全羅南道(麗水市 )

姑蘇洞(コソドン)壁画村は麗水(ヨス)で最も古い集落で、丘の上にあることから、麗水の海原や突山(トルサン)大橋、コブクソン(亀甲船)大橋が一望できます。 壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の時には忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍が作戦を立て命令を下した歴史的な場所としても有名です。 2012年麗水エキスポ開催を契機に、麗水市と姑蘇洞の地元住民が協力し合い、町の塀一面にたくさんの壁画を描き、地理的条件も活かし、観光スポットとして一躍脚光を浴びました。 鎮南館(チンナムクァン)から姑蘇洞の丘を歩いて麗水海洋公園に至るまでの道の総延長が1004mで、この「1004」が韓国語で「チョンサ」と読み、「天使(チョンサ)」と同音であることから、天使壁画通りとも言われています。 通りは7つの区間に分かれ、各アリアの塀には麗水エキスポのテーマである「海洋」にまつわる壁画をはじめ、麗水地域の歴史や文化、景色、そして李舜臣将軍や水軍をテーマにした壁画が描かれています。 展望休憩所もあり、しばし足を止めて一休みするのもおすすめです。 壁画村内にある忠武公大捷碑閣もここに来たら見ておきたい史跡です。ここには李舜臣将軍の戦跡を称えた左水営大捷碑(麗水統制李公水軍大捷碑・宝物第571号)や李舜臣将軍の貢献を追慕する堕涙碑(宝物第1288号)があります。 壁画通りが終わるところには麗水海洋公園があります。ここは麗水市民が週末の散策の場所として有名で、特に夜景が美しいことで有名です。


京畿道(城南市)

香美火炉はウェルビーンフードであるウナギの炭火焼きとメウンタン(魚の辛味鍋)の専門店です。 国内産の唐辛子粉、ニンニク、ネギ、玉ネギなど14種類の材料を20日間熟成して作ったタレで焼き上げたウナギが一押しです。肉厚で柔らかいウナギの淡白な味は一品で、伝統のコチュジャンとたっぷりの野菜を煮たメウンタン(魚の辛味鍋)のさっぱりとしたピリ辛のスープは最高です。ウナギとナマズを直接手でさばいて調理する事が、新鮮で最高の味を提供する秘訣です。


慶尚北道(安東市 )

安東(アンドン)河回村・玉淵精舎(オギョンチョンサ)は西厓(ソエ)・柳成龍(リュ・ソンニョン)(1542~1607)が日ごろ親交のあった僧侶・誕弘(タンホン)の援助を受け建てたもので、学問を究め弟子を養成する所でした。 西厓・柳成龍先生は遠志精舎(ウォンジチョンサ)を建てた後、人々が住む村に近く騒々しく奥ゆかしい雰囲気が感じられないとして、川向こうの芙蓉台(プヨンデ)の麓の土地を手に入れ建物を建てようとしましたが、暮らし向きがよくなく精舎を建てることが出来ませんでした。 そのことを知った親交のある僧侶・誕弘が、建物の建築を引き受け資金面でも援助することを申し出、1576(宣祖9)年に着工し10年かけて西厓・柳成龍先生が45歳の時である1586(宣祖19)年にようやく完工しました。 先生はその後、芙蓉台(プヨンデ)の西側の麓にある兄(謙菴・柳雲龍先生)の亭子(東屋)である謙菴精舎(キョマムチョンサ)を芙蓉台の崖の縁に作った細いの道を歩いて行き来し、兄弟の情を深めたといいます。 そして1605(宣祖38)年、洛東江(ナクトンガン)の大洪水により河回にあった3間の広さの草葺の家屋を失いこの精舎に隠居、壬辰の乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)を回顧し懲毖録(国宝132号)を書き上げました。 玉淵精舎の洗心斎(セシムジェ)の建物は瞰録軒(カムロクホン)と名付けられた板の間を中心に左右に1部屋がある西厓・柳成龍先生が朝鮮時代に基礎教育を行っていた学校・書堂(ソダン)として使っていた建物です。書堂には周経の繋辞の中にある「意或従事於斯 以庶幾萬一爾(ここに心を置き、万に一つでも叶うことを望む)」という一文の意味が込められています。そして瞰録軒と名付けられた板の間は中国の書家・王義之の「頭をもたげ青い空を仰ぎ、下へは青い水を頭を垂れ眺める」という詩から付けられたものです。 遠楽斎(ウォルラクチェ)の建物は西厓・柳成龍先生がこの部屋に起居し懲毖録を書き上げた場所です。友人の来訪を待つという意味を持つ遠楽斎ですが、この名称は論語の中にある「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」という一文から付けられたものです。そして2間の広さの板の間・愛吾軒は陶淵明の「吾亦愛吾廬(吾もまた吾が庵を愛す) 」 という詩から名付けられたものです。


全羅南道(康津郡 )

白蓮寺は839年に建立されました。その後、1211年に円妙国師了世によって増築されました。高麗後期の120年間、高麗の8人の国師を輩出しました。このお寺は天台思想に立脚した結社道場を開設して、沈滞した仏教の中興を行うのに中心的な役割を担いました。


京畿道(平沢市 ) , 平沢

テンジャン(韓国味噌)ダレのサムギョプサルを味わえるところです。京畿道のピョンテク市に位置した韓食専門店です。代表的なメニューはテンジャンサムギョプサルです。


ソウル(鍾路区) , 仁寺洞・鍾路

東十字閣(トンシプチャガク)は、景福宮(キョンボックン)の正門・光化門(クァンファムン)の右手(東側)へと続く石塀と、光化門の北東にある建春門(コンチュンムン)から続く石塀とがぶつかる、景福宮の南東の隅に建てられた望楼です。 基礎の石壇部分は朝鮮時代初期の遺構とみられますが、楼閣自体はは興宣大院君(フンソンテウォングン・在位=1864~1898年)の時代に建立されたものと推測されます。 東十字閣の規模は小さいながらも、調和の取れた芸術的な造形美を誇り、景福宮にある優れた建築物のひとつと言えます。 東十字閣の建物は、景福宮の東南の隅に建てられた望楼のような高台にある建物としての役割を果たしていましたが、景福宮の敷地を囲む塀が東十字閣周辺で無くなってしまったことから、現在では道端にぽつんと立ったような形になってしまいました。 十字閣の建物は元々、景福宮の正面の東西の両隅にそれぞれ東十字閣・西十字閣(ソシプチャガク)が建てられ王宮の内と外を監視できるようになっていましたが、西十字閣の方は取り壊され現在ではありません。 長大石を組んで作った石の基壇の上に建っている楼閣は、正面と側面がすべて3間の長さの正方形をした形となっています。 また、楼閣の骨格となる木材でできた軸部の構造は、柱と柱の間の下部にある貫木・下枋(ハバン)と、上部の柱貫・昌枋(チャンバン)のみで組み上げ、柱と柱の間には壁がなく柱むき出しの構造となっており、楼閣が建つ石壇上部の床面は土床となっています。


江原道(春川市) , 春川

明洞本家タッカルビは100%国内産の肉を使用しており、キムチもお店で直接漬けるなど、お客様を第一に考えています。調味料と油の量を最小限に抑え、他店とは違いご飯を炒める時にエゴマの油を使用しています。春川のもう一つの名物料理、キムチスープ入り辛味そば(マックッス)も販売しており、これも他店とは違い麺を手作りしているので、特別な味わいを楽しめます。


慶尚北道(慶山市)

30年以上放置されていた廃家を建築家キム・ギョンホ氏が韓屋体験空間へと生まれ変わらせた「美しい暮らしの空間(アルムダウンサムウィゴンガン)」。ここは、美しい暮らしのための空間を提供するという目的で設けられ、その目的にふさわしく展示・セミナー・公演・映画観覧など多様な芸術と文化を提供しています。 コケの生えた瓦が風情を感じさせる約100年の古家・霽月堂、リンゴ貯蔵倉庫が映画観覧空間に様変わりし団体客が泊まることのできる余楽堂、行廊棟(門口の棟)と牛小屋だった建物を読書空間にした議悦堂、少人数での宿泊に最適な東屋・虚心亭、音響設備を備え、公演を楽しむことのできる野外舞台があります。 すべての空間では常時、展示と公演が開かれ、どこでも本を読むことができ、音楽をきくことができ、物思いにふけることができる「美しい暮らしの空間」では、ひと味違った休暇を過ごせます。


ソウル(麻浦区) , 汝矣島・永登浦・麻浦

ここは40年以上の伝統を持っている、冷麺専門店です。 韓牛スープで汁を出して、蕎麦で作った麺を使います。 メニューは水冷麺が一番人気です。 平壌冷麺特有の独特な味を楽しめます。 予約はお昼12時予約だけ受けており、4人以上から可能です。


全羅南道(順天市 )

順天市鴻内洞にある順天湾海龍城古宅は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに義兵を起こして功績を立てた楓庵・文緯世の子孫が暮らす韓屋です。300年続く大地主の家門で、高麗時代に皇后を3人も輩出しています。 海龍城古宅のスンジウォンという部屋はキッチン付きで、居間、キッチン、トイレなどが別になっているため家族での宿泊にぴったりです。ヨモギ、セリ、柿の葉など、様々な薬材が干されており、茶礼野生茶体験も可能です。海龍城古宅では鶏や珍島犬も飼われています。