ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

この店はソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは味付け豚カルビです。韓国式BBQ専門店です。


江原道(原州市)

原州駅は交通や生活の中心地である原州市内にあり、雉岳山国立公園や慶尚北道北部、江原道太白市方面の旅行客が主に利用しています。1940年4月に営業が開始され、ここの地名から駅名が付けられました。


忠清南道(保寧市 )

西海岸の代表的な海水浴場の大川海水浴場がある保寧に位置したホテル・ビューは、青い海や安眠島がはるか遠くに見える丘の上にあり、近くにはカキ焼きの団地があり、恋人、友達などと共に自然の味を味わうことができる。 客室の窓から見える美しくて開けた海は海外のある所にいるような錯覚を覚えさせる。 大川港ではワタリガニやイイダコなどを味わうことができ、毎年開かれる大川海水浴場の泥祭りは楽しさを増してくれる。


京畿道(烏山市 )

キレイになれ、キレイになれ、呪文を唱えるところ アモーレパシフィック・ストーリーガーデンは、ストーリー、空間デザイン、体験という要素を中心に構成した企業による体験スペース。ここで垣間見ることができる化粧品の歴史は、近代から今日に至るまで韓国女性が追求してきた美しさの歴史そのものです。 展示観覧、製造過程の見学をはじめ、いたるところに楽しい体験や見どころがあり、また写真写りがよくなるように美しい照明が設置されているのも特徴です。 体験用iPadで自分だけのリップスティックの色を作り、見学が終わると自ら作ったリップスティックがもらえるプログラムも人気を博しています。  


忠清南道()

全義郷校は、1413年(太宗13年)に創建されたと推測されています。 1649年(仁祖27年)に打愚 李翔がつけた『全義鄕校明倫堂序』によると、全義郷校は当初は県の東側に建立され、朝鮮後期の仁祖の時まではこの地にあったとされています。当時の郷校地として推測されている現在の東校里の校洞地域では約10年前までも多くの瓦が出土されました。 全義郷校は、明倫堂と大成殿を造り建築の前にそれぞれ三門を置いた簡単な配置です。村のサイッキル(細道)を過ぎ、外三門に入ると明倫堂があり、この周囲路は塀に囲まれていて、明倫堂の後方には一段高く敷地が形成され、塀に囲まれた大成殿にあります。明倫堂の西側の塀の他には守直舍があります。 『全城誌』によると、朝鮮末期から大韓帝国までの郷校の構成人員は、西教生30名、校奴7名、良保10名、私保60名が配属されていたと記録されていて、昔の全義郷校の人的構成が分かります。 また全義郷校は『斎任録』(24㎝×34㎝)、『仙案』(28㎝×43㎝)をはじめとして、さまざまな笏記に、1782年(正祖6年)と1783年に頒布された『御製綸音』(22㎝×35㎝、1782~3年)4本が伝えられています。


ソウル(中区) , 明洞

コリアナホテル内に位置する栄(さかえ)は1972年開業以来、40年の伝統を誇る日本料理のお店で、日本庭園を思わせる多様な個室が用意されています。 料理長がこだわりを込めて上質の材料を使用し、刺身やてんぷら、すき焼き、しゃぶしゃぶといった多彩な伝統料理から、ふぐなど季節の素材を活かした料理まで、栄を訪れる人々に優雅なひと時を提供しています。


釜山広域市(東区)

釜山港国際旅客ターミナルの建設は、海洋都市の関門として釜山港が象徴的な役割を果たし、世界的な観光スポットとして飛躍するための再開発事業の一環で行われました。


全羅南道(木浦市 )

* 李舜臣将軍の戦術とカンガンスルレの伝説が宿る場所 * 露積峰(ノチョッポン)は全羅南道(チョルラナムド)木浦市(モッポシ)儒達山(ユダルサン)にある巨石の頂をいいます。 この頂は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍が敵を撃退するため利用したことで有名で、李舜臣将軍の地形を利用した高度な心理戦が垣間見える場所です。 壬辰倭乱の際、李舜臣将軍率いる陣営は、軍事的に劣勢な状況を挽回するため、藁を編みこの露積峰の岩を覆うように被せました。この藁を覆った岩がまさに軍糧米の俵を積み上げた露積みの俵のように見え、あたかも軍糧米が大量に備蓄されているかのように敵陣に錯覚させたといいます。 このほかには、住民らに軍服を着させ、露積峰の周囲をずっと回るように指示し、この様子が敵陣にまさに大軍がいるかのように思わせたといいます。また同時に近くを流れる栄山江(ヨンサンガン)に白土の粉を撒き、米のとぎ汁が河口に流れていくかのように見せかけることで、下流にいる倭敵に李舜臣将軍率いる自軍の軍勢を誇示、これを見た倭将が兵士を転じさせ撤退したと言われています。 当時、露積峰の周囲を回る戦術はその後の文化芸術に昇華し、大勢の人で円を描き踊る韓国伝統舞踊・カンガンスルレに発展したという伝説が残っています。