慶尚南道(居昌郡 )

工業用水の供給のために造られ、水質保全と安全を理由に1.2㎢の流域面積の全域に鉄線が設置され他地域に比べて相対的に立ち遅れ、人々の往来が少ない疎外地域となり40年余り。現在は、鉄線が撤去されて貯水池周辺には自然を活かした散策路とテーマ施設が造られました。


ソウル(鍾路区)

彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。


仁川(西区) , 仁川市街地

永宗大橋(ヨンジョンデギョ)は、仁川国際空港がある永宗島(ヨンジョンド)と獐島(チャンド)を繋ぐ橋です。長さは4.4km、道路と鉄道が通っており、橋の下を1万トン級の船舶が通過できるようになっています。世界初の3次元自定式つり橋で、強風や地震にも耐えられるように設計されています。韓国の土木建築物としては初めて日本の土木学会田中賞を受賞しました。


京畿道(抱川市 ) , 抱川

国立樹木園(クンニプ・スモグォン)は、光陵試験林の自然林を利用して樹木園を形成したものです。樹木園の内部には、森林に関する全ての資料を展示した森林博物館があります。樹木園と博物館の工事は、1985年10月25日に着手され、1987年4月5日に開館されました。その後1989年には森林浴場を開場しました。しかし、森林の保存が何よりも大きな問題となり、1997年に森林浴場は閉鎖されました。また週末と祝日の入場を制限する制度が導入されました。一日の観光客を5000人以下に限定し、訪問の際には5日前までに予約が必要となりました。国立樹木園では、植物の資源化により様々な植物の種類の確保が可能となり、世界的にも人々の関心を集めています。このことを受け、1999年5月24日には林業研究院 中部林業試験場樹木園課で山林庁樹木園として新設開園されました。国立樹木園は、面積が1,157ヘクタールで針葉樹園、観葉樹園など15の専門樹木園から構成されています。山林博物館(サンリムパンムルグァン)は東洋最大規模で、1,400坪の面積を持っています。自然に順応した韓国の伝統様式に設計されており、内部、外部共に国産の木材と石材から作られています。樹木園の施設は、第一展示室(生きている森と自然植物)、第二展示場(山林と人間)、第三展示室(世界の林業)、第四展示室(韓国の林業)、第五展示室(韓国の自然、サイバー樹木園)、標本室、特別展示室、視聴覚室で構成されています。


慶尚南道(統営市 )

オミサクルパンは、統営の有名なベーカリーでパン職人として勤務していた創業主が独立し、1960年初旬に始めたお店です。開業当初は、店舗などはなく、家の前に小さな露店を出し、配給された小麦でドーナツや蜜パンなどを作って売り始めたといいます。オミサクルパンは、気温が暖かくても、比較的長持ちするのが特徴です。


京畿道(抱川市 ) , 抱川

平康植物園は2006年5月に開園し2009年環境部から生息地の他保全機関に指定されました。海抜2,500m以上の高山地帯で発育する珍しい高山植物1,000種余りを保有していることでも有名です。


済州道(西帰浦市) , 서귀포

済州道から漢拏山が一番良く見える所がトンネコ遊園地(ユウォンジ)です。きれいな山水が流れる谷と滝、うっそうとして茂る暖帯常緑樹林が絶景です。トンネコ入口から20分ほど歩くと、鴛鴦瀑布(高さ5m)と小さい蓮池を見ることができます。渓谷両側には暖帯常緑樹林があり寒蘭(済州道南側の海抜高度70~900mの常緑樹林帯で育つ、12~1月に花が咲く珍しい蘭)と冬苺が自生しています。


京畿道(驪州市) , 驪州

朝鮮第26代高宗皇帝の夫人であった明成皇后 (ミョンソン・ファンフ)が、生まれてから8才まで暮らした『明成皇后 生家(ミョンソンファンフ・センガ)』は、現在記念館と共に一般公開されています。明成皇后は1895年10月8日の明け方、日本人によって暗殺され、一生を終えなければならなかった悲運の王妃で、優れた外交力と朝鮮の自主性を守るために開放と改革を推し進めていた人物です。しかし日本の統治下で明成皇后は嫉妬深く、欲深い悪女だというように誤って知らされていましたが、その後様々な資料を通して、彼女の偉大さが世の中に知らされることになりました。現在はドラマ化やミュージカル化によって親しまれるようになり、彼女に対する誤解はほとんど解けました。『明成皇后 生家』は1995年に復元工事を終え、現在は門脇部屋と居間、離れ家の3軒であり、明成皇后が幼い頃に勉強した部屋があったところには、明成皇后誕生記念碑が建てられています。生家の前には記念館が建てられ、明成皇后に関する資料や遺品などが展示されています。また、161席ある公演会場もあり、明成皇后に関する映像を上映しています。


全羅南道(麗水市 )

エムブルホテルは311の客室がある26階建てのデラックスホテルで、梧桐島(オドンド)で有名な麗水にあります。2012年の麗水世界博覧会の期間には国賓クラスのVIPの宿泊先として利用されました。680人収容可能な最高級コンベンション施設を始め、フィットネス、サウナ、スカイラウンジなどの館内施設を備えています。


江原道(平昌郡) , 平昌

海抜700メートルの自然の中にある普光フェニックスパークは、韓国最大規模の未来型山岳休養都市で、ソウルから2時間ほどのところにある総合リゾートタウンです。21のスキースロープと広さ500メートルのスキーベースを誇るフェニックスパークは、頂上から全スロープが楽しめるキーリフトシステムを導入、スキーヤーに様々な楽しさを提供しています。 特に、スキー場の頂上にある「モンブラン」からスキーベースまで続く長さ2.4キロの初・中級スロープのパノラマと、05/06シーズンに新設された2番目の頂上「ブルセマル」は、スキーヤー・スノーボーダーが最も滑りたいスロープに挙げられるほど人気です。 ジャック・ニクラウスが設計監理を終え、1998年にオープンした18ホールのメンバーシップゴルフ場は、秀麗な景観と絶妙の難易度構成で、国内ゴルファーによってベストコースに選定された事があり、また2001年からは韓国プロゴルフ(KPGA)選手権大会、PAVVインビテーショナル女子ゴルフ大会などを誘致、名門ゴルフクラブの名声を引きついでいます。 他にも、9ホールのパブリックゴルフ場と24種のレジャースポーツ施設、そして社内研修、セミナー、国際会議などが可能な最先端の宴会施設を取り揃えています。