重華の『京城記略』には、1900年に入京したベルギーの全権委員レオン・ビンカート(Leon Vincart)氏が1902年10月、場所を決めて領事館建築に着手したと記録されています。その後1919年に領事館は忠武路1街18番地に移転し、この建物は日本の横浜生命保険会社が社屋として使用していましたが、その後、日本の海軍省武官府の官邸となり、解放後(1945~)は海軍憲兵隊が使用しました。1970年に商業銀行が払い下げを受けて使用していましたが、1982年8月に現在の南峴洞に移転し、韓国商業銀行(現ウリィ銀行)の史料館として使用されました。現在は、リニューアルされてソウル市立美術館南ソウル美術館となっており、市民のための文化空間として活用されています。建物は地下1階、地上2階建てで、レンガと石材が混用されています。古典主義様式の玄関やバルコニーのイオニア式の柱などは、外観上、大変素晴らしい様式であることをよく表しています。 規模:建築面積1,569.58平方メートル、2階レンガ造り


全羅北道(群山市 )

* 日本強占期に建立された寺院、東国寺 * 東国寺(トングクサ)は1909年から群山(クンサン)で布教を始めた曹洞宗の日本人僧侶・内田仏観(善応仏観)が1913年に建立した寺です。 日本強占期(1910~45年)の間、日本人の住職によって寺は守られてきましたが、1945年8月15日、日本の植民地支配から解放される日を迎え、大韓民国の懐へ戻ってきたという苦難の歴史を持つ寺です。 東国寺は韓国に残された唯一の日本式の寺で、大雄殿と寮舎の建物が渡り廊下でつながっているのが特徴です。 韓国の伝統家屋に見られる原色鮮やかな丹青(タンチョン)で彩られた韓国の寺院とは異なり、装飾がない軒や大雄殿の側面には多くの戸があり、日本的な雰囲気を醸し出しています。 東国寺は曹渓宗第24教区・高敞(コチャン)禅雲寺(ソヌンサ)の末寺に当たります。 東国寺の大雄殿は2003年7月、国家指定登録文化財64号に指定されました。 東国寺の元々の名称は錦江禅寺(錦江寺)と言われていました。この錦江禅寺は1909年、内田仏観という日本人僧侶が群山に布教所を開設し創建した曹洞宗の寺でした。 日本の仏教は1877年、釜山(プサン)の開港とともに、日本政府の要請により流入してきました。 一番最初に浄土真宗大谷派が布教を開始し、1904年群山にも布教所を開設し、日蓮宗が続きました。 日本の仏教が韓国に進出した理由ですが、純粋な仏教布教が目的ではなく、韓国を日本に同化させようとした日本政府の意向をそのまま反映したものと言われています。 その後、朝鮮総督府は日本の仏教を普及するため、1911年6月3日付で寺刹令も発布しています。 寺刹令を契機に、日本の仏教界は全土に別院・出張所・布教所などを設立しました。 錦江禅寺が建立される前、群山には本願寺、群山寺、安国寺がすでにありました。錦江禅寺を創建した内田仏観は布教を始めた1909年当時、すでに77歳の高齢で、群山地域を布教活動している途中、群山の一条通りにあった家屋を借り、布教所を開設しました。1913年7月に現在の場所に移り、現在の東国寺の建物を新たに建立しました。 * 東国寺の意義 * 東国寺は日帝強占期に建立された寺です。日帝強占期に建てられ現在まで残っている日本式の寺はすべて壊され、唯一残っているのが東国寺です。特に、東国寺大雄殿は2003年登録文化財第64号に指定されました。


江原道(麟蹄郡) , 束草・雪岳山

元通から寒渓嶺の方に14km下ると松の木林の間に韓屋山荘(48坪)である将帥台(ジャンスデ)があります。滝の水が寒渓川に流れ込む所に建っています。もともとは紫陽田でした。呉徳俊将軍が韓国戦争当時に犠牲になった将兵らの冥福を祈る意を込め、国軍勇士が1959年10月に韓屋山荘を立て将帥台と名づけました。鷺山・李殷相(1903-1982)はここで戦争の深い悲しみを詩に読んでいます。道の反対側には将帥台切符売り場があり、大勝瀑布と大勝嶺に上がる山行の出発地点になります。将帥台周辺には大勝瀑布と、この滝で遊んだ玉仙女が大ムカデに追われて来た所という玉女湯があります。また、寒渓山城、ハヌル壁を訪ねる観光客の休息処になっています。この山荘は100余人が収容できる規模で山荘にしては大きい方です。大将台で寒渓川を渡ると上に見える高い峰が加里山(1519m)です。チュゴク峰、三兄弟峰とともに峰を成しています。


江原道(太白市)

太白駅は1962年12月10日、鉄岩駅~黄池駅間の開通と同時に黄池駅で営業を開始し、1974年10月6日、古汗駅~太白駅間の開通によって太白線の全区間(堤川~栢山)がつながり、産業線として輸送において大きな役割を果たしています。黄池邑から太白市に地名が変更になったことで1984年12月1日に駅名を太白駅に変更しました。太白線の開通初期にはこの地域の住民達にとって唯一の交通手段であったことはもちろんのこと、無煙炭を運送する産業線として重要な役割を果たしていましたが、1990年から石炭産業の合理化政策により、現在は貨物輸送はまったく行っていません。 太白駅は昔、炭鉱都市から高原観光休養都市に変貌している太白市の中心にあり、太白市を観光しようと多くの観光客達が鉄道を利用して訪問しており、全国各地から(主に首都圏、忠清道、全羅道)から公共交通を利用して便利に訪れることができる場所として、清潔な環境、便利で親切な顧客サービスの推進を行っています。


江原道(江陵市) , 江陵

牛や豚の内臓を焼いて食べる店です。江原道のガンヌン市に位置した韓食専門店です。おすすめは豚コプチャンです。


江原道(東海市)

「望祥海岸祭り(マンサンヘビョンチュッチェ)」は毎年8月、望祥海岸一帯で開催されるお祭りです。地域住民と観光客がともに楽しむ祭りとして発展させるため、祭り期間中は地域サークルと芸術人らが参加する地域文化芸術公演や7080フォークソング歌手などを招待したフォークソングコンサートが開かれます。また韓国の人気DJが数多く参加する望祥DJフェスティバルは望祥海岸の新たな見どころとなっています。


江原道(太白市)

太白山韓屋(テベクサンハノク)ペンションは、前方に太白山が見え、後方には咸白山(ハンベクサン)頂上とオーツーリゾートの頂上部分がぼんやりと見えます。建てられてそれほど経っていませんが、これらの家屋は慶尚北道(キョンサンブクト)慶州(キョンジュ)や永川(ヨンチョン)、慶山(キョンサン)などから移転し復元したもので、百年を越えた家屋です。古宅本来の美しさと雰囲気をそのまま生かしながら利便性も備えています。特に冬には床暖房ができるように建物ごとにかまどを別に作った部屋もあります。建物の内外は全て黄土で仕上げてあります。門の両側には清風楼(チョンプンル)という小さい東屋のような建物があります。広い庭では各種の遊びや野外バーベキューなどを楽しむことができ、この時は縁台の代わりにござを敷いてくれるのがこの家の特徴です。