京畿道(驪州市)

「遠慮せずたくさん召し上がれ」という意味の「コルグジェンイ」は、精進料理やビビンパ、すいとんなど淡白で素朴な料理が味わえるお店です。代表メニューの精進料理は、レンコンの和え物やどんぐりの厚焼き、季節の山菜、漬物を始め20種のおかずに石焼ご飯が出てきます。木芽仏教博物館内にあるため、食事を済ませ博物館を観覧することもできます。


釜山広域市(東区)

釜山鎮(プサンジン)日新(イルシン)女学校は、近代的な女性教育機関として、オーストラリア長老教宣教会女性伝道部が1895年10月5日、釜山・佐川洞(チャチョンドン)に一間しかない草葺き屋根の建物に修業年限3か年の小学課程学校を開設したのが始まりです。 その後1905年に建てられた2階建て煉瓦造りの校舎は、現在に至るまで残っており、2001年まで釜山長老会神学校の建物としても使われていました。 釜山鎮日新女学校は、現在同じ釜山広域市の金井区(クムジョング)釜谷洞(プゴクドン)にある東莱(トンネ)女子高等学校の前身でもあり、また1919年に起きた3・1独立運動の拠点となった場所でもあります。


慶尚南道(統営市 )

「東洋のナポリ」と呼ばれる統営にある海沿いのホテルで、海の香りを満喫することができる。特にホテルから眺められる「イ島」という小さい島が青い海と美しい景色を演出する。統営総合バスターミナルから歩いて8分しかかからないが、ホテルの送迎サービスを利用することもできる。パダヒャンギのもう一つのメリットは、ホテルの建物に同じ商号の刺身屋があり、宿泊だけでなく食事もできるということだ。客室は30室あり、全室禁煙なので快適な環境で休める。客室は一般室、特室(オーシャンビュー)、VIP室(オーシャンビュー)の3タイプがある。バルコニーのある特室では潮風を浴びながら海を眺めることができる。ジャグジーのあるVIP室は、旅行で疲れた体を癒すのに最適なルームである。ホテルの周辺環境も良く、近くに大きいスーパーマーケット、公園、警察署などがある。東陂浪壁画村、西陂浪村道、統営中央伝統市場、忠武式キンパプ通りまで車で約15分かかる。


ソウル(西大門区) , 新村・梨大

延世大学校アンダーウッド館は本校の前身である延禧専門学校でスティムソン館につづき建てられた校舎で、学館と呼ばれてきました。延世大学校が位置する延禧洞(ヨニドン/ヨンヒドン)は朝鮮王朝第2代の王・定宗が太宗に譲位した後、住まいを移したのがいまの大学のある一帯にあった延禧宮(当初の名称は同じ読みで漢字表記が異なる衍禧宮)であったことからついた地名で、延禧宮の位置は現在の延世大学校の場所から延禧立体交差路があった辺りと推定されています。 延世大を建設し始めた当時に建設された建物としてはスティムソン館(1920年)、アッペンツェラー館(1924年)、アンダーウッド館の3つの建物があり、庭園を挟んで東にアッペンツェラー館、西にスティムソン館、そして庭園の奥・北側にアンダーウッド館を配する「コ」の字型をした建物群となっていますが、その中でもアンダーウッド館は真ん中に位置する最も重厚な建物です。大学の正門から入ってくるとキャンパスの中央を貫く白楊路の北端の先、キャンパスのちょうど中央に建物が建っている形になります。アンダーウッド館の建物の5階相当の高さにある中央の塔はこのキャンパスのシンボルとなっています。 アンダーウッド館は延禧専門学校の設立者であるH.G.アンダーウッド(Underwood)を称えるため、兄のジョン・T・アンダーウッドが10万ドルを寄付して建てられたものです。1921年に着工、1924年に竣工し、現場監督は当時の化学科教授であったミラーが引き受けました。 構造は本館の建物であるスチームソン館と同じような石造りの構造で、地下1階地上3階建てで、塔の部分は5階相当の高さになります。建物は上からみると東西に長細い形となっており中央に玄関があり、東西に中央廊下を配置しています。南北の両サイドには教室及び階段があり、建物の左右、東西両端には大講義室を配置しています。 元々、文科大学(学部)の建物として利用されていましたが、現在では大学本部の建物として総長室など主な事務方の部署が入居しています。 ※面積ー2,707平方メートル


忠清南道(牙山市 )

豊徳古宅(プンドクコテク)は外巌(ウェアム)民俗村の中にある建物です。 李嗣宗(イ・サジョン)の7代目子孫である李宅胄(イ・テクチュ)が黄海道で豊徳郡守を務めていたことから「豊徳」という名称をこの韓屋につけました。 豊徳古宅はともに直角に曲がる「フ」の字型の韓屋である舎廊(サラン)チェと母屋の二つが中庭を囲むように建っていることから全体的に見ると「口」の字型となっている構造になります。 母屋の背後には壁の役割を果たしている小さな丘もあります。豊徳古宅で古宅体験が可能な建物は舎廊チェと離れの別棟の2ヶ所です。 およそ40平方メートル(12坪)の広さの舎廊チェには部屋が2つとキッチンもかねた居間、そしてトイレがあります。 大きな部屋1つとトイレがある離れはキッチンが別に設けられています。広い部屋だけあって余裕のある空間となっています。舎廊チェと離れの建物の前にある縁台も趣があります。 伝統コチュジャン体験村でもある豊徳古宅では伝統の手法で作られたコチュジャンや味噌、水飴も購入できたり、また自ら作ることもできます。有料で行われるコチュジャン作り体験に参加ご希望の場合は事前に電話で予約する必要があります。


全羅南道(順天市 )

韓国産の韓方材料を使った様々な鴨料理を提供しています。全羅南道のスンチョン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューは鴨プルゴギです。


江原道(鉄原郡)


ソウル(麻浦区)

弘大周辺の街は「ストリート美術」で有名です。美術大学として名高い弘益大学の学生らが、大学付近の塀や道に自由に絵画を描きはじめ、その後、数多くの画家がこれに賛同するようになりました。弘大「ストリート美術展」は、1993年以降、毎年弘大美術学生が中心になって開催する代表的な文化芸術イベントです。新しいストリート美術とインスタレーション、参加美術、多彩なパフォーマンスが同時に催されます。ストリート美術展は韓国の若い画家の活力と実験性、チャレンジ精神に接することのできる特別な美術イベントかつ総合芸術祭です。


京畿道(華城市)

堤岩里(チェアムリ)3.1運動殉国記念館は水原(スウォン)から南西におよそ20km離れた場所にある静かな農村にあります。 別名トゥロンパウィと呼ばれていたここは1919年の独立万歳運動の時、この村の住民が発安市場(パランチャント)で激烈な万歳運動を繰り広げたことでも有名です。 この万歳運動に関わった首謀者の名簿を入手した日本の憲兵およそ30人余りはその年の4月15日午後2時ごろ、堤岩教会に住民を集め、教会の出入口をすべて閉鎖し監禁、その後、この教会に火をつけ無差別銃撃を加え、23人を虐殺しました。このような経緯から堤岩里は約30軒ほどの家屋が焼かれてしまった先祖の恨(ハン)と魂が宿る場所でもあります。 堤岩里虐殺事件が発生し63年が経過しようやく村から4km離れた桃李里(トイリ)共同墓地に平土葬で埋葬された遺骨を発掘、堤岩教会裏にある丘の日当たりのよい場所に墓地を造成し、後世にこの事実を語り継ぐ記念碑と展示館、教育館造形物などを設置し愛国の精神を悟る生きた教育の現場として活用しています。 *規模-1,306平方メートル(395坪)


慶尚北道(安東市 )

韓国の伝統的なプルゴギが味わえる店です。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはプルゴギの寄せ鍋です。