ソウル(鍾路区) , 三清洞・ソウル北部

ソウルを囲む北岳山、南山、駱山、仁王山の4つの山は、合わせて内四山と呼ばれています。その中でも最も高い山がソウルの北側に位置する「北岳山(プガクサン)」です。景福宮の北側にそびえ立ち、またの名を白岳山(ペガクサン)ともいいます。城壁が山に沿って保存され、四小門の1つである彰義門(別名:紫霞門)が北岳山西側の山麓と仁王山の間にあり、ソウル市の中心部からも比較的近い場所に位置しています。彰義門からソウル市城北区貞陵洞にあるアリラン峠へと続く観光道路の北岳スカイウェイでは、青々とした自然の中でソウルの市街地の景色を一望できます。北岳スカイウェイと南東側の山麓に位置する三清公園は、北岳山探訪の途中にほっと一息つくのにぴったりな休憩空間となっています。 高さ:342メートル


ソウル(永登浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

ソウル汝矣島に位置したコボス・ホテルは、お客様の便宜を図るビジネスホテルである。 屋上にはゴルフ練習場が運営されており、ジェットスパやスチームサウナも便利に利用できる。 KBS、MBCなどの放送局や汝矣島公園、漢江河川敷、鷺梁津の夜明け開かれる市場が10分の距離に位置しているのもコボス・ホテルの長所である。 朝食と共用PCの無料サービスも利用できる。


ソウル(広津区) , ソウル東部

ハッピーデイスパはソウル廣津区紫陽洞にある総合スポーツクラブ&チムジルバン施設で、フィットネスクラブ、ゴルフ、サウナ、チムジルバンなどを利用することができます。特に特級ホテル並みの施設とゲルマニウムを含むアルカリ性硫黄温泉はハッピーデイスパの自慢です。 代表的な施設として地下1階にある堅炭サウナを始めとして、2・3階に男性・女性専用サウナ、4階に女性専用チムジルバン、7階の野外屋上にアクアテラピープールなどがあります。女性専用チムジルバンには松の火汗蒸幕(プルハンジュンマク)、アイスルームなどのチムジルバンがあり、何よりも7階のアクアテラピールームでは露天風呂を楽しむことができます。その他、ジム器具などでトレーニングもできます。


ソウル(東大門区) , 東大門

ソウル薬令市場(ヤンニョン・シジャン)は全国取引量の70%を占める韓国の代表的な漢方薬取引の中心地。ここには漢方医院と薬剤商、薬局など1000余りの店舗が集まっています。各種薬剤は産地からすぐ取り寄せられるため、値段も安く種類も様々。1960年代初め、それまで20店舗ほどだったこの地域の漢方薬市場が急成長し、それまで350年の伝統を誇っていた大邱薬令市を追い抜きました。韓国の漢方薬材の購入時期としては10~12月が一番いいとされています。これは韓国の漢方薬材のほとんどは市場に出荷される時期が晩秋で、品質が1年中でもっとも優れている上物量が多く価格も安いためと言われています。


ソウル(中区) , 東大門

南山の北東側のふもとにある奨忠壇公園は朝鮮王朝第21代王英祖の時に都城の南を守っていた南小営のあった場所です。高宗は1900年11月に奨忠壇という祠堂を建て、現在は新羅ホテル迎賓館のある場所となっています。祠堂は韓国戦争(朝鮮戦争)中に破壊されてしまいましたが1969年に奨忠壇に建てられた碑が現在の位置に移されました。奨忠壇が公園になったのは、1919年のことです。しかし、日帝強占期に民族の精神を抹殺するために博文寺という寺が建てられ、公園が造られますが光復後、日帝強占期に建てられた建物が撤去されました。1984年9月22日に第374号として近隣公園になった奨忠壇公園は自然公園である南山公園の一部となりました。奨忠壇公園一帯は奨忠壇碑、水標橋、關聖廟、臥龍廟などの文化財をはじめ、3.1運動記念碑、韓国儒林独立運動パリ長書碑、満海韓龍雲詩碑とユ・グァンスン、李俊烈士、金龍煥の銅像があります。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

INNIS(島)と FREE(自由)を象徴に、自然原料で作って販売しています。生き生きとした肌にする4つの済州植物である緑茶、みかん、菜の花、百年草のエネルギーを火山岩盤水とともに濃縮させたものが、イニスフリーだけの特徴です。梨大前の繁華街にあり、売り場が広いので日本、中国からの観光客が多く訪れます。


ソウル(永登浦区)


ソウル(瑞草区) , 江南・三成(COEX)

高級イメージのあるショッピング街江南(カンナム)で庶民的雰囲気が感じられる「シゴルヤチェテンジャン」。 周りの職場人が多く訪れる定食屋さんです。田舎野菜味噌ビビンバが人気メニューです。 予約は5人以上可能。                  


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

雲峴宮(ウンヒョングン)は正式な宮殿ではなく、王族の親族である興宣大院君・李昰應(1820~1898)の一家が居住し生活していた空間だった所です。ここに12歳まで住んでいた高宗(1863~1907)が王位に就いた後、大幅に拡張・新築し、宮に昇格したという経緯があり、この時から雲峴宮は4つの大門を持った雄壮な宮闕ほど雄壮な家に変貌しました。しかし日帝強占期と韓国戦争で被害を受け現在の規模となりました。 雲峴宮正門を入ると、右側に長く建った守直舍という瓦屋がありますが、これは宮の管理と警備、雑用の担当者たちが主に住んでいた所。守直舍を過ぎると大門があり、興宣大院君が息を引き取った老安堂という建物があります。この老安堂を過ぎると還暦や宴など各種家内行事が行われた老楽堂があります。1866年高宗と明成皇后(1851~1895)との家礼もここで開かれ、明成皇后が王妃修業を受けた所としても有名。毎年4月と10月には高宗と明成皇后の結婚式を再現する行事が行われ数多くの人で賑わいます。


ソウル(江東区) , ソウル東部

岩寺洞(アムサドン)先史住居地(ソンサジュゴジ)は巨大な支石墓の形の入口を始め櫛歯模様のゴミ箱まで新石器時代の雰囲気を再現したところ。1925年の洪水により漢江の土手が流れた時にその土地から数多くの櫛歯模様の土器が出土しました。以後何回かの発掘作業が行われ、岩寺洞先史住居地として現在の姿となりました。様々な発見により約6000年前ここは新石器時代最大の敷地だったことが分かりました。当時農耕生活を始めた人々の石陶器や石矢などが発見されたのを始め櫛歯模様の土器も大量に出土し、当時の生活の様子を窺い知ることの出来る丸型の火を焚いた跡も見つかっています。岩寺洞先史住居地は23600坪の敷地に556坪規模の2つの原始生活展示館、9つの穴蔵や体験穴蔵もあり、まるで原始時代にタイムスリップしてきたかのような感じです。