全羅北道(全州市 )

アリランホテルは味と風情が生きている伝統の都市である全羅北道全州市に位置しています。全州は豊南祭、全州国際映画祭、世界ソリ祭り、ビビンバ祭りなど見どころが豊富な祭りが毎年開かれており、旅行客に愛され続けているところでもあります。セミナー室とビジネスルームも備えられています。全州で有名な食べ物には、全州ビビンパ、全州もやしクッパなどがあり、ホテル付近の食堂で食べることができます。全州駅と全州高速バスターミナルが車で10分の距離にあるので全州内でのピックアップサービスも可能です。


ソウル(中区) , 明洞

独特なジャージャー麺がある中華料理店です。ソウル特別市のチュン区に位置した中華専門店です。代表的なメニューはジャージャー麺です。


全羅南道(高興郡 )

羅老宇宙センターの正面入口にある宇宙科学館は宇宙センターを訪問する人達のための施設で、大韓民国が開いていく宇宙時代のビジョンを提示するための造られた宇宙科学専門展示館です。87,000平方メートルの敷地面積に32種の動く体験展示物を含む90種類以上の展示品があり、3D立体映像館、4Dドーム映像館、企画展示室、カフェテリアなどの施設を備えた21世紀の大韓民国宇宙開発に対する広報および宇宙科学教育の場所としての役割を果たしています。


京畿道(南楊州市) , 南楊州

洪裕陵は洪陵と裕陵を合わせた言葉です。丘を間にはさみ、同じ圏域にあります。洪陵洪陵は朝鮮第26代の高宗(1852-1919、在位1863-1907)皇帝と明成皇后(1851-1895) 閔氏の陵です。元々洪陵は明成皇后の陵としてソウル・清涼里にありましたが、高宗の死後は今の場所に移して一緒に祀られています高宗は興宣大院君・李昰應の2番目の息子で、12歳の若さで王位につきました。高宗は1897年、大韓帝国の樹立を宣布し皇帝の位につきましたが、日本の圧力が増す中、乙巳条約を結んで外交権を日本に奪われ、1919年徳寿宮にて67歳で崩御しました。明成皇后は驪城府院君・閔致禄の娘で、1866年(高宗3年)に王妃となりました。1873年、高宗の親政(王が直接国の政治を手がけること)をきっかけに政治的実権を掌握後、親露政策に不満を抱く日本人刺客に殺害されました。裕陵裕陵は朝鮮最後の王陵であり、最初の皇帝陵です。朝鮮第27代純宗(1874-1926, 在位期間 1907-1910)と、その妃である純明孝皇后(1872-1904)閔氏、継妃・純貞孝皇后(1894-1966)尹氏を合葬した唯一の「同封三室」の陵です。純宗は高宗と明成皇后の2番目の息子で、朝鮮最後の王です。民族主権を守護しようとした悲劇的な歴史の王でした。純明孝皇后は純宗が即位する前、皇太子として始めてオリニ大公園付近の龍馬山の麓に安葬されましたが純宗の死後、陵を移して合葬されました。純貞孝皇后は12歳の純宗の后となり、1910年、日本帝国が国権を奪おうとした際、玉璽(国家文書に使われた玉で作った王の印鑑)をスカートの中に隠したというエピソードの人物です。その後、国権は奪われ、大韓帝国は滅びてしまいます。死ぬ瞬間まで温和な性質と気品を忘れなかった純貞孝皇后は大韓帝国の最後の皇后です。洪陵と裕陵は従来の朝鮮王陵と異なる点があります。それは朝鮮の国名を大韓帝国にかえた際、王を「皇帝」と称したほど、皇帝陵の様式に従い明・太祖の孝陵を見習って作ったことです。洪裕陵には他の王陵では見られなかったキリンやゾウ、ライオン、獅子、ヘテなど多様な動物形態の石物があります。洪陵の石物は伝統的な方法で作られており、裕陵の石物は洪陵のそれよりも事実的かつ優れた手法が見られます。


慶尚北道(浦項市 )

浦項は新羅千年の首都慶州と隣接し、その当時の痕跡がたくさん残っています、また、日本軍が早くから出没した場所として多くの城郭が築造されました。その一部はまだ昔の姿のまま残されています。虎尾串の日の出広場の入口に建てられた菜の花団地には毎年4月~5月に菜の花が満開になります。


江原道(春川市) , 春川

春川マッククス・タッカルビ祭り、春川を代表する郷土料理を紹介する祭りです。タッカルビ・マッククスが口コミで知られるようになり、春川の代表的な祭りとして発展しました。タッカルビ、マッククスなどの料理はもちろんのこと、春川郷土料理全国大会が開かれ、さまざまな見どころや料理が揃います。特にファミリーでの体験イベントもあり、誰でも楽しめる構成です。


ソウル(江南区)

翰林国際大学院大学(ハルリムクッチェテハグォンテハッキョ、Hallym University of Graduate Studies)は、2004年に設立された私立大学です。元は1997年に翰林大学国際学大学院として設立されましたが、2004年に翰林大学とは分離され、現在に至ります。


済州道(済州市 ) , 구 제주

6万坪の茶畑を誇る「茶喜然(タヒヨン)」は、韓国最高レベルの緑茶を生産する茶園です。茶畑のほかに、自然洞窟を改造して造られた「洞窟カフェ」、漢拏山と海を眺めながら、茶畑の上を滑り降りる人気レジャースポーツ「ジップライン」、お茶の効能などを知ることのできる博物館や健康に良い緑茶を使った料理を提供するレストランがある「茶文化館」といったさまざまな施設を備えています。また、広大な茶畑を快適に見てまわれるカートツアーも運営しています。


ソウル(江南区) , 江南・三成(COEX)

「ONCE IN A BLUEMOON(ワンスインアブルームーン)」では、毎夜開かれる韓国最高の演奏者たちのライブ演奏とともに、品格あるサービス、多彩な料理と約130種のワインを楽しむことができます。 「ONCE IN A BLUEMOON」は、世界的な海外ミュージシャンが韓国公演後に必ず立ち寄る名所として有名なだけでなく、映画やドラマのロケにも使われるなど、人々にジャズのよさを広めることに大きく貢献している韓国を代表するライブジャズクラブであるとともに、文化観光地であり文化空間として位置づけられています。


ソウル(鍾路区)

ファッション関係の店が軒を連ねる東大門、いまではアジア最大級のファッションショッピングエリアと言っても過言ではないのがここ東大門周辺エリアです。今日の東大門の姿になった背景には東大門の生地市場や平和市場、そして周囲にある市場で働く人々がいたからにほかなりません。 およそ30年前、そんな東大門で働く人々の空腹を満たし心のよりどころとなったのが現在の東大門タッカンマリ通りでした。 ソウル地下鉄1・4号線東大門駅9番出口から外に出て鍾路の大通りをそのまま直進、IBK企業銀行の建物の角を左に曲がると一方通行の比較的大きな道があります。この道には今も東大門総合市場や近くの市場へ品物を運ぶバイク便のバイクが所狭しと止まっています。その道の中ほど、右手にトクソン閣という中華料理店がありますが、その中華料理屋のある建物の角を右に曲がり路地を入ると、軒を連ねたタッカンマリのお店が見えます。 この路地にあるタッカンマリの店は創業5年から、古いところでは創業30年を超える店もあります。 しかし現在のタッカンマリのお店が立ち並び始めた30年前よりもっと遡ると、この場所にはその昔、個人経営の鶏肉入りのカルククス・タッカルククスの小さなお店がある程度でした。その当時タッカルククスのお店を開いていたとあるおばあさんのお店を28年前に譲り受け、現在に至るまでタッカンマリの店を切り盛りしてきた食堂の主人の話によると、おばあさんが一人で、いまのタッカンマリのような料理ではなく、鶏肉を入れたカルククスの店をやっていたといいます。当時は瓦葺屋根の韓屋のお店の板の間や個室でお客さんがカルククスをすすっていたといいます。現在では譲り受けた店主が韓屋の中庭だったところに食堂を増築しテーブルを置いてお客さんを迎えています。 現在この通りで最も古いお店は「陳玉華タッカンマリ」というお店です。しかし出火により当時の建物はなく、現在の建物は2009年2月に建て直したものです。この一番古いお店も最初は現在のタッカンマリのような料理ではなくタッカルククスのお店でした。そう考えると東大門タッカンマリ通りの料理のルーツははタッカルククスだったと言えます。今もこの通りの食堂の看板や入口玄関、窓ガラスには「タッカルククス」と書かれた文字を見かけます。また「タッカンマリ」と一緒にメニューに書かれているカルククスサリ(カルククスの麺)が残っているのもその名残です。 このように見てみると、昔は鶏肉入りのカルククスだったのものが、今では鶏肉がメインになり最後の〆でカルククスの麺を入れて食べるタッカンマリが看板メニューになり、時代の流れでカルククスがメイン料理の座を鶏肉に譲ったような形になったとも言えます。 タッカンマリの料理は店ごとにあまり差がないように見受けられがちですが、鶏肉に付けて食べる特製たれの味や鍋のスープ、追加で鍋に入れられる食材が各店異なっています。そのためこの通りに軒を連ねるタッカンマリの店では特製のつけだれやスープの作り方や材料については一部明かしているものの、肝心な部分は秘中の秘となっています。ちなみにつけだれに使われる唐辛子粉は質のよいものを使わなければならないと言われています。ただ辛いだけの唐辛子でなく、辛さがありながらも豊かな味わいとコクがなくてはならないそうです。またスープに入る食材もハギキリ、高麗人参など店により異なります。 大きな鍋にスープをなみなみ入れて、その中で鶏肉を丸ごと1匹煮込むタッカンマリ。鶏肉はお客さんに出される前にすでにある程度調理されて出てきますが、テーブルの上に置かれたガスコンロでも十分煮込んで食べるのがおすすめです。というのも鶏肉と一緒に鍋に入っているジャガイモや餅、高麗人参、ナツメ、しいたけなどの食材の味を十分に引き出し、さまざまな味が染み出てブレンドされたスープになって初めて美味しいタッカンマリになるからです。タッカンマリという料理は、十分に煮込んで鶏肉や鍋の具を食べた後、〆に残った鍋のスープにカルククスの麺を入れて食べて、一連の食事が終わります。 いまでもこの通りの常連の半分以上が東大門界隈の市場で働く人たちといいます。この通りの評判は日本にまで広がり、日本人旅行客も数多くこの通りを訪れます。 また、美味しい料理が食べられる昔ながらの横丁が好きな若いカップルがインターネットで情報を基に苦労してわざわざこの通りまでやってくるといいます。 若い世代の人々の口にも30年前の「タッカンマリ」の味わいが復活しています。