京畿道(水原市) , 水原

ホテルイルマーレは、差別化されたサービス、合理的な価格、専門運営システムを備えたホテルで、出張や旅行で中長期間水原に滞在するビジネスマンや旅行客が安らげるようなサービスを提供しています。広くて余裕のある客室と、交通の便のよさが自慢のホテルです。


全羅南道(順天市 )

順天湾自然生態館(スンチョンマン・チャヨンセンテグァン)は、順天湾の自然を保存し、研究するために作られた空間です。室内には企画展示室、展示室、映像室、生態教室、セミナー室などがあり、室外には干潟の観察場があるので生態学習場としても利用されています。こちらには、CCTVを通して順天湾にやってくる渡り鳥を観察することが出来る施設や、順天湾の自然を学習するための映像物などが観覧できます。2階建ての展示館には、順天湾の干潟の生成過程などが見られる模型、様々な動植物の標本や剝製などが展示されています。 お問い合わせ) +82-61-749-3006, 3007(日本語可)    


ソウル(龍山区) , 南大門・ソウル駅

フォーポインツバイシェラトン朝鮮ソウル駅は、主体的な旅行者のためのモダンでカジュアルなスタイルのホテルです。19階から30階にさまざまなタイプの客室、オールデイレストランThe Eatery、フィットネス、ミーティングルーム、セミナールーム、コインランドリー、ビジネスコーナーなどの付帯施設を備えています。ソウル駅12番出口に近く、空港鉄道、KTX、地下鉄1号線・4号線などアクセス便利です。


江原道(襄陽郡)

襄陽から西に20km、寒渓嶺から東南に7.5kmのところに、川周辺の岩盤の3ヶ所から鉄分と炭酸水の成分を持つ薬水が湧き出る五色薬水があります。大量の鉄分が含まれた薬水が一日1,500リットルほど湧き出しています。


慶尚南道(河東郡 )

4月になると花開地域では白い雪のような桜並木が美しい光景を成します。この桜並木は「10里(約4.5㎞)の桜道」と呼ばれ全国でも大変有名な場所です。特にこの道を恋人同士が手をつないで歩くと結婚して生涯幸せに暮らすと言われ、「婚礼道」とも呼ばれています。 このような見所以外にも、祭り期間中には様々な文化イベントや公演が行なわれます。また、周囲には歴史のある花開市場を始め、アユの刺身やズワイガニの鍋など、この地域を代表する伝統料理店も集まっています。  


済州道(済州市 ) , 구 제주

済州オリエンタルホテルは済州市塔洞海岸に面した南国の情緒溢れる特1級ホテルです。313室の客室と大型の宴会場、レストランやサウナなどの各種施設もあります。済州市内の中心にも近く利便性がよいので観光で宿泊される方には非常に便利な場所だと言えるでしょう。


京畿道(坡州市 ) , 坡州(ヘイリ村)

京畿道坡州市のカールトン・ホテルは、各種施設が完備されたクオリティ高いサービスが特徴のホテルです。 入り口ロビーには宿泊客に無料で提供しているスナックコーナーがあります。客室のインテリアや家具は、くつろげる休息の場を強調した造りが特徴。全客室にはジェットバスが完備されている他、スイートルームは、リビングと寝室が分離されており、家族連れの宿泊客にも人気を集めています。ホテル周辺の観光地としては、ヘイリ、坡州英語村、統一の丘、烏頭山統一展望台などがあります。


忠清南道(公州市 )

公山城(コンサンソン)は、百済時代の文周王1年(475)に、漢山城から熊津に首都を移した後、聖王16年(538)に首都を扶余に移すまでの5代64年の間、都である公州を守るために建てられた城です。史跡第12号である公山城は全長2,660mの巨大な城郭で、海抜110mの稜線に位置しています。東西に約800m、南北に約400mの長方形の形をしています。元々は、百済時代の土城だった公山城ですが、朝鮮時代に現在の石城に改築されました。城内には、百済時代の池が2ヶ所、高麗時代に立てられた霊隠寺、朝鮮時代の仁祖王が李适の乱を逃れ一時避難していた双樹亭(サンスジョン)や史跡碑、南門である鎮南楼、北門である光復楼などが残っています。東門と西門は、最近復元されたもので、この周辺を流れる錦江(クムガン)や、鬱蒼とした森が調和し、絶景が広がっています。家族や恋人同士で錦江を眺めながらゆっくりと散歩を楽しめる城壁の道や、木が生い茂った森にも散策路があります。


済州道(済州市 )

済州国際空港からタクシーで5分の所にある済州パール観光ホテルは様々な施設を備えた新しいスタイルの観光ホテルとして、新婚旅行や家族旅行にオススメのホテルです。


江原道(春川市)

清平寺(チョンピョンサ)は、昭陽湖の船着場から船に乗り約10分程行ったところにある五峰山の麓にある寺です。高麗時代(918~1392)の973年(光宗在位時)に永賢禅師が建立しました。1089年、科挙に落ちてしまった李資玄は官職を捨てて、清平寺に入り、自然景観を生かした大規模庭園を造成しました。見かけは正方形に見えるように石を積み、渓谷の水を引き入れ池を作り、池に五峰山が映るようにしました。さらに、朝鮮明宗のときには普雨禅師が復元しました。また、清平寺の近くには九種類の音を出すという九声瀑布と、水が清いことで有名な清平寺渓谷があります。現在は宝物第164号の回転門と三階塔が残っています。